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『China Report』Vol. 25
中国新指導部の“プロファイリング”④:
趙楽際 反腐敗の新たな旗手


李昊 (日本国際問題研究所 若手客員研究員)



 2017年10月、中国共産党第19回全国代表大会(通称:党大会)と第一回中央委員会全体会議(通称:一中全会)が開かれ、今後5年間の中国を治める新しい指導部が発足した。本シリーズでは、新しい指導部の注目すべき人物について、①経歴、②人脈、③政策、思想的傾向、④今後の展望の四つの視点からプロファイリングを行い、紹介している。
 今回は、序列六位の新政治局常務委員、趙楽際を取り上げる。

経歴1
 趙楽際は1957年に青海省西寧で生まれたが、本籍地は陝西省西安である2。幼少時代をどこで過ごしたかについて、入手可能な資料からは明らかでないが、公式経歴は文化大革命中の1974年に青海省貴徳県に「知青」(知識青年)として赴いたところから始まる3。1年で都市に戻り、1975年から1977年まで青海省商業庁の通信員として働いた。1977年2月に北京大学哲学系に入学し、1980年までそこで学んだ4。趙楽際は1980年に青海省に戻るが、以後2007年まで30年近く青海省で働いた。1980年から1993年までは商業庁関連部門に勤めた。商業庁の事務員から始まり、省商業学校教員、同校共産主義青年団委員会書記、商業庁政治処副主任、商業庁の共産主義青年団委員会書記、青海省五金交電化工公司5党委員会書記兼経理を経て、1986年に商業庁副庁長兼党委員会副書記に就任し、1991年に商業庁の庁長兼党委員会書記に昇進した。1993年に商業庁を離れた後、青海省長助理兼省財政庁庁長、青海省副省長、西寧市(青海省の省都)党委員会書記、省党委員会副書記兼省長代理と順調に昇進を重ねた。2000年1月に42歳の若さで青海省長に昇進し、2003年から2007年までは省のトップである党委員会書記を務めた。就任当時はいずれも全国最年少省長、最年少省党委員会書記であり、中国政界の若手のホープであった。趙楽際が省長及び省党委員会書記に在任していた期間、青海省のGDPは2000年の263億元から2006年の641億元に増大した6。なお、青海省勤務期間中、趙楽際は中国社会科学院や中央党校の党幹部向けの社会人大学院コースに通った経験があるが、修士学位は取得していない。
 2007年の3月、趙楽際は本籍地である陝西省の党委員会書記に転任した。中国には、歴史的に腐敗や癒着を防止するため、地方の責任者に地元出身者を登用しないという「廻避」の制度があり、中国共産党も厳密ではないものの、ある程度それにしたがって人事を行っている。趙楽際はこの制度があるにもかかわらず本籍地である陝西省の党委員会書記に選出された。趙楽際の青海省における業績を党中央が高く評価していたことの表れであろう。
 2007年10月の第17回党大会において、政治局委員に昇進するという見方もあったが、それは実現しなかった7。5年後の2012年の第18回党大会後の一中全会で政治局委員に抜擢され、直後に中央組織部長および中央書記処書記に就任した。2017年の夏に、陝西省時代の側近である魏民洲が汚職腐敗の廉で摘発されたため、秋の第19回党大会での昇進は難しいという見方もあったが8、党大会で王岐山の後任として中央規律検査委員会書記に就任し、続く一中全会で政治局常務委員に選出された。
 趙楽際が5年間部長を務めた中央組織部は、党の人事を司る重要部門である。党員や幹部に関する様々な情報を収集し、地方幹部や党各部門幹部の人事決定にあたっては、候補者の人物紹介資料の作成や推薦を行うことができる9。第一期習近平政権が進めた反腐敗運動の直接の担当は王岐山率いる中央規律検査委員会だったものの、摘発対象の人物照会、人脈関係の把握、後任の選出など、これら党幹部をめぐる問題は当然中央組織部の管轄でもある10。その意味で、中央規律検査委員会と中央組織部には業務の重複があり、趙楽際の中央規律検査委員会書記への選出には、この組織部門での経験が考慮された可能性もある。
 趙楽際には2012年から2017年までの中央組織部での経歴を除いて、党中央や国務院での勤務経験はなく、地方で長らく活動した。中でも、青海省と陝西省という西北部の二省でキャリアを積んでおり、西北に縁の深い人物である。また、趙楽際は陝西訛りが強いことでも有名である。記者会見や取材を嫌うことが知られており、メディアに登場することが少ない11。そのこともあってか、趙楽際の人物像を知りうるエピソードも少ない。

