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コラム

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NHK 視点・論点 2005.2.23 放送 「アメリカにおける保守主義運動」


中山 俊宏(主任研究員)


近年、しばしばアメリカは保守化したと言われます。日本でも、昨年の大統領選挙とあわせて、宗教保守派の映像がたびたび紹介されました。中絶や同性婚などが政治問題化し、大統領選挙の動向に大きな影響を与えたことなども、アメリカが保守化したことの兆候だといえます。
しかし、アメリカ人の価値観が保守化しているという現象と、政治勢力としての保守派が台頭したという事実は、ある程度区別して考えた方が理解しやすいと思われます。もちろん、両者は連動しています。しかし、「アメリカ人の価値観の全般的保守化」というのは、いわば時代精神の変容であり、政治的、社会的、文化的状況に対し、アメリカ人が反応した結果です。それに対して、政治勢力としての保守派の台頭は、より自覚的な政治運動であり、そこには明確な思想と政治戦略が見いだせます。
この後者の側面を無視すると、アメリカの保守主義を「条件反射的な一過性の勢力」と誤認してしまう危険性があります。したがって今日は、アメリカの政治的座標軸において、当初はアウトサイダーであった保守派が、およそ40年の年月をかけて、いかに現在の地位を獲得していったのかを概説したいと思います。

