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『China Report』Vol. 7
中国新指導部の“プロファイリング”①:
栗戦書 大器晩成型のジェネラリスト


李昊(日本国際問題研究所 若手客員研究員)



 2017年10月に中国共産党第19回全国代表大会(通称:党大会)とそれに続いて第一回中央委員会全体会議(通称:一中全会)が開かれ、今後5年間の中国を治める新しい指導部が発足した。この新指導部について、学術界でもメディアでも、習近平への権力集中が際立つとの見方が支配的である。それは概ね正しい観測であろう。新指導部の顔ぶれを見ても、習近平に近いと思われる人物が多く抜擢された。
 中国共産党の指導部とは、中央委員会が選出する政治局と、更にその中から選ばれる最高指導部の政治局常務委員会のことを指す。今期は政治局委員が25名、政治局常務委員が7名である。今回の党大会と一中全会で、政治局と政治局常務委員会の大規模なメンバー交代がなされたが、多くの人物について、必ずしもその人となりが知られているわけではない。本コラムでは、新指導部の中でも注目すべき人物を数人取り上げ、そのプロファイリングを行い、紹介することとする。それぞれの人物について、①経歴、②人脈、③政策、思想的傾向を分析し、その上で④今後の展望を示す。
 第一回では、序列三位の新政治局常務委員、栗戦書を取り上げる。

経歴1
 栗戦書は2012年に中央弁公庁に転任するまで、約40年にわたって地方勤務経験を積んだ。1972年に地元河北省の職業訓練学校を卒業して、石家荘地区の商業局に就職したところから栗戦書のキャリアはスタートした。転機は1982年にやってきた。1980年代初め、中国社会に共産党の領導や社会主義イデオロギーへの疑問が広がった。それに対して、石家荘地区党委員会弁公室の事務員をしていた栗戦書は、当時党主席だった胡耀邦に手紙を送り、「社会主義はいいものである」という古い歌をもう一度高らかに歌うべきだと訴えた。この手紙は、中央宣伝部に転送され、『人民日報』にも掲載された2。この出来事が直接どのような作用をもたらしたかを示す資料はないが、栗戦書は翌1983年に33歳で河北省の無極県党委員会書記に昇進する。栗戦書はその後15年間河北省でキャリアを積んだ。なお、1986年から1990年までは共産主義青年団(共青団)河北省委員会書記を務めている。
 栗戦書は1993年に秘書長として河北省党委員会常務委員に昇進したが3、そこから一時期キャリアの停滞が見られた。その原因は、当時の上司である河北省党委員会書記の程維高とその秘書との関係が悪かったことだったと言われている4。その後、栗戦書は1998年に陝西省に異動し、組織部部長、西安市党委員会書記などを務めた。2003年に黒竜江省副省長に異動し、2007年に省長代理に昇進、翌年正式に省長になった。省党委員会常務委員から省長まで昇進するのに15年かかったのは、かなり遅い方である5。2010年に貴州省党委員会書記に転任したが、この時点でもさほど注目を浴びる存在ではなかった。その後、2012年7月に突如中央弁公庁副主任として中央に抜擢された。9月に令計画に替わって主任に就任し6、2012年の党大会とそれに続く一中全会で中央政治局委員に昇進した。党大会以後は、習近平の地方視察や外遊に必ず同行するなど、総書記を精力的に支えた。また、2014年に設置された中央国家安全委員会の弁公室主任(事務局長)を兼任したことも注目された7。栗戦書は、中央弁公庁主任、政治局委員を無事一期務めたのち、2017年の党大会とそれに続く一中全会で政治局常務委員会入りを果たした。このように、栗戦書はゆっくりとしたスピードで昇進し、大器晩成型の人物と評される8。今期の政治局常務委員会の中では最年長である。
 栗戦書の40年に渡る地方勤務の中で、共青団の経験があり、県、市、省の各レベルの党委員会書記を務め、黒竜江省時代には副省長および省長として政府での勤務経験もある。勤務地の面でも、華北、西北、東北、西南と多様な地域を見てきている。中央では中央弁公庁という党の重要役所を無難に運営した。このように、栗戦書はジェネラリストとしてキャリアを積んできた。学歴についても言及しておくと、栗戦書は職業訓練学校出身だったが、キャリアを積む過程で、河北師範大学、中央党校、社会科学院、ハルビン工業大学などの夜間学校、通信課程や社会人教育課程などを利用して勉学を続けた。最終的には、2007年に高級工商管理修士の学位を取得している。

