「21世紀に入るヨーロッパ:未来への創造」
(財)日本国際問題研究所招聘
ベルギー王国ギィ・ヴェルホフスタット首相講演
東京 平成13年2月23日


先ずはじめに、本日午後にこの会場での講演の機会を与えて下さいました日本国際問題研究所理事長に感謝の意を表したいと思います。 21世紀への国際的な発展の中心となる主題を素晴らしい来場者に向けて講演できますことを大変喜ばしく感じております。

また、日本国際問題研究所のご協力を得て、ここで講演できますことに特別な喜びも感じております。 同研究所のリサーチ活動は国際的にも評価され、国際問題への健全で客観的なアプローチは高く賞賛されています。 それは、もちろん理事長の業績であります。 理事長は、現職に就かれる以前は国連大使であり、また現在は偉大な早稲田大学教授及び、日本外務省顧問でもいらっしゃることを申上げさせていただきます。

1991年に開始されたパートナーシップを更新すべく、欧州連合と日本が政治宣言をもり込んだ欧日アクションプラン採択の為に協力し、作業している時期、日本国際問題研究所が欧州研究に更に力を入れる方針を取られたのは、まさに時を得たものであります。 2000年1月13日、パリにおいて河野外務大臣により素晴らしいご提唱のあった新たな「ミレニアム・パートナーシップ」を形成する上で欧日にとって期は熟したと思っています。

私は、次の欧日サミットにより採択されるであろう、このアクションプランは、協力という面で重要な政策分野に関連した特別なアクションより構成されているものであることを強調したいと思います。 この点では、私は現議長国であるスウェーデンと常に接触を保ち、次期欧州連合議長国となるベルギーが全てのプロセスを完璧にするべく努めることを再度お約束したいと思います。 ベルギーが本年下半期に欧州連合議長国になることによって、すでに緊密な日本との二国間関係を、より一層強めていくものであります。

ヨーロッパの人々にとって20世紀で最も重要な年は、1945年ではなく、1989年であります。 事実、1945年をもって第二次世界大戦は終了しましたが、特にヨーロッパにとってこの激戦は、我が欧州大陸に、バルト海地域からアドリア海までを対立ブロックや相容れない体制によって分割する冷戦をもたらしました。 約半世紀にもわたり、ヨーロッパの偉大な国ドイツは対立同盟国により軍事力をもって占領・防衛されました。 ドイツの首都ベルリンは、巨大な壁という形で分断され、それは、ヨーロッパの中心を分断し、確実な相互破壊をもってヨーロッパを絶えず脅かす核兵器が数多く設置されました。

私は、1989年に何が起きたのかを明確にするためにも、これら緊張した年を強調しなくてはなりません。 予想もしなかったベルリンの壁の崩壊は、数ヶ月で東ヨーロッパに自由をもたらし、ソビエト連邦の崩壊に続きました。 この戦後の分割の突然の崩壊よりもさらに重要なことは、非暴力的な性質があったことです。 旧ユーゴスラビアを例外として、このヨーロッパの政策において、大きな変化は一度も兵器の火を吹くことなく起きたわけです。 私自身が知る限りでは、以前にかくも平和的かつ民主的に超大国が内側から破壊されたことはありませんでした。 このことは、1989年以来数年間のヨーロッパに広がった幸福感と言うものを説明してくれるものです。 歴史上初めて、ほとんどのヨーロッパ諸国に、対立ブロックや同盟国が存在しなくなったのです。 フランス革命の200年後ついにヨーロッパ諸国は、民主的・平和的及び寛容なるお互いの将来の為に再結合するに至ったわけです。

事実、西ヨーロッパ諸国は、防衛の変化や将来への準備の為に、1989年を待っていたわけではありません。 1950年代より、特にフランス及び西ドイツは、3つの戦争から学び、ヨーロッパの平和的再団結を求めて力を合わせました。 イタリー及びベルギー、ルクセンブルグ、オランダからなるベネルクス3国との協力により、ヨーロッパ経済共同体への道を開き、1960年代より1990年代まで、この共同体は徐々に9から10、12と加盟国を拡大し、現在は15の加盟国となりました。 同時に、これら加盟国の多くは政治から軍事的安全保障を目的とする、アメリカが主導する北大西洋の同盟であるNATOの加盟国です。

