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大統領たちの「物語」:米国大統領の「資質」を問う



誰でも大統領になれる?:大統領の重圧

 アメリカには「誰でも大統領になれる」という古い諺がある。確かにアメリカ合衆国憲法の第二条第一節第五項には、アメリカ合衆国の大統領になれるのは「生まれながらの合衆国市民で十四年以上合衆国に居住しており、三十五歳以上であること」と定められている。このような条件を満たす人物は無数に存在するわけであるが、文字通り「誰でも」大統領になれるのかというとそうではない。プレッシャーに耐えられるだけの体力と、何よりも抜きん出て強靭な精神力の持ち主でなくては大統領が務まるはずもない。


ドワイト・アイゼンハワーは回顧録において「私は第二次世界大戦中欧州で連合軍を指揮していたころよりもはるかに孤独になっていた」と述べたが(アイゼンハワー回顧録1、103頁)、大統領の重責がもたらす重圧は並大抵のものではない。世界大恐慌と第二次世界大戦という未曾有の危機の時代に12年間にわたって大統領を務めたフランクリン・ローズヴェルトは1945年に在職のまま急死している。最晩年のローズヴェルトは目立って憔悴し、彼の「不屈の精神力をもってしても身に迫る苦痛に耐えることができない」状態であった(トルーマン、18頁)。そのほかにも、ウッドロー・ウィルソン大統領は国際連盟に対する支持を訴えて議会や国内を説得しようと躍起になった挙句重病に倒れ、二度と健康を取り戻すことはなかった(齋藤、176頁)。またアイゼンハワーも政権一期末の1955年9月には心臓発作(アイゼンハワー回顧録1、483頁)、続いて政権二期初期の1957年11月には脳梗塞で倒れ、周囲に辞意を漏らすほどであった(アイゼンハワー回顧録2、202頁)。



以上からも窺われるように、高坂正尭の言葉を借りていえば、「偉大さ」を備えた人物でなくては大統領職など到底務まるものではない(高坂、247頁)。では、そうした「政治家としての資質」はどのようにして培われるのか。この点に関して、かつてリチャード・ニクソンは偉大な政治家に相応しい資質は人生における危機の経験とその克服によってのみ磨かれうると述べた(Nixon, p.xiv.)。



歴代大統領の「物語」

人生の危機を克服し、それを通じて大統領に相応しい優れた資質を身につけることに成功した人物は数多く存在する。


リチャード・ニクソンはカリフォルニアでガソリンスタンドを経営する裕福とはいえない家庭に育った。若くして二人の兄弟を亡くしたニクソンは自分が成功することで両親の期待にこたえようと骨身を削って働き勉学に勤しむようになったが、その努力は実を結ばなかった。非の打ち所のない成績でデューク大学のロー・スクールを卒業したにもかかわらず、苦学生ニクソンの前には学歴という名の壁が立ちはだかっていた。著名な東部の弁護士事務所への就職をにべもなく断られたニクソンはカリフォルニアへ戻り、小さな町の弁護士としての生活を余儀なくされた。若いころ数多くの挫折を重ねてもニクソンはなお成功を得ることを諦めなかった。彼自身の「逆境を転機に変えうるか、それとも失敗するかは感情が昂ぶっているときにそれを冷徹なまでに客観的に押さえ込めるだけの能力があるかどうかにかかっている」という発言にみられるように、ニクソンは人生の危機の克服を経て、類まれな堅忍不抜さと凄まじい闘争心、そして非情さを併せ持つ政治家となった(Nixon, p.87; ハルバースタム「ニクソンの孤独」、14-31頁)。ニクソンはまさに「戦うために生きる」素質に恵まれた政治家だったといえる。


トルーマンもまた苦労人であり、彼の前半生は今でいうワーキング・プアそのものであった。高校を卒業して軍隊に入ったトルーマンは、除隊後に故郷ミズーリ州で雑貨店を経営するもののすぐに破綻し、40歳を目前に莫大な借金を抱えて返済に追われていた(トルーマン、114-115頁)。当人はこれを「手痛い経験であった」と回顧しているが、この経験はトルーマンに逆境を耐え忍ぶ力、軽はずみな言動を避ける慎重さ、謙虚さといった資質を与えた(ハルバースタム「戦慄の兵器」、46-53頁)。トルーマンは「生きるために戦う」ことを通じて大統領に相応しい資質を身につけていった代表例であるといえる。


ビル・クリントンの継父であるロジャー・クリントンはアルコール中毒気味であり、泥酔するとしばしば激昂して家族を虐待し、日常的に暴力を振るった。あるときなどは妻とビルに向かって銃を発砲しさえした(クリントン、34頁)。凄惨を極める幼少期の経験からクリントンは自分の感情を制御し批判や攻撃に耐えること、すなわち「戦わずに生きる」術を学びとっている(クリントン、70頁)。



