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連載企画:パレスチナ政治を読み解く鍵(5)
―パレスチナのイスラーム的解放運動


横田 貴之(研究員)



前回はパレスチナの世俗的なナショナリズムに基づく解放運動を概観しました。それらの運動はパレスチナ解放機構(PLO)という大きな傘の下で活動を行ってきたと述べましたが、今回取り上げるイスラームに基づく解放運動はその傘の外で誕生・発展してきました。本稿では、パレスチナの主要なイスラーム的解放運動であるハマースパレスチナ・イスラーム・ジハード運動(PIJ)に焦点を定め、両者の比較という視点から解説を加えます。なお、両組織について詳しくは、これまでの拙稿(ハマースPIJ)をご参照下さい。



パレスチナの世俗的解放運動の多くは1950-60年代に結成されました。当時のアラブ諸国の状況を見ますと、ちょうどアラブ・ナショナリズムの最盛期に当たります。例えば、パレスチナの隣のエジプトでは、ナセル大統領が1956年の第二次中東戦争(スエズ危機)で英仏イスラエルに政治的勝利を収め、彼を象徴とするナセル主義が多くの人々の支持を集めていました。そのような時代背景の中で、ナショナリズムに基づく解放運動であるファタハなどの諸組織が誕生したのです。一方、ハマースPIJが誕生したのは1980年代のことでした。パレスチナでこの時期にイスラーム的解放運動が誕生した要因はいくつか考えられますが、1970年代以降に中東諸国で興隆したイスラーム復興が主な要因の一つとして挙げられます。1967年の第三次中東戦争でアラブ諸国がイスラエルに敗北したのを契機に、アラブ・ナショナリズムへの失望が高まり、それに伴うようにイスラーム復興が顕現化したといわれます。



このイスラーム復興という現象に着目して1970~80年代のパレスチナを見ますと、ムスリム同胞団の活動がまず目に留まるでしょう。同胞団とは20世紀前半に隣国エジプトで結成されたイスラーム復興運動で、シャリーア(イスラーム法)施行とイスラーム国家樹立を目標に活動を行っています。エジプト以外のアラブ諸国でも同胞団は有力なイスラーム復興運動として活動しており、パレスチナでも20世紀前半から活発な活動が見られます。同胞団の特徴として、奪権によるイスラーム化ではなく、「個人→家庭→社会→国家」と段階的・漸進的にイスラーム化を志向するという点を指摘できます。そのため、社会のイスラーム化という点から、医療奉仕活動や相互扶助組織運営などの社会活動が重視されています。1970年代のパレスチナ同胞団も同様でした。1973年には、後にハマース創設者となるアフマド・ヤースィーンを中心にイスラーム総合センターが設立され、草の根レベルの社会活動が幅広く行われていました。また、当時イスラエル武装闘争を展開していた世俗的解放運動とは異なり、同胞団は時期尚早として対イスラエル武装闘争には慎重な姿勢を取っていました。なお、イスラーム総合センターはイスラエル当局によって慈善組織として登録されていました。



一方、学生など青年層の一部では、同胞団の対イスラエル武装闘争への消極的姿勢、そして祖国解放を一向に達成できない世俗的解放運動に対して、不満の声が聞かれるようになりました。PIJ創設の中心人物であるファトヒー・シカーキーもそうした一人でした。1979年のイラン・イスラーム革命に影響を受けた彼は、イスラームと闘争の結合、すなわちイスラームの教えに立脚するパレスチナ解放こそが重要であると主張しました。そして、1980年代初めにPIJを創設したのです。創設以降、PIJはエリート主義的な少数精鋭の組織として対イスラエル武装闘争を行っています。同胞団が力を注ぐ社会活動への関心は低いとされています。1986~87年に、PIJは断続的にイスラエル兵・市民襲撃を行いましたが、これに対するイスラエル軍の報復行為が契機となって、1987年の第一次インティファーダ(住民蜂起)が勃発したともいわれます。



また、同胞団にとっても、第一次インティファーダは大きな方針転換を迫る出来事でした。同胞団インティファーダを対イスラエル闘争開始の契機と判断し、1987年に闘争組織としてハマースを創設したのです。インティファーダでは、ハマースPLOとは別の指揮系統で活動を行い、ファタハに次ぐ抵抗運動に成長しました。ハマース発展の背景としては、同胞団が長年に渡る社会活動によってパレスチナ人の間に築いてきた強固な支持基盤の存在が指摘されます。この大衆的支持は現在でも堅固であり、2006年立法評議会(PLC)選挙でのハマース勝利にも寄与したとされます。少数精鋭メンバーによる抵抗運動に重点を置くPIJ、そして社会活動で築いた活動基盤に依拠して抵抗運動を行うハマース、という両者の活動方針の違いは興味深いところです。



最後に、イスラエルとの停戦・対話やイスラエル承認に関して、ハマースPIJはどのように考えているのかを検討します。まず、両者ともパレスチナ全土解放を目標として掲げています。このため、「ミニ・パレスチナ国家」とイスラエル承認を前提とするオスロ合意(1993年)以降の和平プロセスには両者とも反対しています。しかし、イスラエルとの停戦・対話に関する両者の立場には相違点が見られます。ハマースはイスラエルが第三次中東戦争の占領地から撤退すれば停戦は可能としており、そのための対話も可能であるとしています。一方、PIJはイスラエルとの停戦や対話は原則として禁じられており、もっぱらジハードによってイスラエルを殲滅するという姿勢を取っています。両者ともイスラエル武装闘争を継続していますが、このように基本方針における相違点を指摘できます。



本連載企画について-はじめに


(2008-03-28)

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