人脈
 趙楽際は省長レベルまで異例の速さで昇進したものの、明確な後ろ盾がいた様子はない。そのため、趙楽際は派閥色が薄い人物だと言われることがある12
 しかし今日、趙楽際は習近平の側近と言われることが多い。例えば本籍地に着目して、趙楽際を習近平率いる「陝西閥」の一員と考える論考や報道がある13。本来本籍地が同じであるだけでは、両者の間に交流があるとは限らず、関係が緊密であることの根拠とはならない。とはいえ、習近平には文化大革命中に陝西省延安の梁家河村に下放された経験もあり、「陝西は根であり、延安は魂だ」と語るほど陝西省に強い思い入れを持っていることもよく知られている14。そのため、陝西省と縁がある人物に対して、習近平が何らかの親しみを持ち得ることは想像できる。
 習近平と趙楽際が陝西省という共通項を通して、関係を深めたことを示唆するエピソードはいくつかある。趙楽際は2007年に陝西省党委員会書記に就任した直後に、同省富平県にある習仲勲の墓地の大規模拡張を断行し、文化大革命中に習近平が暮らした梁家河村についても革命を学ぶ「教育基地」として整備したという。また、2009年に習近平(当時政治局常務委員、国家副主席)が陝西省を視察した際、梁家河村に立ち寄る時間がない習近平のために、趙楽際は習近平と親交の深かった村民4人を視察先の延安市内に呼び、習近平との夕食会を開いたともいわれる15。趙楽際のこれらの行動が事実であるならば、習近平の歓心を買うことにつながった可能性はある。しかし、中国の公式メディアから、これらのエピソードが事実であったと断言するに十分な根拠は見当たらず、信憑性に疑問の余地があることは断っておく。
 趙楽際と習近平の関係が良好であると推測できるより重要な根拠は、中央組織部長としての趙楽際の働きぶりである。第一期習近平政権の間、習近平に近いとされる人物が次々に地方のトップや党の重要部門の幹部に登用されたが16、それは中央組織部とその部長たる趙楽際の協力無しには成し得なかったと思われる17。また、第19回党大会前の新指導部選出過程における趙楽際の貢献も重要である。胡錦濤政権では、第17回党大会と第18回党大会における新指導部人事の決定にあたって、「民主推薦」あるいは「会議推薦」と呼ばれる投票が行われ、その結果が新指導部人事にある程度反映された18。しかし、第19回党大会の準備段階で、中国共産党はこの方式を取りやめ、面談方式を採ることになった19。新指導部選出過程について説明した新華社配信記事は、制度変更の理由の一つに、周永康や孫政才、令計画らが会議推薦の制度を悪用して票の売買を行ったことを挙げている20。新しい方式では、現職の中央指導者たちが次期指導部候補者や引退幹部たちと面談し、広く意見の聴取を行うことになり、習近平自身も57名と面談したという21。また、新たな方式に基づいて新指導部に推薦する人物の条件として、習近平を核心とする党中央と高度な一致を保ち、その権威と集中的かつ統一的な領導を擁護することが強調された。このような方式は、当然人事決定において習近平の意向をより反映しやすくする効果を持った22。新指導部選出過程を説明した新華社記事の中に、趙楽際の役割に関する記述はない。しかし、新指導部選出方式の制度設計や面談の資料準備、候補者名簿の作成、面談の調整などには当然人事を司る中央組織部が深く関わっており、その部長たる趙楽際の役割は必然的に重要なものである。その意味で、趙楽際が習近平の権力強化に大きく貢献したことは間違いない。これらの事柄に鑑みるに、趙楽際と習近平の関係はおそらく良好であると思われる。
 趙楽際は、青海省時代に商業庁や商業学校の共産主義青年団委員会書記を務めた経験はあるものの、共産主義青年団出身者に広い人脈を持つ胡錦濤やその側近たちと個人的なつながりを示す材料はない。ただ、少数民族が多い青海省において安定を維持したことが胡錦濤に評価されたという報道がある23。また、胡錦濤は就職した後、1982年まで十数年に渡って西北地方の甘粛省に勤めており、西北地方の事情をよく知る。その意味では、胡錦濤と趙楽際に縁があるとも言える。
 補足として述べれば、広西チワン族自治区桂林市の党委員会書記を務めている趙楽秦は趙楽際の弟である24

