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コラム

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「過去」をめぐる日独比較の難しさ-求められる慎重さ-


庄司 潤一郎 (防衛研究所戦史研究センター長)



はじめに
 朴槿恵大統領は、3月下旬のドイツ訪問に際して、現地ドイツの高級紙『フランクフルター・アルゲマイネ』のインタビュー(3月25日付)で、「ドイツが歴史に対する責任に誠実でなく、謝罪もしなかったならば、ヨーロッパにおける統合、さらにドイツの統一も最終的になし得なかったであろう。私は、日本がドイツの例を教訓とすることを希望する」と述べている。
 このように東アジアでは、日本は「過去」に適切に対応してきたドイツに見習うべきであるといった「ドイツ見習え論」がしばしば散見される。そこで本稿では、ドイツ側の見解を交えて本問題を検討したい。

1 「ドイツ見習え論」とは?
 「ドイツ見習え論」は、1985年5月のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領による戦後40周年演説を契機として日本で広まり、ドイツとの比較が頻繁になされた。しかし、日本国内では次第に日独両国の比較の困難性が理解され、さらに平和主義と密接に結びついていたため、特に1999年ドイツ連邦軍がコソボ紛争に本格的に参戦して以降、下火になっていった。
 一方、東アジアにおいては、戦後50年を迎えた1995年前後から、同種の主張がなされており、現在でも続いている。例えば、1995年6月、新華社は、日本の戦後50年決議を論評した中で、「日本とドイツの戦後処理は、天と地ほどの差がある」と指摘していた1
 このような日独比較に対して、かつて町村信孝外相は、ホロコーストの特質やナチスの存在を指摘しつつ、「単純にドイツと比較というのはいかがなものか」と反論を行っていた2
 ドイツの識者は、日本の「過去」への姿勢に対する批判が目立つものの、概ね日独の比較には慎重である。例えば、ヴァイツゼッカー元大統領は、日独両国には、類似点とともに歴史の連続性、文化、社会、政治体制の構造の面などで大きな相違点があり、したがって「二つの国を比較するのは大変に困難なことです。両国を横に並べて比較することには大いに自制しなくてはなりません」と忠告していたのである3