人脈
 栗戦書は1980年代後半に河北省で共青団の省委員会書記を務めていたため、中央の政治に登場した時、胡錦濤に近い人物として報じられていた9。しかし、栗戦書と胡錦濤の特別な関係や交流を示す材料は共青団での経歴以外にはなく、メディアもそれ以上の根拠を提示していない。一方、実は栗戦書と習近平の交流は長い。1980年代、栗戦書が河北省無極県党委員会書記を務めていたとき、同省のすぐ近くの正定県の書記が習近平であった10。二人は3歳差で年齢も近く、会議などで顔を合わせる機会も多かったようだ。両者は若手書記同士で馬が合い、習近平は栗戦書を兄貴分として慕っていたと報じられている11。また、栗戦書は陝西省勤務経験もある。陝西省は習近平の文化大革命中の下放先であり、本籍地でもある。習近平の人脈の一部は陝西省にゆかりのある人物たちであり、栗戦書も往々にしてその「陝西閥」の一人に数えられる12
 ただ、栗戦書と習近平との関係がいつ実際に緊密になったのかははっきりしない。2012年に栗戦書が中央弁公庁に抜擢された時、上述のようにいくつかのメディアが河北時代のつながりを報じたが、必ずしも習近平との親しさを強調したものではなかった13。あるいは、2011年に習近平が貴州省を視察した時に、栗戦書が全行程同行したと言われ、その間に密な交流ができたことで、習近平が栗戦書を高く評価し、2012年の抜擢につながったという見方もある14。中央弁公庁は党の日常業務を司る役所であり、その主任は最側近として、総書記の活動を支える重要な役職である。情報の不足のため、栗戦書抜擢の人事決定過程を実証的に明らかにすることはできない。しかし、当時の総書記胡錦濤と次期総書記に内定していた習近平の双方が受け入れられる人材が栗戦書であったことは間違いない。習近平が総書記に就任して以降、地方視察や外遊に必ず栗戦書が同行し、習近平を大番頭として支えてきたことは事実である。両者の蜜月ぶりを見て、今日では栗戦書を習近平の腹心と見なすことに異論を唱える者はいない。
 なお、栗戦書は長く地方に勤務していたため、江沢民をはじめとする他の元老や中央幹部との関係ははっきりしない。長らく地味な存在であり続け、派閥闘争に加わらなかったからこそ、目立った敵対者や反対者がおらず、最後の大出世につながったとも考えられる。

政策、思想的傾向
 経歴に関する記述でも触れたように、若い頃の栗戦書は「社会主義はいいものである」と強調すべきだと考えていた。このような考え方を今も持っているかは明らかではないが、これまで党の路線から外れる言動は見られず、共産党幹部の優等生である。
 また、栗戦書は共産党員一家の出身であり、親族の多くが革命に従事した。その意味では、習近平と同様に「紅二代」としての背景を持つ。中でも叔父の栗政道は26歳で戦死した烈士である。栗戦書という名前は、栗政道が戦地から家に送った手紙、「戦地家書」からつけられたものである。栗戦書が書いた叔父を追悼するエッセイには、叔父の存在に大きな影響を受けたことが綴られており、そしてこれらの烈士の犠牲の上に成立した共産党政権に対する強い愛着と忠誠心が表明されている15
 過去に栗戦書が書いた文章やインタビュー、地方の党や政府、人民代表大会での報告などを見ると、他の地方幹部と同様に勤務地の経済発展を遂げることが彼の活動の中心だったことがわかる。中でも、貴州省党委員会書記時代に党中央機関紙『求是』などの媒体に多くの文章やインタビューが掲載されている。貴州省という中国の最貧困地域の書記を務めていたということもあって、特に農業、民生向上、貧困撲滅などに強い関心があったことが伺える16。ただ、これらは地方幹部として、それぞれの地域、部門の責任者の立場から語っていることが多く、栗戦書個人の政策選好をはっきり見て取るのは困難である。しかし同時に、実務家として地方の需要に即して着実に仕事をこなしていたことの証左でもある。
 2012年に中央弁公庁に転任して以降、栗戦書が政策について語ることはほとんど無くなった。2016年の秋の六中全会で習近平が党の「核心」という地位を獲得するが、栗戦書は1月頃から「核心意識」という言葉を使い始め、一部の地方幹部と共に習近平への権力集中を推進していた17。このことから、栗戦書は習近平への権力の集中に賛同する立場であることがわかる。