政策、思想的傾向
 栗戦書と同様に、趙楽際は地方幹部としてのキャリアが長く、これまで発表されている文章や発言は、個人の考えというよりも地方の利益代弁者としてのものが多い。他の地方指導者と同様に、趙楽際も江沢民の「三つの代表」や胡錦濤の「和諧社会」、「科学的発展観」を絡めて開発や建設について語った文章をいくつも発表してきた25。青海省と陝西省という自然環境が厳しい西北地域に長らくいた趙楽際にとって、経済発展が主要な関心であったことは言うまでもない。趙楽際は、江沢民が打ち出した「西部大開発」にも精力的に取り組み、2000年には青海省長として『朝日新聞』の「西部大開発」に関する取材に応えている26。趙楽際は、インフラのほか、教育、放送事業、農村の医療体制づくりに力を入れ、資源を生かした工業の開発を進めると述べ、その際の資金の手当については、計画経済時代のように中央政府に頼ったり、沿岸部のように外資に依存したりせず、民間部門を頼りにすると発言している。
 趙楽際は、貧困対策や民族問題にも力を入れていたようである27。陝西省着任後、趙楽際は即座に西安市内の回族居住区の強制移転を中止させ、民族衝突の危機を回避したという。これは、青海省での少数民族関連業務の豊富な経験に基づいた措置だったと思われる。また、陝西省内をくまなく回り、各地でまず民生について問い、「貧困対策では一人たりとも漏らしてはならない」と話したという報道もある。
 2012年以降、中央組織部長としての趙楽際は、習近平の権力基盤の強化、勢力拡大に賛同する立場であったと考えられる。2016年秋の六中全会で習近平が党の「核心」の地位を獲得するが、趙楽際は4月頃から地方視察などで「核心意識」という言葉を使い始め、習近平への権力集中を支持していた28。また、上でも述べたように、第19回党大会前の次期指導部選出方式変更を進めたことも趙楽際の立場を示すものである。

今後の展望
 今後五年間、趙楽際は中央規律検査委員会書記として活動する。前任者の王岐山(現国家副主席)は習近平が主唱する反腐敗運動を取り仕切り、大きな注目を集めた29。習近平は依然として反腐敗運動を進めており、趙楽際は新たな反腐敗担当者として、その陣頭指揮に立つことになる。ただし、果たして趙楽際が王岐山と同様な存在感を発揮し、活躍できるかについては不確定要素もある。
 まず、王岐山以前、中央規律検査委員会やその歴代の書記たち(賀国強や呉官正)は必ずしも大きな存在感を有していなかったことに留意しなければならない30。王岐山が華々しく活躍できたのは、政治キャンペーンとしての反腐敗運動の重要性、習近平の王岐山に対する信頼の篤さ、そして何より王岐山の実力や行動力の故である。今後反腐敗運動がいつまで続くのかは不明である。また、習近平が王岐山と同程度に趙楽際を信頼しているかも不明である31。そして、反腐敗運動を司る趙楽際の能力がどれほどのものかもわからない。とはいえ、趙楽際は中央組織部長を5年間務めていたため、組織人事に関する経験と情報を多く持っており、それが中央規律検査委員会での活動に大きく役立つことは言うまでもない。
 今後の趙楽際の活動を展望する上で、もう一つ不確定要素となるのは、新設された国家監察委員会である。これまで党の中央規律検査委員会は国家機関の国務院監察部と事実上一体となって業務を行ってきたが、国家機構の改革が行われることになって、監察部や国家腐敗予防局をはじめとする監察関連部門を統合した国家監察委員会が3月の全国人民代表大会で設立された32。地方レベルでも監察委員会が設立され、いずれも党の規律検査委員会の書記が監察委員会の主任を兼ねたため、当初は趙楽際が国家監察委員会主任に就任するものと思われていた33。しかし、3月の全国人民代表大会で国家監察委員会主任に就任したのは、政治局委員、中央規律検査委員会副書記、国務院監察部長などを務める楊暁渡であった。国家監察委員会の権限がその主たる前身の監察部よりも強化されたこと、趙楽際が楊暁渡の中央規律検査委員会における直属の上司であること、そして、「党が国家を領導する」という中国共産党の統治の大原則を考慮すると、中央規律検査委員会および趙楽際の権限は強化されたと考えるのが合理的である。とはいえ、実際の運営には政治エリート間の相互作用が働くため、今後の役割分担、権力配置などには流動的な部分も多く、断定できる段階にはない。