2 日独の相違
 もちろん、ホロコーストに対する、政治家の認識・言動、戦後補償や学校教育といった戦後ドイツの取り組みについては、一定の評価を受けており、特に、ドイツによるフランス・ポーランドとの国際的な歴史教科書対話は、日韓間及び日中間の「歴史共同研究」が参考にしたと言われる程、注目を浴びている。
 同時に、日独の「過去」への取り組みを検討する場合、先ず対象となる「過去」、及び戦後の両国の政策とそれを大きく規定した政治的環境などの相違に対する冷静な分析が必要であろう。
 第一に、ドイツが対象としている「過去」は、主にホロコーストである。したがって、一民族の計画的・組織的抹殺を企図したホロコーストは、唯一無比の事例であり、容易に比較することはできないとされる。ヴァイツゼッカー前大統領は、「ヒトラーのいう『ユダヤ人問題の最終解決』は、歴史に比較が不可能なほど重大な犯罪だったのであり、あらゆる相対化から禁断されたものであると思う」と指摘していた4。  
 第二に、第一の結果として、戦後のドイツでは、ホロコーストなど「ナチスの不正」を対象とした、人道的見地からの「補償」に重点が置かれてきた。一方日本は、サンフランシスコ対日平和条約などに基づいて、戦争中の行為について、「国家間賠償」を行ってきたが、ドイツは分断国家となったため、平和条約を締結出来ず、「国家間賠償」を行えなかったのである。しかし、多岐に及んだ戦争中の被害から見れば、日独いずれの「賠償」・「補償」も、各々異なった観点から不十分であるとの指摘もなされている。
 また、「謝罪」について、戦後ドイツは、明確な「謝罪」を行っていない点も注意すべきであろう。例えば、ヴァイツゼッカー大統領の戦後40周年演説において強調されているのは、あまりにも有名な一節「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる」に象徴される「想起」と「歴史の直視」である。ナチスの犯した甚大な犯罪を考慮した場合、「法的責任」を認めることは、際限のない賠償・補償請求が予想され、それを回避するため、ドイツは「謝罪」を行わず、人道的姿勢を貫いたのである5
 むしろドイツが日本より「過去」に真摯に向き合っているといわれる一因は、ワルシャワのゲットー蜂起記念碑でヴィリー・ブラント首相が跪いた行為に象徴されるように、「道義的責任」を果たしているとの印象を高め、公式の立場を貫く政治家の姿勢である。一方日本では、数多くの謝罪がなされているものの、一部政治家の「失言」も一因となり、和解をもたらしているとは言い難いのが現状である。
 第三に、戦後の地政学的国際環境の相違である。日本は島国であるが、ドイツはヨーロッパ大陸の中心に位置し多くの国々と国境を接している。特に冷戦期、共産圏の軍事的脅威に対抗するため、EU さらにNATOへと西欧は統合へ向かっていった。その過程で、ドイツの近隣諸国にとって、ドイツは「敵国」から「盟友」に変化、ドイツに歩み寄り迎え入れることが、和解の重要な基礎となったのである。
 ヘルムート・シュミット元首相は、「何も、ドイツのほうが道徳的に高潔だったといおうとしているのではない。戦略的な状況がまったく違ったということだ。欧州におけるドイツの状況と、アジア太平洋における日本の状況は異なった。西ドイツには、欧州の周辺諸国が西ドイツを統合の中に引き入れ、それが西ドイツを謝罪に動かす手助けになったという幸運があった」と述べていた6
 したがって、ドイツと西欧諸国との和解は、ドイツの道義的姿勢と同時に、主として安全保障と経済面における共通利益、換言すれば外的要因によって促進されてきたと、ヨーロッパの識者から指摘されたのである7
 さらにシュミット元首相は、韓国の識者との対談において、独仏が和解したのは、ドイツが謝罪したからではなく、被害者であるフランスが先にドイツに手を差し伸べたからで、日本を隅に追い込むのではなく、韓国自身が手を差し伸べるべきであると述べ、日本が先か韓国が先かその順序をめぐって活発な議論となり、東アジアの状況と対照をなしていた8
 このように、日独両国は、異質の「過去」に対して、戦後各々が直面した現実に適応しつつ異なった対応を行ってきたのであり、それぞれ長短が存在しており、無条件に比較して評価することは適当ではないであろう。
 冷戦終結後の東アジアとヨーロッパの状況も大きく異なっている。世界史上の転換の年であった1989年、日本は昭和天皇の崩御、平成への改元の年であり、ヨーロッパではベルリンの壁の撤去を契機に東欧社会主義諸国の民主化が進み、引き続いてドイツ統一(1990年)、ソ連崩壊(1991年)が生起したが、対照的に中国では天安門事件が起ったのである。現在でも東アジアでは、朝鮮半島の分断、中国では改革開放が進んだものの共産主義体制、さらに領土をめぐる確執が続いている(ヨーロッパでは、民族問題や宗教対立は残っているものの、未確定の国境はほとんど存在しない)。
 
3 ドイツにとっての多様な「過去」
 ところで、一般に「ドイツ見習え論」は、歴史教科書対話の例が示すように、ドイツとフランスもしくはポーランドとの関係を所与の前提としている9。しかし、ドイツには、それ以外にも多様な「過去」が存在する。
 独露関係は、「和解」なくして良好な関係を構築している代表例である。第二次世界大戦において「絶滅戦争」という過酷な戦いがなされた反面、戦後、謝罪や歴史対話など明確な「和解」はなされていないにもかかわらず、現在ではヨーロッパでも有数の、おそらくある面ではドイツ・ポーランド関係以上に友好的な関係にある。
 また、賠償問題をめぐる対立も残されており、ギリシャはドイツに対して大戦中の被害に対する賠償を請求しているが、ドイツ政府は解決済みとの立場で、一部はハーグの国際司法裁判所にも持ち込まれている。
 一方、植民地支配に対して、世界的に見て謝罪した例はほとんどない。ドイツも例外ではなく、ドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア共和国)などでの植民地支配は、「過去の克服」の対象とされず、ナミビアから要求されているものの、明確な謝罪や賠償はなされていない。ドイツの「過去の克服」がヨーロッパ中心主義と指摘される所以である。
 むしろ、独仏及びドイツ・ポーランドは例外的な「成功」のケースであり、特に独仏は世界的にも特殊な関係で、他の国々の例となるものではないとも指摘されている。そのドイツでさえ、シュミット元首相は、日独両国の第二次世界大戦における行為は、「近隣諸国の人々の意識に様々な余波を及ぼして」おり、ドイツの場合、EUで人口も最も多く最大の経済大国でありながら、「ドイツがリーダーシップをとることを望む近隣諸国はただの一国もない」と認めている10。真の和解の難しさを物語っていると言えよう。

