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コラム/レポート

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オバマ政権の駐日大使任命について


「ディプロマチック・センスのない国民は必ず凋落する」という言葉があるそうである。その国の外交の質は国家の運命を左右するというほどの意味であるらしい(細谷、i頁)。その国の外交の質を見るには政権を見ればよい。では例えば、オバマ政権の「ディプロマチック・センス」はどうであろうか。試みにオバマ政権の大使人事をみてみよう。そこに良質の外交を見出すことは可能であろうか。

駐日大使に指名されたジョン・ルース、駐英大使ルイス・サスマン、駐仏大使チャールズ・リブキンといった面々はいずれもオバマの選挙キャンペーンでの資金調達に貢献した人々ばかりである。これら大使人事は単なる論功行賞にすぎないものという批判も一部にはあるようであるが、実際のところ、どうなのであろうか。



米国の駐英大使といえば、かつてはジョン・アダムス、ジョン・クインシー・アダムス、マーティン・ヴァン・ビューレン、ジェームズ・ブキャナンなど、後に大統領に就任する政治家が若き日に務めたことで知られる。また駐仏大使に関しても、トマス・ジェファスン、ジェームズ・モンロー、あるいは大統領経験者ではないが、ベンジャミン・フランクリンなどの「大物」が歴任してきた。



このように米国の駐英大使、駐仏大使のポジションは18世紀から19世紀の前半にかけては外交上の最も重要な職の一つであった。前途有望な米国の政治家はしばしばこれらの職に就くことで外交上の経験を磨き、国家を背負う人材へと成長を遂げたのである。



しかし、現在では駐英大使、駐仏大使のポジションが大統領になるべき人材の修練場として機能しているとはいいがたい。この背景には現代の外交が18世紀と比べて多角化していることが挙げられる。国際交流が極めて活発化した現代世界においては、大統領を目指す政治家も、18世紀の頃のように特命全権大使として駐仏大使や駐英大使を経て世界情勢の分析や外交政策に通暁せずとも十分な外交経験を積むことが可能である(細谷、i頁)。ローズ奨学生として英国に留学経験を持つビル・クリントン、あるいは父親がケニア人で多彩な外国経験をもつバラク・オバマをみてもそれは明らかであろう。



もはやアダムスやジェファソンのごとき「大物」が駐仏大使、駐英大使に任命されることはない――確かに決してそれほど有名とはいえないサスマンやリブキン、或いはジョン・ルースの名前を初めて耳にした時、思わず「これは誰だ?」という疑問の声を漏らした人々がいたとしても、ある意味では仕方ないといえよう。
それでは、実際のところ駐日大使の地位というのはどのような重要性を持つものなのだろうか。池井優教授はかつて駐日大使に求められる用件として以下の四点を挙げていた(池井、223頁)。



1・大物であること。

2・知日派であること。

3・ワシントンへの影響力を持つこと。

4・日本に来ることを喜んで引き受ける人物であること。





残念ながら、駐日大使のポジションがかつての駐英大使、駐仏大使のように大統領職への登竜門であった試しはない。アダムスやジェファソン、あるいはヴァン・ビューレンのようにアメリカの将来を背負って立つような「若き日の大物」が駐日大使に任命された例は皆無である。だが、「昔日の大物」、すなわち引退した有名な政治家を駐日大使に任命するというパターンはかつてよくみられた。このパターンに最もよくあてはまるのはビル・クリントン政権であろう。



同政権で駐日大使を務めたウォルター・モンデール元副大統領(任1993~1996;任命時65歳)やトマス・フォーリー元下院議長(任1997~2001;任命時69歳)はいずれも米政界で活躍した高名な政治家であった。同様のパターンとしては、ジミー・カーター政権で駐日大使に任命されたマイケル・マンスフィールド(元民主党上院院内総務、任命時74歳)があげられよう。このような任命パターンには、いうまでもなく有名な米国の政治家が駐日大使を務めることで「日本は米国にとって重要な国」だとアピールできるという利点がある。ただし、チャルマーズ・ジョンソン教授はこのような駐日大使の指名パターンがもつ弊害を厳しく批判していた。ジョンソン教授は




「日本がワシントンに送り込む駐米大使は英語を話しアメリカ事情に詳しいのに対し、アメリカの駐日大使はあまりにも日本のことを知らなさすぎる。選挙に負けた政治家を大使に任命するのはやめるべきだ。」