 党大会後からこれまで、中央規律検査委員会はすでに多くの高級幹部を摘発しており、今の所、反腐敗運動は趙楽際の下でも強力に推し進められている34。上で挙げた不確定要因を考慮しても、趙楽際は今後ある程度大きな権限と存在感を発揮できると推測される。
 また、中国共産党が3月に発表した大規模な「党と国家機構改革方案」の中で新設あるいは改組された委員会の一つとして、会計検査を司る中央審計委員会があるが、趙楽際はその副主任に就任している35。新しい委員会の活動実態、権限はまだ十分に明らかにはされていないが、会計検査と反腐敗は密接に繋がっており、この委員会が趙楽際の活動を助ける効果を持つ可能性も十分にある。
 次回党大会が開かれる2022年の段階で、趙楽際は65歳であるため、年齢的には十分政治局常務委員への留任が可能である。とはいえ、定年や指導体制をめぐるルールは今や流動的になっており、予想することは困難である。



1 趙楽際の公式経歴については、新華社のウェブページを参照(URL: http://www.xinhuanet.com/politics/leaders/2017-10/25/c_1121856321.htm 2018年7月20日閲覧)。
2 趙楽際が西寧生まれであることは、古い公式経歴に記載されている。「中共中央決定:趙楽際同志任陝西省委書記」『中国共産党新聞』2007年3月25日(URL: http://cpc.people.com.cn/GB/64093/64096/5516772.html 2018年7月20日閲覧)。
3 文化大革命中の1968年より、中学校を卒業した者が「知青」として農村に送られ、農業に従事するという「上山下郷」が広く行われた。
4 趙楽際は「工農兵学員」として、入学試験を経ないで北京大学に入学した。全国大学入学試験が復活したのは、1977年冬である。
5 青海省商業庁の管轄下の家電販売企業である。
6 傅航「陝西省委書記趙楽際:不辱使命不負重托」『人民網』2007年4月5日(URL: http://politics.people.com.cn/GB/14562/5627063.html 2018年7月20日閲覧、『中国青年報』より転載)。
7 「陝西書記有望入政治局」『明報』2007年7月29日、「ポスト胡、公開審査 中国共産党大会、異例の記者会見 内外に透明性強調も」『朝日新聞』2007年10月17日。
8 孫嘉業「趙楽際十九大入常無望」『明報』2017年5月24日、「趙楽際 中央組織部長 習氏父の墓地拡張」『読売新聞』2017年10月26日。
9 ただし、高層の人事について、中央組織部は決定権を持っていない。例えば、省レベルの党委員会書記人事は政治局が決定する。
10 反腐敗運動において中央組織部が何らかの役割を持っていたことを伺わせる一つの例は、2017年の孫政才失脚である。政治局委員であり、次期最高指導者候補とも目された孫政才は2017年7月15日に突如重慶市党委員会書記を解任された。その際、重慶市で幹部会議が開かれたが、孫政才は出席せず、中央組織部長の趙楽際が中央の決定を通告し、講話を発表した。その後、7月24日に中央規律検査委員会は孫政才に対する調査開始を公式的に宣言した。西村大輔「重慶市新トップ 異例演説 前任者への発言 報道なし」『朝日新聞』2017年7月17日、「核心の中国 失脚(1) 習氏への忠誠不足、致命傷」『朝日新聞』2017年8月3日、「重慶市召開領導幹部会議 趙楽際宣布中央決定並講話 陳敏爾講話 張国清主持」『華龍網』2017年7月15日(URL: http://cq.cqnews.net/sz/2017-07/15/content_42276124.htm 2018年7月20日閲覧)。
11 林哲平「キーパーソン:趙楽際氏=共産党中央規律検査委書記に就任する」『毎日新聞』2017年10月25日。
12 「孟建柱掌政法 降格不入常 趙楽際掌中組部 李源潮卸任」『明報』2012年11月20日、西村大輔「中国共産党大会2017 習氏権力固め、前進と停滞 党規約に名、全会一致で採択」『朝日新聞』2017年10月25日。