現在に連なる保守主義運動がアメリカで産声をあげたのは、50年代初頭のことです。しかし、誕生当初、それは政治運動というよりも、むしろ思想運動でした。1953年、アイゼンハワー共和党政権が誕生し、20年続いた民主党支配に終止符を打ちます。しかし、アイゼンハワー政権は、多くの人から、「なにもしない政権」と呼ばれ、批判の対象となります。このアイゼンハワー評価は、いまでは大分見直されていますが、当時の共和党員、とりわけ保守的な共和党員にとっては、「大きな期待外れ」という評価が一般的でした。保守的な共和党員の多くは、この原因を「アイディアの不在」に求めました。それまで、民主党が、大恐慌、第二次大戦に直面するなか、多くの新しいアイディアを導入し、それを政策として実現させてきましたが、新しい共和党政権は、民主党の提示したアイディアに対抗しうる確固たる思想を持っていませんでした。
この空白を埋めるべく、思想運動としての保守主義が産声を上げます。当初、アメリカの保守思想には、三つの潮流が併存していました。それは、リバタリアニズム(日本語では自由至上主義と訳されます)、二番目に伝統主義(これはヨーロッパ流の保守主義に近いものです)、そして三番目に反共主義がありました。
リバタリアニズムは、計画経済に対する徹底した不信感というのが目立った特徴です。これは、共産主義、社会主義、ニューディール等、あらゆる「計画経済的なるもの」に対し、強い敵対意識をもつ勢力でした。これは「大きな政府」への不信というかたちで現在も息づいています。
伝統主義は、いわば「安定した秩序への回帰」を求める勢力です。これは、ヨーロッパのような回帰すべき安定した過去をもたないアメリカにおいて、いかに伝統的な保守主義を導入できるか、という試みでもありました。これは、後の宗教の復権という動きとも連動しています。
反共主義は、共産主義との対決を、文明史的なスケールの挑戦として位置づけようとした勢力です。当時のアメリカでは、反共主義といえば、マッカーシー上院議員の赤狩りと同一視されてしまいました。したがって、反共保守派は、反共主義を、排外主義もしくは反知性主義とは明確に区別し、確固たる政治的立場として確立しようとしました。冷戦終焉後も、この勢力は、強いアメリカの維持というメッセージを軸に、影響力を発揮しています。いわゆる「ネオコン」と呼ばれる政策集団も、この分派であるといえましょう。
すでにお気づきかもしれませんが、この三つの潮流は、必ずしも同じ方向を向いているとは限りません。例えば、市場経済を伝統破壊の一因みなす伝統主義は、市場経済を絶対視するリバタリアニズムと対立する場合があります。また、積極的な外交・安全保障政策には結びつかない伝統主義やリバタリアニズムは、時に反共主義の積極介入主義と相容れない場合がありました。
この三つの相異なる思想を束ね、保守主義として一つの政治運動にまとめあげる役割を果たしたのが、1955年創刊の『ナショナル・レビュー』という雑誌であり、その編集者であったウィリアム・バックリー・Jr.という人です。『ナショナル・レビュー』誌の発行人であったウィリアム・ラッシャーは、次のように述べています。「バックリーは、『ナショナル・レビュー』誌を舞台として、ライオン、熊、虎を座らせ、それぞれに問題は「リベラリズム」だということを納得させ、ひとつの運動をつくり上げていった」。単純化していえば、バックリーの定式化は次のようなものでした。リベラリズムは、大きな政府、伝統破壊、容共主義の温床である。こう定式化すれば、三つの相異なる保守的な潮流はひとつの方向を向いて運動を展開することが出来ます。こうやって50年代後半に、保守思想の交通整理が行われ、60年代に入ると、この思想をベースに政治運動化していきます。
60年代には、アリゾナ州選出の上院議員、バリー・ゴールドウォーターが保守主義運動の象徴となります。64年、ゴールドウォーターは、共和党の大統領候補となります。その指名受諾演説は、いまでも保守派が政治の表舞台にはじめて登場した、分水嶺的出来事として語られます。彼はその演説で次のように述べます。「自由を守るための急進主義は、いかなる意味においても悪徳ではない。そして、正義を追求しようとする際の穏健主義は、いかなる意味においても美徳ではない!」この演説を、会場に集まった保守派は、歓呼して迎え、共和党穏健派は党内の新しい力学を敏感に感じ取ったといわれます。
選挙では、ゴールドウォーターは、現職のジョンソン大統領に大敗を喫します。しかし、この時期に設立された保守系の政治団体は、後に保守主義運動の指導者になる人たちを輩出していきます。後にカリフォルニア州知事、そして大統領になるロナルド・レーガンもその一人でした。64年の敗北を受けて、保守派は運動の組織的基盤を整える必要性を痛感します。こうして、アイディアや思想を具体的な政策として組み立てていくシンクタンク、グラスルーツの組織化、人脈のネットワーク化、支持者のデータベース化、若手の育成などに力を注いでいきます。この運動のインフラとでもいうべきものが、後の保守主義台頭の基盤となっていくわけです。
最後に保守主義運動が成功した理由について考えてみたいと思います。まずは、すでに指摘したように、異なる思想的傾向を一つに束ね得たことです。しかし、それと同時に重要なのが、アメリカ政治のメインストリームには馴染まない保守系団体を、はやい時期に運動から排除したことです。具体的には、極右勢力とされたジョン・バーチ協会の運動からの排除です。また、保守主義を、単に過去や伝統への回帰でなく、新しいヴィジョンを提供するものと、支持者に納得させることに成功します。さらに、宗教心と愛国心に訴えかけたこともプラスに作用したといえましょう。アメリカにおいて、権力への階段に、宗教に対する懐疑心の場所がないことは、近年ますます明らかになっています。これを保守派は、はやい時期から見抜いていたといえましょう。
しかし、最も重要なのは、アメリカの保守派は、当初、共和党の再建のために保守主義を導入したのではなく、保守思想を実現するために共和党を利用した、という点です。こうして、共和党自体がだんだんと保守化していく中で、80年代にはレーガン政権が、90年代にはギングリッチ下院議長率いる共和党議会が誕生し、2001年には「思いやりのある保守主義」をスローガンに、ブッシュ政権が発足、2004年には再選を果たします。1950年代に運動が輪郭を見せ始めた当初、共和党内においてさえ異端であった保守派は、いまその最盛期にあるといえましょう。

(2005-02-23)

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