しかし、ヨーロッパは鉄のカーテンで分割されていた時期、東西関係つまりアメリカやソ連、北大西洋条約機構やワルシャワ条約に見られるように世界のライバルにより危険にさらされていた為、ヨーロッパ人は、その運命を明確にすることが出来ませんでした。 この不変で不動の戦後ヨーロッパ関係のパターンは、ついに1989年この年の出来事をもって終了したわけです。 全ヨーロッパ地域において、変わるもの全てが変わりました。 ヨーロッパにとって20世紀とは、1989年に終わり、21世紀とはその年に始まりました。

1989年以来、ヨーロッパは互いに強め合う2つの大きな進展に揺れ動いていおります。 1つは、ヨーロッパ経済共同体加盟国が、徐々に経済通貨統合及び政治統合を基に、ヨーロッパ連合を形成すべく動き出した事です。 マーストリヒト条約をもってした、この大きな変遷の基本となるものは、1992年に形成され、それは今までのヨーロッパの変動と同等のものでありました。 続いて5年後の1997年にはアムステルダム条約が結ばれ、これら条約の結果として経済通貨統合が確実に形成されました。 今年末には、加盟12カ国は、欧州中央銀行の指導のもと、ヨーロッパ共通通貨であるユーロを導入することになります。 これは現代史上、前例のない出来事です。 政治的統合も強める結果となるのは間違いありません。

一方で1989年以降は中欧および東ヨーロッパ諸国の独立とその民主化が進み、早急に欧州連合に加盟したいという要望が増加しました。 現在12ヶ国が連合への加盟を交渉中です。 欧州連合加盟国は数年後には間違いなく15ヶ国から25ヶ国、あるいはそれ以上に増加することでしょう。 結果的に、欧州連合の加盟国数はほぼすべての欧州国家に相当することになります。 ヨーロッパの歴史の中でフィンランドからポルトガル、アイルランド海から黒海まで広がる統合はありませんでした。

欧州連合をさらに拡大し深めることは相関現象といえます。 欧州連合は加盟国数が15ヶ国であれ25ヶ国であれ数多くの異なった国からなり同一ではありません。 それゆえに、一方では欧州連合の拡大は欧州内の各機関を見直し規律の導入と目的の明確化を促します。 他方では同じ価値観や美徳を持つ歴史を共有しそれぞれの似通った機構や政治的見解を取りいれている国々にとって欧州連合の拡大は不可欠です。

このようなことから、昨年フランスのニースで行われた欧州サミットでは、今後の拡大を意識し、欧州連合の機構、つまり欧州裁判所、欧州委員会、欧州議会に手直しを加えたわけです。 新加盟国はこれら機関で自国がいくつの議席を確保できるか、政治的決定のためにどのような手続きが必要か、また、欧州連合加盟に及ぼす客観的な条件とは何かを把握しています。

これによって任務が終わったわけではありません。 ニースでのサミットは連合を形成する為の重要なステップではありましたが、それは最後のステップではありません。 議題はまだたくさん残っております。 まず第一に、欧州連合は経済・通貨同盟の面では政治同盟に比べてまだまだ遅れをとっています。 共通対外防衛策では、まだ合意がなされておりません。 欧州における統一した治安および司法の枠組みもまだ出来ておりませんし、ヨーロッパに流れてくる難民や移民に対する共通の対応も決まっていません。 「社会的」欧州、つまり、欧州レベルでの完全雇用や社会保障の提供はまだ容認される段階にはありません。 そして、最終かつ究極の目的である「ユニオニズム」は合意されておりません。 私たちが欧州で「スーパーステート」を作ることに意欲的でないことは明確です。 既存の各国家が消えることはありません。 しかしながら、連合における決定を促進し、欧州機関がニースで達成した以上のことができるのは事実です。