と述べ、単に有名だというだけの理由で、既に一線を退き能力に陰りの見られ始めた大物政治家を大使に任命することの害を説いていた。先ほどの駐日大使に求められる要件のうち、「大物であること」は現在ではもう駐日大使に求められる必要条件でなくなったように思われる。大物であるかどうかに関わらず、重要なのはかつてライシャワー大使が述べたように、「任地国の政府と国民の間に米国に対する友好と善意の関係を築き両国間の相互理解を深められるかどうか」という点ではないだろうか(池井、8頁)。



G・W・ブッシュ政権もクリントン政権同様、当初はハワード・ベーカー(元上院議員、大統領首席補佐官;任2001~2005、任命時76歳)のような「大物」を送り込むパターンを踏襲した。しかし、このような「大物」を任用する駐日大使人事については他ならぬベーカー自身、批判的な見解を述べている(ベーカー、169頁)。



「先の大戦後から六十年という歳月をかけ、日本と米国の関係は大地にしっかりと根を生やし、かつ成熟しつつある。だから政治的な「大物」を大使に起用するという方法でこの関係を強化する必要はもうない。それは私の後任となったブッシュ前大統領の親友、J・トマス・シーファー前駐日大使が身をもってすでに証明したと思う・・・仮に「駐日大使に必要な資質」なるものがあるとするならば、それはこの特別な関係を理解し、さらに進展させる決意と覚悟をもっていることだろう。」



このベーカーの回想にもあるように、ブッシュ政権はベーカー以降の駐日大使任命にあたっては、有名かどうかを重視するのではなく、有事の際に大統領と即座に連絡をつけられるかどうかを重視する方針へと舵を切ったように思われる。この「ポスト・オオモノ」時代の駐日大使の嚆矢となったのが、ベーカーの回想録でも言及されたジョン・トマス・シーファー(任2005~2009)である。ブッシュ大統領の無二の親友であるシーファーの駐日大使任命が公表されたとき、やはり日本人からは無名に近い存在であったシーファーの任命を不安視する声もささやかれていたように記憶している。だが、そのような不安をよそにイラク戦争、北朝鮮、在日米軍再編、BSEによる米国産牛肉輸入問題など、シーファーは日米の間に横たわる数多くの問題にそれなりに無難に対処したといえるのではないだろうか。




ジョン・ルースの駐日大使任命はブッシュ政権期に確立されたこの「ポスト・オオモノ」路線を踏襲したものとみることも可能である。ジョン・ルースは無名ながらもオバマとは25年以上の付き合いの親友であり、オバマに直接決裁を仰ぐことのできる人物である。有事の際には、ルース大使はオバマ大統領と緊密に連絡を取りつつ、迅速な対応をとることが可能であろう。ただ、ルース大使に外交経験はなく、その手腕に未知数の部分が多いことは確かである。かつて20世紀の第三四半期に駐日大使を務めた人々にはウラル・アレクシス・ジョンソンやジョン・アリソンなど日本語の訓練を受けた職業外交官出身者が多く、なおかつ彼らは第二次世界大戦前に日本で任務についた経験をもっていた(入江編、71頁)。ルース大使はこのような意味での「知日派」ではない。



現在、普天間基地移設・返還問題やインド洋での給油、あるいは拉致問題を含む北朝鮮への対応など、数多くの解決困難な課題を日米両国は抱えている。このような困難を極める状況の中、ジョン・ルース駐日大使は任地国の政府と国民の間に米国に対する友好と善意の関係を築き、両国間の相互理解を深めることができるであろうか。オバマ大統領本人に影響力を持ち、着任以来非常に積極的に仕事に取り組むルース大使を目の当たりにして、「この人ならばやってくれるのではないか」という期待感が今後確信に変わる可能性も大いにありうるのではないか。まず我々がなさねばならないことは、ルース大使の今後の動向を虚心坦懐に見守っていくことであろう。




【参考文献】

:細谷雄一『大英帝国の外交官』(筑摩書房、2005年)


:村田晃嗣「アメリカ知日派(ジャパン・ハンズ)の系譜」『外交フォーラム』153~158号掲載。


:池井優『駐日アメリカ大使』(文春新書、2001年)


:入江昭、ロバート・ワンプラー編『日米戦後関係史』(講談社インターナショナル、2001年)


:ハワード・ベーカー『ハワード・ベーカー:超党派の精神』(日本経済出版社、2009年)


:千々和泰明「戦後日米関係における駐米大使の役割」『国際政治』第140号(2005年3月)

(2009-10-26)

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