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国問研戦略コメント(No.1) 「米国の脱退方針表明で岐路に立つINF条約」


主任研究員 戸崎洋史 研究員 岡田美保 研究員 伏田寛範



2018年10月21日、トランプ(Donald Trump)大統領は、射程500~5,500kmの地上発射弾道・巡航ミサイル(以下、中距離ミサイル)の米ロによる全廃を規定した中距離核戦力(INF)条約から脱退する意向を表明した。22~23日にはボルトン(John Bolton)大統領補佐官がモスクワを訪問してプーチン(Vladimir Putin)大統領、パトルシェフ(Nikolai Patrushev)国家安全保障会議書記、ラブロフ(Sergei Lavrov)外相らと会談を行った。両者は、11月11日に米ロ首脳会談を行うことで合意したと報じられているものの、ボルトン大統領補佐官は、ロシアに対する条約脱退の正式な通告が、「やがて行われるだろう」と述べている。INF条約からの脱退は、他の締約国に対する通告から6カ月後に発効すると規定されている。

トランプ大統領およびボルトン大統領補佐官は、二国間条約の一方の当事国であるロシアが違反するという状況が続いていること、ならびにINF条約の枠外にある中国が中距離ミサイルを増強して米国への脅威を高めていることを、条約からの脱退の理由に挙げた。米国は2014年に、ロシアが9M729/SSC-8地上発射巡航ミサイル(GLCM)をINF条約に違反して開発・発射実験していたと公式に提起し、これに対応するためにあらゆる選択肢を検討するとしてきた。そこには、INF条約からの脱退という選択肢も含まれていた。

しかしながら、INF条約の破棄と中距離ミサイルの配備が米国の安全保障利益に資するとは考えにくいとの意見も米政府内外で表明されてきた。米国は、通常弾頭搭載型の海洋発射巡航ミサイル(SLCM)および核/通常弾頭型の空中発射巡航ミサイル(ALCM)を保有しており、後者については更新のための新規開発を決定している。さらに、2018年2月に公表した核態勢見直し(NPR)では、米国の核態勢における主要な対象をロシア、中国、北朝鮮、イランとしたが、これらの国を中距離ミサイルで射程におさめようとする場合、―北京から4,000kmのグアムを除けば―欧州や北東アジアの同盟国に配備される必要があるものの、その受け入れは確実ではない。だからこそNPRでは、戦域レベルでの核抑止力における欠落を埋めるものとして、「抑止効果を提供するのにホスト・ネーション・サポートを必要としたり、これに依存したり」しない潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)搭載の低威力核弾頭、ならびに核SLCMの開発が打ち出されていた。これらの点だけを見れば、米国にとってINF条約から脱退し、追加的に中距離ミサイルを再配備する軍事的な有用性は高いとは言えない。また、独仏など主要な欧州NATO諸国が米国の脱退方針に反対の意向を明らかにしていることも、今後の展開を占う上で重要な点である。

他方、中国、あるいは中東や南アジアなど近隣諸国の活発な中距離ミサイル開発・配備に直接さらされるロシアは、INF条約に自国(および米国)のみが拘束されることに強い不満を表してきた。ロシアは2007年10月、国連総会で米国とINF条約の多国間化を共同提案したが、他国、とりわけ中距離ミサイル保有国から積極的な反応を得ることはなかった。ロシアはこの直後から、INF条約違反とされるミサイルの開発に着手した。その後、旧ソ連圏諸国との関係を巡る米・北大西洋条約機構(NATO)との緊張の高まり、ポーランド及びルーマニアへのミサイル防衛施設の整備もあり、ロシアにとってNATO諸国を射程に収めうる中距離ミサイルの重要性は一層高まっていると見られる。