今後の展望
 栗戦書は序列三位の政治局常務委員として、2018年春の全国人民代表大会(通称:全人代)で同常務委員会委員長に就任するものと思われる。これまでの慣例に従えば、このポストは香港・マカオ関連の業務も担当するはずだが、今の所まだ確定はしていない。なお、党大会直前までは、栗戦書が王岐山の後任として規律検査委員会書記に就任し、反腐敗闘争を主導すると報じられていたが18、結果としてその役職には趙楽際が就任した。これが単なる誤報なのか、あるいは決まりかけたものが最終決定直前に何らかの理由で変更になったのかは不明である。
 政治局常務委員になると、総書記の地方視察や外遊への同行はなくなる。栗戦書が今後どのように活動していくのかは不明だが、前任者の張徳江や呉邦国の例を考えても、ニュースに大きく取り上げられるような目立つ活動は多くないと思われる。今の所、習近平と対立する要素は見当たらず、政治局常務委員の一人として、習近平を支えていくことになるだろう。なお、中国共産党の現在の定年に関する不文律に従えば、栗戦書は2022年の党大会で政治局常務委員を退き、翌年春の全人代で完全引退することになる。



1 栗戦書の公式経歴については、新華社のウェブページを参照(URL: http://news.xinhuanet.com/politics/19cpcnc/2017-10/25/c_1121856306.htm 2018年1月1日閲覧)。
2 この経緯については、李容「栗戦書:新中弁主任的多重歴練」『領導文萃』2013年第3期(上)、52—56頁参照。手紙の原文は、中共河北省石家荘地委弁公室栗戦書「建議全国人民大唱『社会主義好』」『人民日報』1982年5月26日。この手紙の中で栗戦書は「個人的に、この歌は『輸入』された西側の音楽よりも何千倍も何万倍もいいと思う」とナショナリスティックなことも書いている。
3 同じ年に習近平は福建省党委員会常務委員に昇進している。なお、習近平は1990年に福州市党委員会書記に就任している。
4 古谷浩一「核心の中国 側近(8) 上司と不仲 その結果、昇進」『朝日新聞』2017年4月21日。なお、程維高の秘書は2000年に汚職で摘発され、死刑になり、程維高自身も2003年に汚職腐敗によって党籍剥奪の処分を受けている。
5 この段階の昇進にかかる期間は、平均で8年と言われる。「栗戦書逆襲:最年長常委的成長之路」『多維新聞』2017年10月25日(URL: http://news.dwnews.com/china/news/2017-10-25/60019536.html 2018年1月1日閲覧)。
6 この時、令計画は党統一戦線部長に転任するが、後に規律違反によって失脚する。
7 高木誠一郎「『中央国家安全委員会』について」『国際秩序動揺期における米中の動勢と米中関係 中国の国内情勢と対外政策』(平成28年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書)東京、日本国際問題研究所、2017年、13頁(URL: http://www2.jiia.or.jp/pdf/research/H28_China/01-takagi.pdf 2018年1月10日閲覧)、David M. Lampton,“Xi Jinping and the National Security Commission: Policy Coordination and Political Power,” Journal of Contemporary China, Vol. 24, No. 95 (2017) pp. 772-773.
8 日本経済新聞社編『習近平の支配』日本経済新聞出版社、2017年、171頁、楊丹旭「低調憨実整頓中弁 栗戦書大器晩成」『聯合早報』2017年10月23日(URL: http://www.zaobao.com.sg/special/report/politic/cnpol/story20171023-804996 2018年1月1日閲覧)。もちろん、栗戦書が本当の「大器」であるかは、今後の仕事ぶりから評価されることになるだろう。
