PECCとは

太平洋経済協力会議(PECC: Pacific Economic Cooperation Council)は産・官・学の3者により構成され、多様性に富んだアジア・太平洋地域の国際協力を推進するための組織です。

1978年、大平正芳 首相(当時)は、太平洋圏の将来性に着目し、この地域の協力関係強化が、単にこの地域のみならず世界経済の発展に役立つとして「環太平洋連帯構想」を打ち出しました。この構想の下、1980年9月にオーストラリアのキャンベラにおいて、11ヵ国(日本・米国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・韓国・ASEAN5ヵ国(当時))と太平洋島嶼諸国の代表による「環太平洋共同体セミナー」が開催され、今後の太平洋協力の進め方が話し合われ、これがPECCの前身となりました。
現在、学界・官界・産業界の3者が個人の資格で自由な立場でアジア太平洋地域の国際協力を推進すべく諸活動を展開致しており、非政府組織としては唯一のAPEC公式オブザーバーとして、PECCの協力を求めるAPECに対し、情報、分析、提案などPECCの各タスク・フォースの研究成果を提供し、APECと有機的に連携しています。

ページの先頭へ

PECCの機構

PECCメンバー・委員会
【23加盟国・地域】
  オーストラリア・ブルネイ・カナダ・チリ・中国・香港・インドネシア・日本・韓国・マレーシア・メキシコ・モンゴル
  ニュージーランド・太平洋諸島フォーラム(PIF)・ペルー・フィリピン・シンガポール・台北・タイ・米国・コロンビア
  エクアドル・ヴィエトナム
【1準加盟】
  フランス(太平洋地域)
【組織加盟】
  PAFTAD (The Pacific Trade and Development (PAFTAD) Conference)
  PBEC (The Pacific Basin Economic Council)

【常任委員会】
  各メンバー委員会の代表者からなり、PECCの運営についての実質的な承認機関。
【執行委員会】
  常任委員会の総意により承認された11名のメンバー。

【議長】
  Ambassador Donald Campbell (Distinguished Fellow, Asia Pacific Foundation of Canada and Senior Strategy Advisor, Davis LLP)
  Ambassador SU, Ge (Chair, China National Committee for Pacific Economic Cooperation)

PECC活動の支援資金(中央基金)
PECCにおいては、総会開催については、ホスト・メンバーが、各タスク・フォース活動については幹事メンバーが、それぞれの必要資金を自発的に負担してきましたが、PECC活動の活発化に伴い、特に途上国の委員会委員・学者等に対する活動資金援助の必要性が指摘されていました。こうした背景のもと、1988年5月の第6回PECC大阪総会におきまして、当初3年間(1988年5月~1991年4月)に必要と予測される資金100万ドルをPECCメンバーが拠出することにより、中央基金が創設されました。また、1992年以降も国際事務局の発足に伴い、加盟メンバーの毎年のPECC拠出が制度化され、この拠出金を活用して、途上国/地域のPECC活動支援が継続されることとなりました。
この活動支援は、従来、経済面での制約から会議への参加に支障を来していた途上国の学者等がPECC活動により広く参加することを可能にしており、PECC活動を一層充実させる上で、大きな役割を果たしてきています。

PECC国際事務局
1990年よりシンガポールに常設の事務局を設置。
 国際事務局の必要経費は加盟メンバーの拠出金により運営。
 国際事務局長: Mr. Eduardo Pedrosa
  URL : http://www.pecc.org/

ページの先頭へ

PECCの活動

具体的な協力活動は、PECCの下に設けられた個別分野毎のタスク・フォース、スタディー・グループ等によって行われています。

【Signature Project】

APEC Post-2020 Agenda
幹事国:マレーシア、ニュージーランド

Asia-Pacific Connectivity Index
幹事国:カナダ、インドネシア

State of the Region (SOTR)
幹事:PECC国際事務局

【International Project】

Circular Economy and Sustainable Development
幹事国:フランス(太平洋地域)

Global EPAs Research Consortium
幹事国:日本

Social Resilience Project
幹事国:日本

Quest for Economic Growth Engines
幹事国:チャイニーズ台北

ページの先頭へ

PECCの成り立ちと総会

(注:名称・肩書きは当時のまま)