ロシアはさらに、中国とのミサイルバランスも考えなければならない。中ロは近年、米国への対抗姿勢を共有して良好な関係を築いているが、両国は歴史的には対立してきた経緯もあり、ロシアは中国の台頭を手放しで歓迎しているわけではないだろう。中国は、核・通常戦力の近代化を積極的に推進し、中長期的にはロシアが劣勢に立たされかねないからである。なかでもロシアは、自国がINF条約締約国として保有できない中距離ミサイルを、非締約国の中国はその枠外で堂々と増強していることへの不満を強めてきた(この点に関して米ロは問題意識を共有しているとも言える)。INF条約の失効によって、中国に対応し得る中距離ミサイルを「合法的」に再配備できることは、ロシアにとって、悪くはない選択肢ではないかとの見方さえある。

しかし、INF条約の失効がロシアにもたらす不利益も無視できない。ロシアから見れば、米国による中距離ミサイルの欧州再配備の可能性が浮上することになるからである(ただし、主要な欧州NATO諸国が米国のINF条約脱退に反対する中で、再配備を受け入れる国があるかは現時点では分からない)。また、ロシアは、米国と並ぶ核大国としての地位の拠り所として重視する米ロ新戦略兵器削減条約(新START:有効期限は2021年2月まで)の期限延長を提案しているが、INF条約問題が解決しなければ、米国がこれに反対し、新STARTを失うという可能性もある。さらに、ロシアはここ数年の戦力整備の結果、相当数のSLCM、ALCMを配備し、シリアでの軍事作戦でその有効性を実証している。ロシア政府や連邦議会では、地上発射以外のミサイルで周辺国を射程に収める能力を獲得しているにもかかわらず、INF条約を失効させることは妥当ではないとの意見が多数を占めていた。

こうした米ロの事情をふまえれば、米国のINF条約脱退方針の表明が、ロシアによる条約不遵守問題の解決に向けた真剣な議論につながり、その結果として条約失効が回避される可能性も皆無ではない。同時に、米国による条約脱退の意向表明は、INF条約が米ロだけの中距離ミサイル保有を禁じながら、他方で中国をはじめとする諸国がその増強を続けているという現状に対する両国の問題意識を改めて浮き彫りにした。INF条約を冷戦の二極構造を前提とした成立当時の形のまま存続させることが果たして妥当なのか、妥当でないとすればどのような選択肢がありうるのか。上述のように、米国はINF条約から脱退する理由に中国の存在を挙げており、この点が条約の将来をめぐるもう一つの議論の焦点となるであろう。そのような議論の結果、米国とロシアが、INF条約を失効させつつ、中国を巻き込む形での新たな枠組みを提案する可能性も考えておかなければならないだろう。

その際に、日本として検討しておくべき課題の一つは、これまでも時折提案されてきた北東アジア版「二重決定」の問題である。INF条約締結の契機となった冷戦期のNATOの「二重決定」のように、中国を軍備管理交渉のテーブルに引き出すために、中距離ミサイルをアジア太平洋地域に配備するとの方針が打ち出される可能性も将来的には排除されない。このような方針は、東アジアにおける中国の一方的な軍備増強を抑制する契機となりうる一方で、中国との緊張を一時的にせよ高める可能性も排除できない。抑止と軍備管理が交差する難問に、長期的視野と戦略的思考をもった検討が求められる。

日本は1980年代のINF条約交渉過程で、重要な役割を果たした。当初は、欧州における中距離ミサイルの廃棄が提案され、ソ連のSS-20・中距離弾道ミサイルがシベリア・極東に配備される可能性が浮上したが、日本からの強い働きかけの下、最終的に「ゼロ・オプション」の達成に至ったのである。21世紀に入り、中国をいかに中距離ミサイルに関する軍備管理に巻き込むかは、日本の安全保障に直結する論点であると同時に、核兵器の廃絶に向けた重要なステップとなりうる。米ロからどのような提案がなされうるのか、またどのような提案であれば中国が受け入れうるのかは未知数だが、そうした日本にとって極めて重要な問題に、日本は1980年代と同様に積極的に関与していく必要がある。

(2018-10-25)

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