9 例えば、「習近平体制の秘書役が就任 胡氏派・栗氏」『読売新聞』2012年9月2日、成沢健一「中国:総書記側近に胡主席派 新指導部安定狙い」『毎日新聞』2012年9月2日、Choi Chi-yuk “Hu Names Protégé Li Zhanshu as Key Aide to Xi Jinping,” South China Morning Post, 2012.2 September.
10 いくつかのメディアは、栗戦書について報じた際に、この経歴を紹介している。鍾仕「『習班底』第一步 貴州書記料調中央」『明報』2012年7月19日、林望「習氏『最側近』に栗戦書氏 中国」『朝日新聞』2012年9月2日。Choi Chi-yuk “Hu Names Protégé Li Zhanshu as Key Aide to Xi Jinping,” South China Morning Post, 2012.2 September.
11 日本経済新聞社編『習近平の支配』日本経済新聞出版社、2017年、170頁。
12 Cheng Li, Chinese Politics in the Xi Jinping Era: Reassessing Collective Leadership. Washintong D.C.: Brookings Institution Press, 2016, p.315 。 実際に栗戦書の陝西省勤務の間に習近平と直接交流があったことを示す材料はないが、2000年に習近平の母親と姉、弟および『習仲勲文選』の編集者が渭水革命烈士記念碑を訪れた際に、栗戦書が同伴したことが知られている。「被上司排擠 徘徊副部級15年」『明報』2017年10月3日。
13 同じ時期、『産経新聞』はむしろ習近平が派閥を超えて胡錦濤に近い栗戦書を指名したものだと報じた。矢板明夫「中国指導者の登竜門・次期政権の“大番頭”ポスト 栗戦書氏浮上 習近平氏、派閥超え直接指名」『産経新聞』2012年7月25日。
14 「栗戦書逆襲:最年長常委的成長之路」『多維新聞』2017年10月25日(URL: http://news.dwnews.com/china/news/2017-10-25/60019536.html 2018年1月1日閲覧)、「習近平考察貴州記実」『貴州日報』2011年5月12日(URL: http://cpc.people.com.cn/GB/64093/64094/14621800.html 2018年1月1日閲覧)。
15 日本経済新聞社編『習近平の支配』日本経済新聞出版社、2017年、167-169頁、「新聞資料:栗戦書撰文緬懐叔父栗政通」『大公網』(URL: http://www.takungpao.com/mainland/content/2012-09/03/content_1041811.htm 2018年1月4日閲覧。本記事は栗戦書「寸心的表白 緬懐叔父栗政通烈士」『河北日報』2005年6月22日の転載である。なお、元のエッセイは2001年に書かれた)。
16 例えば、栗戦書「科学技術引領:農業現代化的希望之路」『求是』2010年第16期、30-32頁、趙宇飛・蒙珺「為貴州人民幹事創業謀福祉 訪中共貴州省委書記栗戦書」『当代貴州』2010年第17期、18-21頁、黄文川「在科学発展的快車道上前行 訪中共貴州省委書記栗戦書」『求是』2011年第2期、25-27頁、栗戦書「大力加強党建扶貧工作 努力実現與全国同歩進入小康社会的目標」『求是』2011年第23期、8-10頁など。
17 「栗戦書在中直機関党的工作会議上強調 牢固樹立和自覚践行看斉意識 始終同以習近平同志為総書記的党中央保持高度一致」『人民日報』2016年1月28日。六中全会で習近平が「核心」という地位を獲得した後も、栗戦書はその意義、重要性を説く文章を人民日報に寄せ、習近平をサポートしている。栗戦書「堅決維護党中央権威」『人民日報』2016年11月15日。
18 例えば、西村大輔、延与光貞「反腐敗トップに栗戦書氏 習主席の最側近、昇格へ」『朝日新聞』2017年10月12日。

(2018-02-06)

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