今年3月にユニセフの事務局次長に就任した丹羽敏之氏が6月16日、日本国際問題研究所フォーラムで講演した。同氏は、「子供はわれわれの将来であり、子供への取り組みはわれわれの将来への投資である」と語り、ユニセフの役割が長い射程を持っていることを強調した。また、援助大国でありながら「援助疲れ」の影が濃くなっている日本について「経済大国として、内向きにならず、外に目を向けてほしい」と期待を表明した。
講演要旨
- ・ 国連の開発の歴史
- 私が国連開発計画(UNDP)に入った頃(1970年度初頭)から、国連の援助政策について大きな転換が行われた。それまでは、国連側、つまり供給サイドから援助内容を決めていたのを、援助を受ける国、つまり需要サイドの求めを重視する仕組みになった。
これがうまくいって、80年代は成功の10年となった。さらに89〜91年の冷戦崩壊を受けて、平和の配当を使ってどうやって開発を進めるかという議論が盛んになった。その結果、90年代に入ってUNDPが、開発援助を一人あたりの所得といった指標だけで見ずに、寿命だとか、非識字率だとか、教育の普及といった要素も採り入れるべきとのリポートを出した。こうして「人間の安全保障」という概念が提起されるに至った。
折しも、世界的にNGOが急速に増え、人道援助や緊急援助への関心が高まった。
このことから、開発援助はUNDP中心だったのが、ユニセフやUNHCRなどの役割も大きくなっていった。
ただ、従来の開発援助が人や組織の将来に向けての投資だとすると、人道援助は投資とは言いにくい。マイナスのレベルをとりあえず、ゼロのレベル、出発点に戻すという意味が強い。従って、人道援助のレベルから開発援助のレベルにどう移行させるかが課題として浮上している。
- ・ 日本とユニセフ
- ユニセフにとって日本は大切なパートナーだ。2億2000万ドルの拠出金を出してもらっているが、その半分は民間からだ。また、使途を特定しない形での拠出が中心でありがたい。
また、ユニセフは日本での知名度も非常に高い。日本は64年までユニセフから援助を受けていた国でもあり、緊密な関係を築く基礎となっているようだ。
最近では、アフガニスタンへの緊急援助で日本は大きな役割を果たしている。たとえば、教育の機会を奪われていた子供たちを通学させる back to schoolキャンペーンを展開しているが、資金の64%は日本からだ。これは、ユニセフと日本の協力関係のモデルとも言える。
イラクはまだ治安の問題からユニセフのスタッフは中に入れないでいるが、すでに隣国ヨルダンで待機している。ここでも日本からの支援がもらえることになっている。
ユネスコには優秀な日本人スタッフも少なくない。
われわれの仕事の対象は子供であるが、子供とはわれわれの将来に他ならず、その取り組みはわれわれの将来への投資なのだということを理解いただきたい。
ただ最近の報道によると、日本にはODAについて一種の援助疲れとでもいうような消極的な姿勢が広がりつつある。ある雑誌に掲載された、主要援助国の評価によると、日本は21カ国中最下位になっていた。フェアな評価かどうか、検討の余地があるにしても、何らかの対応が必要ではないか。
経済大国として、内向きになるのではなく、目を外に向けてほしいと願う。
【Q&A】
Q: |
ODAについて日本の納税者の声は残念ながら消極的な傾向がうかがえる。昨年末の総理府の世論調査によると、ODAに積極的な意見の人は19%で過去最低だった。他方、消極派は25.5%でこちらは過去最高。景気もよくないのになんで中国なんかに支援するのだ、といった空気がある。日本の円借款は東南アジア諸国で大きな成果を上げていると思うが、国民にはそれがあまり見えていないように思う。何か手はないだろうか。 |
A: |
私がUNDPにいた時に、アフリカでの仕事ぶりを知ってもらおうと日本の4人の議員に現地視察をしてもらったが、その後4人とも落選した。議員が外交に関心を持っても票にならない問題はたしかにある。ユニセフの方は知名度が高いのだが、それを利用して、ユニセフの取り分を増やすというより、パイ全体を大きくするような広報活動はしていきたい。 |
Q: |
開発は投資との話だったが、人道援助も長い目で見れば投資につながるのでは。 |
A: |
確かに、アフガニスタンでの back to school キャンペーンなどはそういえるだろう。人道援助から開発援助への移行をなるべく短くして投資につなげる努力は必要だと思う。 |
丹羽氏の略歴:
1939年、広島県福山市生まれ。早稲田大学政経学部卒、米フレッチャー法律・外交大学院修了。石油会社勤務を経て、1971年にUNDPに入り、イエメン、ネパール、タイなどで勤務。97年からは、国連本部で事務次長補。今年3月から現職。
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(特別研究員 大野博人)
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