寺田輝介 前大韓民国特命全権大使講演会
「激動する朝鮮半島」

2月27日、外務省寺田輝介前大韓民国特命全権大使による「激動する朝鮮半島」と題した講演会が、霞が関ビル霞会館にて行われた。当日は多数のJIIA会員の出席を得、質疑応答も活発に行われた。以下その要旨を紹介する。

○ 盧武鉉新政権の誕生

盧武鉉氏は2000年4月の選挙落選後、海洋水産部長官に就任した。その間の日韓の蟹漁操業に関わる交渉時の盧武鉉氏の冷静な態度が印象に残っている。80年代に人権弁護士として鍛えられている片鱗が感じられた。2000年後半から与党民主党の大統領候補として名前が挙がって以来、民主党予備選挙では勝手連的な若年層がインターネットを利用して盧武鉉氏を支持した。11月のテレビ討論では、その穏やかな語り口や柔和な表情を利用して勝ち、統一候補となった。11月前半の調査ではハンナラ党の李会昌候補の支持率が伸び悩むなか、投票日直前の各方面からの選挙前情報では盧武鉉氏優勢の動きを得ており、結果的に2.3%の差で勝利した。先述のとおり、今回の選挙では特に若い年代の圧倒的な支持がその決め手となった。これが支持基盤であることは、この世代に共通する「反米」・「親北朝鮮」の傾向に新政権が制約を受けることを意味する。

川口外相による本年1月16日の表敬訪問の際、盧武鉉新大統領は、小泉総理の靖国参拝問題等二国間の過去の問題は問題として挙げつつも川口大臣と議論する道を選んだ。その中で新大統領について印象的だったのは、過去を乗り越えた新しい日韓関係の構築の必要性を強調し、未来志向的なトーンを打ち出したこと。また北朝鮮問題については、核問題への対応について対話を基調としいたずらに圧力をかけるのは適当でないとの立場を表明したことであった。この問題は日本の安全保障にも関わることとした上で、「平和繁栄政策」を掲げ前政権の太陽政策の延長を覗わせるものであった。

○ 金大中大統領のバランスシート−「功績は誤りを凌いだ」

金大中政権の5年間について、以下の3点を勘案し総合的に評価すべきである。第一に、97年12月からの金融危機以来、経済を再生させたこと。第二に、日韓関係の緊密化への努力は正当に評価されるべきである。2001年の教科書問題では両国の関係は悪化したが、翌年のサッカーワールドカップを奇貨として緊密化の方向へ向かっている。その延長線上に盧武鉉政権が乗っている。第三に、太陽政策によって南北間の緊張緩和が達成されたとの評価もあるが、2000年6月に現代グループからの数億ドルの対北経済協力という大きな代償を払った。太陽政策のみによって北朝鮮の経済が持ちこたえているとの指摘は必ずしも当たらないが、ある程度北の経済に貢献したことは間違いない。

内政面においては、2000年春の選挙で韓国NGOによる落選運動を想起されたい。国政選挙を通じて世代交代が成り、いわゆる「386世代」の政治への参加が可能となった。金大中政権によって韓国社会の転換の素地を作ったことは評価される。

日韓関係という点では、金大中政権は日韓関係が緊密化することの重要性は十分認識していたが、韓国内の過去の問題に対する拘りは払拭できなかった。だが後述のように紆余曲折はあったものの、回復軌道にあり、5年間の政権の成果はあったといえる。

○日韓関係

金大中政権時における日韓関係には波があった。(寺田大使赴任の)2000年2月時点では両国関係に懸案は無かった。98年金大中大統領の訪日及び日韓共同宣言と行動計画、翌99年3月の小渕首相訪韓による両国首脳の信頼関係の構築、日韓の投資協定、ワールドカップ成功へ向けての協力など、両国関係は順調に推移した。

だが2001年には、教科書、靖国問題、そして北方四島におけるサンマ漁問題によって日韓関係が停滞した。その後の10月15日の日韓首脳会談が問題の解決の方向に向かう端緒となった。緊迫した会談であったが互いの意見交換を通じ胸襟を開き、その5日後の上海におけるAPECサミットで、日韓関係における7項目の懸案(先の3項目に加え、済州島豚肉対日輸出問題など)が議題に組み込まれた。現在では靖国の代替施設問題を除けばほぼ解決されるに至っている。

韓国の大統領の任期は5年であるが、一般に歴代政権は4年目に入ると政権の求心力が弱まる傾向がみられる。その中で日韓関係に問題が起こると韓国国民の関心がそこに向かいがちである。今回はワールドカップによって上向いたところで政権移譲が行われる。

盧武鉉大統領就任式には小泉首相が出席したが、これは日本の現職総理大臣としては盧泰愚大統領就任式に竹下首相が出席して以来のことである。このような形で両国首脳の個人的な信頼関係が出来たことは、今後の日韓関係を構築する上で非常に良い影響を及ぼすであろう。

line

寺田輝介氏略歴:1961年外務省入省。国連局経済課長、情報文化局報道課長、内閣総理大臣秘書官、情報調査局審議官、中南米局長、外務報道官を歴任。在外では在マレイシア大使館参事官、在フランス大使館公使を務める。1995年駐メキシコ大使、1998年日朝国交正常化会談政府代表、2000年1月から2003年1月まで駐大韓民国大使。

(渡邉松男 アジア太平洋研究センター研究員)


line