13 例えば、Cheng Li “Xi Jinping’s Inner Circle (Part 1: The Shaanxi Gang)”, China Leadership Monitor, Issue 43, 14 March 2014 (URL: https://www.hoover.org/sites/default/files/uploads/documents/CLM43CL.pdf 2018年7月20日閲覧)、「習近平研究 人脈(4) 『同郷閥』確立 権力固め」『読売新聞』2014年3月1日。
14 「習近平憶挿隊:我把自己当做一個延安人」『新華網』2015年2月14日(URL: http://www.xinhuanet.com/politics/2015-02/14/c_1114370816.htm 2018年7月20日閲覧)、「習近平研究 人脈(4) 『同郷閥』確立 権力固め」『読売新聞』2014年3月1日。
15 林哲平「キーパーソン:趙楽際氏=共産党中央規律検査委書記に就任する」『毎日新聞』2017年10月25日、「趙楽際 中央組織部長 習氏父の墓地拡張」『読売新聞』2017年10月26日、「習近平研究 人脈(4) 『同郷閥』確立 権力固め」『読売新聞』2014年3月1日。
16 例えば、現在の政治局委員の中でも習近平に近いと言われる李強(上海市党委員会書記)、李希(広東省党委員会書記)、陳希(中央組織部長)、黄坤明(中央宣伝部長)、蔡奇(北京市党委員会書記)、陳敏爾(重慶市党委員会書記)らはこの時期に昇進を重ねた。
17 産経新聞の矢板明夫は、趙楽際は指示がなくとも習近平の意中の人物を事前に察知して、根回しをした上で、「中央組織部の意見」として人事を提案するやり方をとったと報じている。矢板明夫「墓を造った男の大出世 きついなまりが出世レースではプラスに?」『産経ニュース』2017年11月10日(URL: https://www.sankei.com/world/news/171110/wor1711100022-n2.html 2018年7月20日閲覧)。
18 劉思揚、孫承斌、劉剛「為了党和国家興旺発達長治久安 党的新一届中央領導機構産生紀実」『人民日報』2007年10月24日、張宿堂、秦傑、霍小光、李亜傑「開創中国特色社会主義事業新局面的堅強領導集体 党的新一届中央領導機構産生紀実」『人民日報』2012年11月16日。第18回党大会における人事決定過程については、菱田雅晴「習近平“チャイナ・セブン”の選出過程 正統性は確保されたか?」『政権交代期の中国 胡錦濤時代の総括と習近平時代の展望』東京、日本国際問題研究所、135-155頁(URL: http://www2.jiia.or.jp/pdf/resarch/H24_China/07_hishida.pdf 2018年7月20日閲覧)も参考になる。
19 新指導部選出プロセスの変更については、新華社が公式記事を発表している。趙承、霍小光、張暁松、羅争光「肩負歴史重任 開創復興偉業 新一届中共中央委員会中共中央紀律検査委員会誕生記」『新華網』2017年10月24日(URL: http://www.xinhuanet.com/politics/2017-10/24/c_1121850995.htm 2018年7月20日閲覧)、趙承、霍小光、張暁松、羅争光「領航新時代的堅強領導集体 党的新一届中央領導機構産生紀実」『新華網』2017年10月26日(URL: http://www.xinhuanet.com/politics/19cpcnc/2017-10/26/c_1121860147.htm 2018年7月20日閲覧)。日本語でそれを解説した記事として、山口信治「中国共産党第19回全国代表大会の基礎的分析④ 習近平政権の確立と課題」『NIDSコメンタリー』第66号、2017年12月4日、3-4頁(URL: http://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary066.pdf 2018年7月20日閲覧)がわかりやすい。本段落の記述は、これらの記事に基づいている。
20 趙承、霍小光、張暁松、羅争光「領航新時代的堅強領導集体 党的新一届中央領導機構産生紀実」『新華網』2017年10月26日(URL: http://www.xinhuanet.com/politics/19cpcnc/2017-10/26/c_1121860147.htm 2018年7月20日閲覧)。
21 もちろん、習近平が誰と面談したのかは発表されていない。