マケインとオバマの「物語」

それではオバマとマケインにはどのような人生の「物語」が隠されているのだろうか。彼らはどのような人生の危機に直面し、それを克服してきたのだろうか。


オバマの政治家としてのパーソナリティ形成には幼少期・青年期の経験が色濃く反映されている。恵まれているとはいえない祖父母との生活、マリファナやアルコールへの逃避、人種的アイデンティティをめぐる苦悩と父親に関する葛藤――オバマにとって人生とは、そうした自分の内面の弱さを一つずつ克服する過程でもあった。



自分のような境遇にある人は他人への気遣いや、努力や、親切心は忘れてもいいなどと、誰が言った?道徳に人種が関係あると誰が言ったのか?(中略)自分は一人ぼっちで、いつまで経っても黒と白のどちらにも当てはまらない部外者でしかいられない、という取り去ることのできない恐怖心が、いつも私を支配していた(オバマ、134頁)。



オバマが最も尊敬している大統領はリンカーンである。オバマは出自や貧困を刻苦勉励によって克服し、度重なる挫折に遭遇してもなお理念や情熱を見失わず、毅然として成功をつかんだリンカーンを自らの目指すべきモデルとみなしている(Obama, 2005)。


これに対して、マケインの政治家としての原体験はヴェトナムでの虜囚経験にある。拷問に耐え抜いてヴェトナム側に一切の協力を拒否した捕虜時代以来、マケインは周囲がどのように思おうとも自らの意思で決めたことを断固としてやり抜く「マーヴェリック」(一匹狼)としての姿勢を貫き通してきた。マケインがセオドア・ローズヴェルトを尊敬していることはよく知られている。マケインはセオドア・ローズヴェルトに惹かれる理由として、彼が人生における数多くの修羅場をくぐり抜けるだけの「強さ」を持つ政治家であったことを挙げている(McCain, p.312.)。



彼〔セオドア・ローズヴェルト〕は性急で気性が激しく、エゴティスティックで若い頃から自信過剰であった。(中略)彼の美徳には思いやりや他人への共感、忍耐といったものが欠けていた。しかし、彼は清廉潔白で勇気があり、意志強固であった。彼は個人の道徳的義務は国家の道徳的義務でもあり、それこそが偉大な国家の本質的部分を育むものであると信じていた。



オバマがリンカーンを通じてみているもの、あるいはマケインがセオドア・ローズヴェルトを通じてみているものは大統領としての自分自身のあるべき姿であろうことはいうまでもない。両者は自分の人生の「物語」を過去の大統領に投影させ、理想像を追求することで自己の「資質」を問い続けているのかもしれない。津田塾大学の中山俊宏准教授は2008年の大統領選挙を「物語選挙」と銘打っているが、オバマとマケインの戦いはまさに「人生の物語の交錯」そのものといえる。第44第合衆国大統領として、歴史に名を残すのは果たしてどちらの候補であろうか。



【参考文献】

:高坂正尭『宰相吉田茂』(中公クラシックス、2006年)

:斎藤眞『アメリカ政治外交史』(東京大学出版会、1975年)

:『アイゼンハワー回顧録1・転換への付託、1953-1956』仲晃・佐々木謙一・渡辺靖訳(みすず書房、1965年)

:『アイゼンハワー回顧録2・平和への戦い、1956-1961』仲晃・佐々木謙一・渡辺靖訳(みすず書房、1968年)

:『トルーマン回顧録1・決断の年』加瀬俊一・堀江芳孝訳(恒文社、1966年)

:『マイライフ(上巻)――クリントンの階層・アメリカンドリーム』楡井浩一訳(朝日新聞社、2004年)

:デイヴィッド・ハルバースタム「戦慄の兵器」『ザ・フィフティーズ第一部―1950年代アメリカの光と影』金子宣子訳(新潮OH文庫、2002年)

:デイヴィッド・ハルバースタム「ニクソンの孤独」『ザ・フィフティーズ第二部―1950年代アメリカの光と影』金子宣子訳(新潮OH文庫、2002年)

:Richard M.Nixon, Six Crises (New York: Doubleday & Company, 1962)
:バラク・オバマ『マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝』白倉三紀子・木内裕也訳(ダイヤモンド社、2007年)

:バラク・オバマ『合衆国再生―大いなる希望を抱いて』棚橋志行訳(ダイヤモンド社、2007年)

:John McCain and Mark Salter, Worth the Fighting for: The Education of an American Maverick, and the Heroes who Inspired Him (New York: Random House Paperback, 2003)

:Barak Obama, “What I see in Lincoln’s Eyes,” Time (June 26th, 2005)


(2008-09-30)

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