ベルギーが今年の後半議長国になって目指す事は、これらの議題を明確にし連合の目標により近づけるということです。 それ故、私たちは本年12月に行われる欧州サミットのブラッセル発としてラーケン宣言を準備し、これらの目的を明確にし連合が今後進むべき道を決めていきたいと思っています。 と同時に連合の拡大化が連合にとって最優先であることを明確にするためにも私は現在、連合参加候補国の首都を訪問しております。 実際1989年から1991年までの奇跡により開かれた好機の窓はいつまでも開いたままではありません。 今こそ連合を拡大する時です。 明日ではもう遅いかも知れないのです。 同じようなチャンスが今後再びやって来るとは思えません。

失敗は加盟候補国にとってこそ有害といえます。 欧州の中でもこれら候補国における経済の発展は西ヨーロッパの水準に比べて遥かに遅れています。 しかし、連合は富豪の衆の集まりではありません。 これらの国家にとって援助、協力は不可欠です。 彼等は20世紀の最も重い負担を課せられ、長年ナチスドイツとソビエトロシアに対し気をもみながらもヨーロッパのルーツと夢を捨てることはありませんでした。 その多くがスラブ、ギリシャ正教であり、数世紀にわたり西のラテンやゲルマンとの繋がりが薄い中でも彼等は同じようにヨーロッパの文化に花を咲かせたのであり、我々の暖かい団結、協力やパートナーシップを享受して然るべきなのです。

欧州連合は「継続的創設」や超国家的威信という面において、加盟国の主権を捨てるのではなく、それを代表し国家を超えた権力を有する最も驚くべき国際機関といえます。 この最後の点をスタートするにも、いろいろな局面において欧州連合は今日、世界で唯一現実的な超国家機関であります。 NATOや国連はそうではありません。 欧州連合は前例のない自由国家が集まって、さらに高い権力を受け入れそれら諸国独自の法律や法令と関連付けた規則をつくるユニークな例といえましょう。 これは一言で言えば世界史、特に2000年の有史の中で繁栄と平和を求め続けたヨーロッパの歴史そのものです。

機は熟している、と思います。 ヨーロッパが多くの国家を抱え経済通貨同盟にも劣らない強い政治的同盟を築きあげることによって、ヨーロッパをより高いレベルに持っていけるのは今だと思います。 ベルリンの壁の崩壊後、東欧諸国の独立と東西ドイツの統合に続いてソビエトが崩壊し、1914年以来初めてヨーロッパは昔の地図の姿に戻ったのです。 この地図上で欧州連合は平和的かつ開放的ヨーロッパおよび成功を求め挑戦し続けるために最も適したリーダーとしての主役を演じているわけです。

我々の欧州計画はヨーロッパを他の世界から、もちろん、我が北大西洋同盟国やアジアなどから隔離しようとするものではありません。 むしろ生まれ変わったヨーロッパとして世界の経済協力や繁栄および発展のためのポールポジションでありたいと考えています。 我々はアメリカの同盟や日本の友人たちと共にグローバルな政治により均衡を保ったグローバルな経済に対し重要な責任を感じています。 そのためにすべての人々にとってより良い生活が出来るわけです。 実際、欧州連合とアメリカ合衆国および日本は世界経済、貿易、金融の中で最も重要な部分を占めております。 私たちが何をするにも、しないにも、世界経済はこの大きな三角形がどのように影響し合うかにかかっているわけです。 今までの歴史にとらわれることなく、この状況に直面しましょう。 ここで落ち着いてしまうことなく、責任を持ってさらに先を目指しましょう。

このような観点から、ヨーロッパと日本は共通の財産を持っているといえます。 およそ200年の間、アメリカは新しい世界で過去の権威や規則に妨げられることなく経済自由主義と政治的民主主義を発展させることができました。 欧州と日本は革命や崩壊といった考えに大いに反対しながら非常に異質の政治社会環境の中で現代政治を再開拓しなければなりませんでした。 1776年に人々が不滅の民主主義に基づいた未来を求めてアメリカに上陸した頃、100年にも渡るヨーロッパの混乱によってフランス革命が起きたのが1789年であり、欧州内紛を機に2つの世界戦争を引き起こしヨーロッパを始め世界を混乱させた劇的な冷戦が1989年まで続いたのです。

日本にとって、政治、経済の変化はさらに急激なものでした。 1542年、初めてポルトガル水兵が中国探索の途中九州に上陸し、実り多い経済、文化そして貿易交渉の後、16世紀後期日本は鎖国をしました。 300年の間、"将軍"は自らの権力を増す手段であった銃を禁じてまでもほとんど全ての海外からの交渉に抵抗し、徹底的な孤立を選択しました。

