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0 0   “ビロードの裏側”−ポスト・ハヴェルの行方−
細田尚志 (グローバルイシューズ研究助手)

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 「ヴァーツラフ・ハヴェル」、この名前ほど、チェコ共和国の民主化とその根底に潮流する「西欧への回帰」力学を代弁してきたものはない。
 「憲章77」に象徴される反体制活動の顔、ビロード革命の象徴としての顔、武器輸出禁止宣言やCSCE改革を打ち出した理想主義に燃える新生チェコスロヴァキアの顔、その後のNATO加盟交渉など西欧への回帰、特に親米路線を体現していくチェコ共和国の顔など、民主主義をはじめとする「欧米的価値」を訴える彼の名前は常に全世界に発信され、「民主主義国」たるチェコ共和国の広告塔となり、国内外で巧妙に活用されてきた。
 しかし、この偉大なる広告塔の存在が、最も安定した民主化プロセスと謳われ、制度としての民主主義の定着や、市場主義経済の機能化などの体制転換に成功したように見えるチェコ共和国の対外的イメージを創り出すことにより、国内に内包される金属疲労直前の各種問題を、さもビロードのごとく覆い隠してきたということは以外と知られていない。

 共和国憲法第58条にある三選禁止規定により、その二期10年(チェコスロヴァキア連邦大統領時代も入れると13年)に亘る大役から退く時が来たハヴェルの後任選出は、現在、難航を極めている。
 去る1月15日に開催された第一回大統領選挙は、与党社会民主党(CSSD)が推すブレシュ元法相、連立与党であるキリスト教民主連合・チェコ人民党(KDU-CSL)が支持するピトハルト現下院議長、最大野党市民民主党(ODS)のクラウス元首相、共産党(KSCM)のクジージェネツキーの以上4候補によって争われた。しかし、最終的にクラウスとピトハルトによる決選投票に持ち込まれるも、上下両院議員(上院81、下院200)の過半数を獲得することが出来ず、新大統領は選出されなかった。
 同24日に開催された第二回大統領選挙では、CSSDは前党首であるゼマン前首相を、KDU-CSLはモセロバー上院議員(前チェコUNESCO国内委員会委員長)を擁立したのに対し、ODSは再度クラウスを擁立して再選に挑んだ。しかし、ゼマンは第一回投票で脱落し、決選投票ではクラウスが過半数にあと14票足りない127票を獲得するも、大統領には選出されなかった。

 この選出失敗は、単に、各政党が党利党略に走り、候補者の大統領としての個人的資質議論以上に、数の論理に終始した選挙戦略を展開してきたという問題以上に、政界の抱える矛盾や政界再編議論、共和国憲法の欠陥、上院の存在意義に対する疑義等多岐にわたる構造的問題を露呈させた。
 当初、与党CSSDは、ゼマンを擁立する予定だったが、第二回選挙が行われれば出馬するとの本人の意向を受け、第一回選挙を流すためのスケープ・ゴートとしてブレシュを擁立するとともに、第二回選挙では政策の近似するKSCMとの選挙協力を模索した。このことが、シュピドラ現首相などスウェーデン型社民主義を目指すグループと、ゼマンを中心とする共産党に近いグループとの溝を深めている。
 この分裂の危機は、連立を組んでいるKDU-CSLや自由連合(US)の連立見直しの可能性も生じさせる一方、キャスティング・ボートとして脚光を浴びたKSCMは、ゼマン・グループとの距離を埋め、政界再編の可能性も浮上している。
 また、今回の大統領選出の混乱を受け、国民による直接投票を可能にするための憲法改正を求める声も日増しに大きくなっている。彼らの主張は、現在の共和国憲法は、ハヴェルというカリスマ性を持った偉大なる指導者の存在を前提としており、現状にそぐわないというものである。さらに、この過程では、常に世論調査で最低の信頼度を獲得している現在の上院の存在意義を問う声も大きくなり、二院制自体の改革議論に繋がるだろう。

 しかし、それ以上に深刻なのは、今後のチェコ外交の在り方や、欧州におけるチェコ共和国の位置付けに関する根本的な問題であろう。勿論、大統領一人がチェコ外交を遂行している訳ではないが、知名度の高い広告塔による外交に依存せざるを得ない傾向にある小国では、彼の存在は極めて重要であった。
 革命以降の「西欧への回帰」力学は、NATOやEUへの加盟を通じて、第二次大戦以前に自分達が存在していた「キリスト教的価値」に立脚した西欧へと回帰することを目指していたが、ハヴェルの目指す西欧とは、周辺大国ドイツを飛び越え、彼らが理想としてきた民主主義を体現した大国である米国であり、その米国との関係を強化することが核心であった。
 クラウスによる安全保障政策の軽視や、安全保障環境の良好化からもたらされる危機感の希薄化により、NATO加盟準備に遅れをとっていたチェコがNATOに入れたのも、民主化の顔として国外(特に米国内)から高い評価を受けていた親米的なハヴェルの存在に負っていたとの指摘もある。
 それ故に、昨今のイラク攻撃に対する協力宣言を間髪入れず打ち出したのも、ポスト・ハヴェル後のチェコ外交に対する不安と焦りの裏返しと解釈することも出来よう。数年前、オルブライト(チェコ系移民)を次期大統領にという声が上院の一部から出て、本人に否定されるという、笑うに笑えない経緯があったが、これも、この焦燥感の表れであった。

 2月2日のハヴェルの任期満了以降暫くは、憲法第66条に基づき首相と下院議長により大統領職権が代行されることになる。しかし、第三回大統領選挙が開催されるのか、それとも憲法改正による直接投票が行われるかは、この原稿を執筆している1月31日現在、依然として不明である。
 間接選挙か直接選挙のどちらになろうとも、ODSは、再度クラウスを候補者として擁立することを明言している。彼は個人的資質が疑問視されてはいるが、世論調査では他の候補者よりはまだましとの声が多く、直接選挙になった場合は、彼が次期大統領になる可能性は高い。一方の連立与党は、統一候補の擁立すら依然として実現できていない。

 いずれにせよ、ハヴェルに匹敵する人材が存在しないことは、チェコ共和国にとって不幸ではあるが、「ハヴェル」という看板に頼ることのない、真の意味で「もはや革命は終わった」と言える時代が到来することを心より願うばかりである。その為には、国内事項のみに目を奪われ党利党略に明け暮れる政治家の意識変革と共に、「近くの隣人(ドイツ)より、遠くの友人(米国)」という、米国と対等に話せるハヴェルの存在を前提とした親米路線も見直しの対象となろう。

(2003年1月31日記)