4 安倍総理のインタビュー-
 安倍晋三総理は、いずれも日本の「過去の克服」が焦点の一つとなった習近平国家主席や朴槿恵大統領の訪独から約一か月後、GWの訪欧の一環として、4月下旬ドイツを訪問した。『フランクフルター・アルゲマイネ』のインタビュー(4月29日付)において、「ドイツ見習え論」について問われた安倍総理は、先ず「私達は歴史に対して謙虚でなければならず、外交的もしくは政治的動機から歴史を問題化するのは避けるべきで、大きな意義を有している歴史研究は、歴史家や専門家などの知識人に委ねるべきである」と述べた。第一次安倍内閣では、その趣旨から「日中歴史共同研究」を立ち上げたのであった。
 かつてヴァイツゼッカー元大統領も、「過去に対する罪を認めるようにとの要求が、政治的恐喝の手段とされることは好ましくない。私は中国人が日本人によっていかに苦痛を受けたかを理解していますが、中国は過去の問題を政治的に利用すべきではない」と述べていた11。 
 さらに安倍総理は、戦後二国間の平和条約の締結により賠償問題などを解決、同時にアジア諸国に対して経済援助を行ってきた日本と、ドイツ自身の尽力のほかに、統合の偉大な目標に向けてのヨーロッパ全体の努力により共同体の創設や和解が促進されたヨーロッパとの相違に言及しつつ、「こうしたヨーロッパの取り組みに対して多大な敬意を払うが、戦後のアジアの状況は、ヨーロッパとは異なっている」と指摘したのである。先のシュミット元首相の発言と軌を一にするものであろう。
 ところで同紙は、インタビューを、「戦争にともなう過去の克服に際してドイツを見習うべきとの中韓による再三にわたる要求を拒否した」と報道したこともあり、中韓両国では批判的見解が散見された。例えば、中国外交部の報道官は、「この発言によって、日本の指導者の誤った歴史観が改めて露呈し、彼が歴史を直視する誠意を欠くことも改めて明らかになった」と表明した。
 しかし、安倍総理は、日独の相違について言及したのみで、前述したドイツの政治家の発言と同趣旨であり、比較できないさらに見習う必要はないとまでは明言していない点は留意すべきであろう。

おわりに
 筆者は、かつてドイツの研究者の知人から、日独の比較は不可能であり、日本はドイツとの相違を国際社会、特に中国や韓国に積極的に訴えるべきであるとの忠告を受けた経験がある。
 その意味で、安倍総理の今回の発言は、訪欧におけるロンドン金融街シティーでの講演やNATOでの演説に比して日本ではほとんど報道されなかったが、日本の総理大臣が歴史の政治利用を戒めつつ、日独の相違にも言及したという意味で、重要な意義を有しているのではないだろうか。
 日本が自身の「過去」に対して真摯に向き合うことは大切なことであり、ドイツの取り組みから日本が学ぶべき点はあるが、日独の比較に際しては、免罪という趣旨ではなく、その相違を踏まえつつ謙虚に分析することが期待される。また、外国であれ、国内であれ、「過去」を政治利用することがあってはならないことは言うまでもない。




1 『日中関係基本資料集 1949-1997年』霞山会、1998年、1189頁。
2 『朝日新聞』2005年4月15日。
3 中日新聞社編『ヴァイツゼッカー日本講演録 歴史に目を閉ざすな』岩波書店、1996年、47-48頁。
4 朝日新聞社編『日本とドイツ-深き淵より』朝日新聞社、1995年、82頁。
5 佐藤健生「ドイツにおける『歴史』への対処」『国際問題』第501号(2001年12月)52頁。
6 前掲『日本とドイツ』164-165頁。
7 船橋洋一編著『日本の戦争責任をどう考えるか-歴史和解ワークショップからの報告』朝日新聞社、2001年、249、309頁。
8 “Northeast Asia and Korea’s Unification (A Dialogue with Chancellor Helmut Schmidt),” in Real Success, Financial Fall: A Reassessment of the Korean Dynamism, Jang-Hee Yoo, ed. (Seoul: Ewha Woman’s University Press, 1999), pp.197-200.
9 日中とドイツ・ポーランドとの比較に関しては、庄司潤一郎「日中とドイツ・ポーランドにおける歴史と『和解』-その共通点と相違点を中心として-」黒沢文貴、イアン・ニッシュ編『歴史と和解』東京大学出版会、2011年を参照。
10 ベルリン日独センター設立25周年記念講演「日本、ドイツ、そして近隣諸国」。
11 『西日本新聞』2000年3月1日。



(2014-05-29)

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