ようやく19世紀後期になって、世界の全く違う位置にあるヨーロッパと日本は同じ方向へと移行しました。 アメリカのフロンティアと比較し、伝統社会や、文化のあるべき最善の形態を考慮しつつ、我々は共に民主政治と経済自由主義を考案せねばならなかったからです。 それが、ヨーロッパと日本の伝統は共に過小評価されるべきではない理由です。 それはしばしば私共の政治、経済計画と交差し、決議を遅延させるかもしれません。 しかし私は、他の観点から、伝統は民主社会を貧しくではなく、よりいっそう豊なものに、そしてゆっくりではなく、思慮分別を持ちより早く、また弱くではなく、より一層力強くしてくれるものであると思っております。

機は熟しました。 ご存知の通り全ての国、人々が同じ世界に住む恩恵を受けているわけではありません。 アメリカ人、日本人そして、ヨーロッパ人が一緒になって、世界の外側に向かって、新しい精神そして三者の努力の下に団結するべきです。 20世紀の痛手から回復し、アメリカ人、日本人、そしてヨーロッパ人が一緒になり世界的規模における自由と繁栄をより保証し、保護するためより多くのことができることでしょう。 私にとって、これは発展する今世紀のための大きな共通のチャレンジであり、貿易、経済のグローバリズムに次ぐ、世界政治への道筋を見つけそれを拡大するための我々全てを育成するためのものです。

経済、技術、そして貿易のグローバリズムは我々と共にあります。 わたしはこれが予測しうる未来に変わることはないと確信しています。 何が変わるか、そして何が変わらなければならないか、それは政治である、と私は確信します。 よって社会的経済的変化により引き起こされたたくさんの問題に対し、政治的解決法を見つけることができるのです。 先月、偉大なペルーの政治作家であり、小説家であるヴァルガス・ローザは"自由主義はまた公正さの問題でもある"と繰り返し述べています。 しかし私はこのように解釈しております。 自由主義はまた政治の問題でもあると考えます。 もちろん、我々は世界的政治を作り上げる唯一の主体ではありません。 我々の経済・財政力と政治的決意を持ってすれば、EU、アメリカ合衆国、日本は今日、世界における最大の政治力になるものと予想します。

欧州および大陸関係の問題に関しては私どもの野望を取り下げるものではありません。 ちょうど、ベルギーがベルギー国内で始めたように、私共全てのものが、欧州人やアメリカ人と同じ方法で我々の国を、改革する必要があります。 と申しますのは、ベルギー政府は昨年、政治、社会、経済組織を再活性化するために、また、最新の情報通信技術を駆使して、よりダイナミックな想像的かつ効率のよい経営を相互にくみ合わせることによって、公共サービスの近代化に向けて、対策を講じたばかりです。

この努力は広範囲にわたり、かつまた深い内容のものです。 それは最も難題とされる公共部門である、法務省、警察の近代化、また公共サービスのあり方、および電子政府の導入を網羅しています。 しかし、同時に、私共はすべての市民と国際社会に目を向けて、雇用創出、失業率の低下、また、減税、福祉負担の軽減を計り、知識に基づいた経済を育成することにより、市民を活性化させたいと考えております。

そうすることにより、ベルギーと欧州連合は2010年までには、世界で最も競争力ある、ダイナミックな知識型経済の創造を実現することになります。 さらには、欧州史上かつてない完全雇用により近い雇用状態を創出することができ、世界の他の地域よりもより効率的な方法で貧困と戦うことができるものと思われます。 既に10年前にはハーバード大学教授のサミュエル・ハンティントン教授が、現在はユニオンと呼ばれますが、当時のECが政治的に団結すれば人口、資源、経済的な豊さあるいは、技術力、さらには現在もそうでありますが、軍事大国としての潜在力等からして、21世紀の卓越した大国としての資格を持つことができるであろう、と指摘しています。 私は10年後に教授にお会いし申し上げます。 我々の政治的団結は日に日に強化されており、かつてのヨーロッパは復帰しましたと。

ご清聴ありがとうございました。

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