22 実際に、第18期政治局委員のうち、年齢的には留任可能だったにもかかわらず、張春賢と劉奇葆(当時中央宣伝部長)はヒラの中央委員に降格し、李源潮(当時国家副主席)は中央委員にすら選ばれなかった。2018年の春に張春賢は全国人民代表大会常務委員会副委員長、劉奇葆は人民政治協商会議全国委員会副主席という閑職をあてがわれ、李源潮は国家副主席を退任し、完全引退となった。三人はいずれも習近平との関係に問題があったか、あるいは仕事ぶりに習近平が不満を持っていたと言われる。
23 「中国:政策実行力を重視 新体制、側近で固め 新常務委員の横顔」『毎日新聞』2017年10月26日。胡錦濤にチベット自治区勤務経験があることに留意されたい。
24 趙楽秦の公式経歴については、新華社のウェブページを参照(URL: http://www.gx.xinhuanet.com/gxzw/2018-02/01/c_1122351165.htm 2018年7月20日閲覧、『広西日報』より転載)。
25 「“三個代表”重要思想與西部大開発」『青海学刊』2003年第6期、4-7頁、「在発展中推進青海和諧社会建設」『求是』2005年第21期、26-28頁、「関於構建社会主義和諧社会問題的思考」『求是』2006年第22期、10-12頁、「在科学発展中全面建設西部強省」『求是』2012年第16期、15-17頁。いずれも趙楽際による署名記事である。なお、『求是』は中国共産党中央委員会の機関誌である。
26 「経済格差是正を期待 中国『西部大開発』、地元の思いを聞く」『朝日新聞』2000年5月10日。これは日本の大手新聞メディアに趙楽際が初めて登場した記事である。
27 「西部政壇明星 平歩青雲 主政中共発迹地習近平故郷」『明報』2012年9月12日。本段落の記述はこの記事に基づく。
28 盛若蔚「趙楽際在河南調研時強調 充分発揮基層党組織的戦闘堡壘作用」『人民日報』 2016年4月1日、「趙楽際到中国浦東幹部学院調研時強調 做貫徹党章党規貫徹習近平総書記系列重要講話的模範」『人民日報』2016年6月25日、盛若蔚「趙楽際勉励中央和国家機関與省区市双向交流任職中青年幹部在新的崗位奮発有為建功立業」『人民日報』2016年7月26日。
29 Jamil Anderlini “Profile: Wang Qishan, China’s Anti-corruption Tsar,” Financial Times, 5 August 2014 (URL: https://www.ft.com/content/bb14b9c4-1bce-11e4-9db1-00144feabdc0 2018年7月20日閲覧).
30 1978年に中央規律検査委員会が再設置された時、元老の陳雲が第一書記に就任したが、これは例外的である。陳雲は1987年まで第一書記の座にあったものの、中央規律検査委員会の業務は陳雲の活動の中で必ずしも大きな比重を占めていなかった。
31 趙楽際と王岐山を比較した記事として、褚文「解碼中共権力層:趙楽際是第二個王岐山?」『多維新聞』2017年12月8日(URL: http://news.dwnews.com/china/news/2017-12-08/60028498.html 2018年7月20日閲覧)がある。
32 国家監察委員会については、角崎信也「習近平政治の検証⑤:国家監察委員会」『China Report』 Vol. 23、日本国際問題研究所、2018年3月30日(URL: http://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=297 2018年7月20日閲覧)が参考になる。
33 「中国:第19回共産党大会 反腐敗部門、格上げ 権限を集約、監察新機構」『毎日新聞』2017年10月24日、「趙楽際掌中紀委機会高 候選名単不見王岐山」『明報』2017年10月22日。
34 摘発された幹部などは、中央規律検査委員会のウェブページで確認できる。「審査調査」『中共中央規律検査委員会 中華人民共和国国家監察委員会』(URL: http://www.ccdi.gov.cn/scdc/ 2018年7月20日閲覧)。
35 主任は習近平であり、もう一人の副主任は李克強である。

(2018-08-02)

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