活動記録

インドネシア国立イスラム大学学長 アジュマルディ・アズラ氏懇談会

Photo:Mr.Azumardl Azura

2004年3月11日、日本国際問題研究所大会議室において、インドネシア国立イスラム大学のアジュマルディ・アズラ学長との懇談会が開催された。インドネシアでは、懇談会当日から4月5日の投票に向けた総選挙の選挙戦が始まっており、懇談会のテーマも「インドネシアにおけるイスラムと2004年総選挙」というタイムリーなものだった。アズラ学長の講演およびその後の質疑応答の概略を、以下にまとめて報告する。


アジュマディー・アズラ氏略歴:
インドネシア国立イスラム高等学院イスラム教育学部を卒業したのち、米コロンビア大学にて中東言語文化および歴史学にて2つの修士号、歴史学にて博士号を取得。1992年に国立イスラム高等学院の教授に就任し、98年に国立イスラム大学学長。インドネシアを代表するイスラム知識人の一人で、特に穏健派イスラムのオピニオン・リーダー的存在。


懇談会概要

インドネシアのイスラムは、中東のイスラムとは異なる特徴をもち、それは寛容で穏健なものである。また、インドネシアは「イスラム国家」ではなく、パンチャシラ(建国五原則)に基づく国家である。しかし、人口の88%をムスリムが占めることから、イスラムは政治によって利用、悪用されてきた。

スハルト政権はイスラムを敵視していたが、90年代からイスラムに歩み寄り、イスラム知識人協会設置を認めた。その代表であったハビビが大統領となると、複数政党制が拡大し、1999年の総選挙には48政党が参加した。その半分以上が、イスラム政党であった。しかし、結果は世俗主義の闘争民主党(PDI-P)とゴルカルの勝利に終わり、イスラム諸政党は全体の得票の12%しか得られず、敗退した。イスラム政党には、4500万人のメンバーを有するナフダトルウラマー(NU、代表ワヒド)を基盤とする民族覚醒党(PKB)や、4000万人のメンバーを持つムハマディア(代表アミン・ライス)を基盤とする国民信託党(PAN)がある。PKBとPANはイスラム政党であると同時に、パンチャシラを支持し、過激派の要請を拒絶し、シャリーアの施行に反対している。しかし、そのような穏健なイデオロギーは選挙に影響を及ぼすことができず、選挙での人気や支持に結びつかなかった。

イスラムやイスラム政党は、政治的な利害に左右される。国民協議会でのワヒド大統領の選出は、PDI-Pとゴルカルによる政治的な方便や利害の反映であった。また、現副大統領のハムズ・ハースが率いる開発統一党(PPP)もイスラム政党ではあるが、その姿勢は決して真剣なものではない。ハムズ・ハースはメガワティを拒否していたにもかかわらず、メガワティからの副大統領への就任要請を受けたことで、政治不信を招いた。

2004年の総選挙においても、イスラム政党は勝てないであろう。24の参加政党のうち、イスラム政党は5党に過ぎず、PKBや、PAN、開発統一党(PPP)は内部対立や分裂を続けている。過激ではないが宗教的保守主義の正義福祉党のみは、9.11事件以降に平和的なデモを主催していることなどから人気が高く、3%まで得票率を伸ばすかもしれない。一方、メガワティに人気がなく、内部からも反発を受けていることから、PDI-Pも議席を減らすだろう。ゴルカルは逆に、スハルト時代は治安も経済も良かったというロマンティズムやノスタルジーに乗って、議席を増やすだろう。

7月に実施予定のインドネシア初の大統領直接選挙では、メガワティが依然として最有力候補である。正副大統領を合わせて選ぶことになるので、メガワティがイスラムとジャワ島(メガワティの出身)以外の島を代表するような副大統領候補を選べば、勝利できるだろう。メガワティの副大統領候補としては、現職のハムザ・ハース、ゴルカルのアクバル・タンジュン(現国会議長)、NUのハッジ・ムサーディーが考えられるが、メガワティの立場を強くしてくれるイスラム的人物ということで、ハムザ・ハースが最有力であろう。ワヒドも大統領候補として出馬を希望しているが、PKB党内に反対が強い。いずれにしても、正副大統領は世俗的ナショナリストと宗教的ナショナリストの組み合わせとなるが、その内容は総選挙の結果に大きく影響される。

インドネシアのイスラム過激派は、イスラムの包括的な解釈をせず、その一部のみに恣意的な解釈を行なっている。指導者には外国、特にイエメン出身者が多い。ジェマア・イスラミヤのアブーバクル・バーシルや、イスラム防衛戦線のハビーブなどもそうである。アブーバクル・バーシルは減刑され、近く釈放されるが、これは警察の捜査能力や国際協力が不十分であったことが大きい。スハルト政権の崩壊で、法や秩序も崩壊してしまい、軍や警察は麻薬や売春を取り締まれず、イスラム過激派が自ら秩序を求め、貧富の格差に絶望する若者をリクルートする状況となった。法と秩序の復活と強化が、現在の大きな課題となっている。

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(担当研究員 松本 弘 2004年3月12日記)