PECCが誕生するまで
(1)太平洋協力の構想は、第2次世界大戦以前より、関係各国の民間レベルの運動として継続的に展開されてきました。そして、戦後のヨーロッパにおける経済統合運動等に触発され、着実に構想の具体化が進められてきました。

 特に、1965年小島清 一橋大学教授が提唱した「太平洋自由貿易地域構想」はこうした動きに理論的根拠を与える重要なきっかけとなりました。この構想は、太平洋地域にある先進5ヵ国(日本・米国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド)を中心にして、太平洋に自由貿易地域をつくり、域内の関税をゼロに持っていこうとするものでありました。この小島教授の構想を軸に1968年「太平洋貿易開発会議」(PAFTAD)が日・米・オーストラリアの経済学者を中心に発足しました。
また、これと軌を一にして、財界においても太平洋地域への関心が高まり、日本商工会議所の永野重雄 会頭(当時)が中心となって、先進5ヵ国の間で「太平洋経済委員会」(PBEC)が設立されました。

(2) このように、初期における太平洋協力の展開は、日本が大きな役割を果たしていましたが、主に学界・財界を中心とした活動でした。しかし、その後の日本経済の発展およびアジアにおけるNIEsの台頭は、太平洋圏における経済交流を活発化させ、同地域の重要性を飛躍的に増大させました。こうした中で、太平洋地域に対する関心はさらに高まり、国家レベルにおける太平洋協力の気運が生まれてきました。
1978年、大平正芳 首相(当時)は、「環太平洋連帯研究グループ」を発足させ、「環太平洋連帯構想」を打ち出した。この構想は、世界の中で、最もダイナミックな発展・成長を遂げている諸国を包含する太平洋圏の将来性に着目し、政治・経済、文化の各方面において著しい多様性を持ったこの地域が、協力関係・相互依存関係を強めることで、単にこの地域のみならず世界経済全体の発展に貢献することを目指しています。
そして、同構想の特色として、次の3点を打ち出しました。
a. 排他的地域主義をとらない。
b. 自由で開かれた相互依存関係を維持する。
c. 現存する2国間、あるいは多国間関係と矛盾せず、相互補完関係をなすものとする。

(3) 1960年代から1970年代における日本およびアジアNIEsの経済発展が、太平洋圏における経済交流の活発化、相互依存関係の深化を生むと同時に、様々な問題を顕在化させ、それらが上述のような太平洋諸国家間における協力の気運を盛り上がらせたわけですが、その具体化にあたっては必ずしも平坦な道のりであったとはいえず、様々な紆余曲折がありました。日本が提唱者となり太平洋の先進諸国が中心となった活動に対する東南アジア、ASEAN諸国の警戒心、および一部の国から出された反共ブロックの形成ではないかという非難などが存在したからでした。しかしこのような状況にもかかわらず、太平洋協力活動は着実な発展を遂げていくことになりました。また、米国の対太平洋貿易が対大西洋貿易を上回るという画期的な事態が生ずるに至り、「太平洋の時代」という認識が期待とともにさらに強まりました。

キャンベラ・セミナー(第1回PECC総会)
太平洋協力の大きな流れの中で、1980年1月、大平首相は大来外相を伴い豪州を訪問し、フレーザー首相と懇談した。席上両首相は太平洋協力問題に関して広範なコンセンサスを得、太平洋協力構想を推進することで合意した。
この合意に基づき、1980年9月オーストラリアの首府キャンベラにおいて11ヶ国(日・米・加・豪・ニュージーランド・ASEAN5ヶ国及び韓国)と太平洋島嶼諸国の代表を集め「環太平洋共同体セミナー」が開催された。各国よりの参加は3名ずつで官界・財界・学界からそれぞれ1名ずつという三者構成であった。また、このセミナーには、アジア開発銀行、PBEC、PAFTADそれぞれの代表も参加した。
本セミナーにおいては、太平洋協力を今後進めていくにあたっての基本原理、形式などが話し合われたが、その中でその後のPECC活動の基本方針となる産・官・学三者構成の重要性が強調された。同時に常任委員会、複数のタスク・フォース設置が勧告された。
このキャンベラ・セミナーでは「環太平洋共同体」という名称が用いられたが、1982年6月にバンコクで開かれた会議で「太平洋経済協力会議」(PECC)という呼称が確立されるに及んで、同セミナーは、第1回PECC総会と呼ばれるようになった。

既に開催された総会一覧はこちら

ページの先頭へ