ジェームズ・スタインバーグ・ブルッキングス研究所副所長との懇談会

Mr.Steinburg

11月14日、当研究所大会議室にて、ジェームズ・スタインバーグ・ブルッキングス研究所副所長を招き、「イラク戦争後の米国外交政策の課題」と題し懇談会を開催したところ、概要は以下の通り。スタインバーグ副所長は、クリンントン政権時代には、国務次官補代理、大統領補佐官代理等の要職を歴任し、2001年から米国を代表するシンクタンクであるブルッキングス研究所の副所長兼外交政策部長を務めている。(なお、以下の発言要旨は、当研究所が作成したサマリーであり、スタインバーク氏の発言をそのまま起こしたものではない。)
(文責: 中山俊宏)


【発言要旨】

はじめにブッシュ政権の外交政策を検討する。まずは冷戦の終焉を振り返ってみたい。冷戦中、我々は二極世界というモデルで国際社会を解釈していた。それは危険を伴うものでもあったが、他方で安定したものでもあった。それが終焉し、多くの専門家がその含意について予測した。ジョン・ミヤシャイマーは、冷戦後の世界が多極化すると予測した。彼は、それに伴い「国家対国家」という構図が再浮上するというリアリスト的な解釈を行った。ウォルフォウィッツ現国防副長官は、他の国の台頭を許してはならないと主張した。彼が念頭においていたのは日本やドイツのような国であった。リベラル派、左派の間では別の見方が支配的であった。それは、集団安全保障、つまり国連を重視する立場である。二極構造の崩壊によって冷戦期の安保理の停滞が終焉するのではとの期待が彼らの間にはあった。安保理において大国間の協力が可能となり、事実PKOの数も増加した。しかし、このシステムがあまりうまく作動していないことが次第に明らかになっていった。国内紛争等、国連憲章が対象としてない問題が多すぎたのだ。憲章は、国家間の問題には言及していたものの、国内で生じる問題については言及していない。しかし、90年代に直面した問題は、ボスニア、ハイチ、ソマリア、ルワンダ等のように、いずれも憲章が想定していた紛争のモデルには合致していなかった。時間を経ると共に、これらの問題を放置しておけないことが明らかになっていったが、それにどのように取り組めばいいのか、誰も明確な解答を提示できなかった。そのような状況下、コソボ危機が発生する。国際社会は、国内問題についても、それが人道に対する挑戦である場合には、介入しなければならないという理解に達した。アナン国連事務総長もこれに理解を示した。国連が全く動けない場合にも、介入すべきだとの暗黙の規範が成立したのだ。その正当性について、さまざまな議論が交わされた。NATOの戦略ドクトリンについても数多くの議論が交わされ、域外の介入についてもその可能性が真剣に検討されるようになった。フランスのような国は域外の介入については、国連のマンデートが必要だという立場にこだわり続けた。

2001年、9.11テロ攻撃が起きる。これはまったく新しい安全保障上の問題を提起した。テロについても国連憲章の枠組みは、不十分であった。国連憲章は、非国家主体と大量破壊兵器との結びつきなど想定していない。この両者がむすびつく危険性に直面し、これが現実のものとなるまでは待てないという議論をブッシュ大統領は展開した。これは従来の国連憲章への挑戦であり、新しい視点から武力行使の正当性を訴えるものであった。それまで安保理が武力行使の容認権限を独占していた。しかし、テロ後、チェイニー副大統領は「誰もアメリカの外交政策に関して拒否権をもつべきではない」と主張し、ラムズフェルド国防長官は、「ミッションが連合の在り方を規定する」と述べる。9.11テロ攻撃については、これまでとは異なった別のアプローチがあるとの認識にブッシュ政権は達した。こうして米国は、米国の提示する前提に同意する国々を集めた。イラク以前にも、ラムズフェルドは、(どのように外国政府とかかわるかと記者に聞かれ)「まず原則を決める、次いで原則を説明する、そして支持を求める。もし支持が得られなければ、原則を遂行する」と言明していた。これは従来の集団安全保障とは離れた概念である。脅威の性格は、主権という概念をもはや無効なものにし(なぜなら主権の背後でテロがかくまわれていたから)、一方で米国の主権を絶対的なものにした。まずは、アフガニスタンでそれが実行に移された。しかし、アフガニスタンにおいては、各国が自発的に支援したため、特に問題は生じなかった。しかし、イラクでは状況が異なっていた。確かに米国は、国連、各国の支持を求めたが、脅威が急迫しているかどうかにかかわらず、米国ははじめから行動するとの決意があった。なぜなら、フセイン体制そのものの脅威のみならず、大量破壊兵器がテロリストの手に渡るかもしれなかったからだ。

安保理では、全く交わることのない議論が展開された。特にフランスは、原則にこだわり続けた。フランスは、イラクの脅威がどうであれ、武力の行使が正当化されるのは、安保理が容認する時のみとの議論を展開した。つまり、「脅威は急迫しているものでなければならず、それへの対応は国連を中心になされなければならない」という原則にこだわり続けた。このようなまったく交わることのない議論を経て、2003年3月、戦争が開始される。これは全く異なる世界観の対立であった。

自分が考えるに、ブッシュ政権が提示した世界観も、フランスがこだわり続けた原則も、双方とも間違っているのではないか。双方とも、今後我々がすすむべき道を提示してはいない。米国のようなハイパーパワーであっても、全ての問題を一人で解決できるわけではない。新たな脅威の性質は、国際社会からの協力を不可欠なものにしている。対テロ戦争においては、情報協力、警察協力、軍事協力が不可欠であり、いずれの領域もひとつの国の力だけでは十分に対処できない。しかし、アドホックな連合は、制度的な連合によって確保される支持よりも不安定なものであり、フリーライダーの問題などが生じる。まさにイラクにおいてその問題が露呈した。なぜ、(米国が一方的に介入した後に)いまさら米国を助けなければならないのか。米国を支持した同盟国は、米国と信念を共有しているからではなく、米国との関係を重視しているがためにそうしたにすぎない。このような状況では、安定した国際社会の原則は確立されない。全ての国が独自に力の行使の是非を判断するのだとしたらどうなるのか。核保有国間のインドとパキスタンの対立がはずはじめに頭に浮かぶ。武力行使の敷居を低くすれば、結果として他の手段を軽視するかたちとなる。またこのような予防戦争がひとつの手段として確立すると、それはむしろ大量破壊兵器の拡散につながるのではないか。イラン、北朝鮮の問題がこの危険性を示している。

次ぎにフランスの立場を検討してみたい。なぜ彼らは間違っているのか。それは、国連という前提そのもの不十分さを彼らが充分に認識していないことにある。フランスは、国連そのものが武力行使の正当性を根拠づけるものであるかのように見なしているが、国連には色々問題がある。一国一票という原則の不自然性もその例としてあげられる。小国が大国と同じ一票を有するのはおかしい。また民主主義連合の行動を権威主義体制の国が妨害しうるという問題もある。また、脅威が現実のものである時、その脅威を共有していない国が、前者をブロックできるというのはおかしい。

ではなにが必要なのか。国際社会は新しい脅威にいかに対応すべきか。いかなる場合に武力の行使が正当化されるのか。おそらく、現在の米国とフランスに代表される立場のハイブリッド版を構想する必要性があるのだろう。普遍的な原則を確立すると共に、その原則を実行に移すために有志国連合を確立するという方式である。では具体的にどうすればいいのか。金融面での対テロ対策が参考となる。数多くの対テロ関連の方針がG7を中心に形成された。これは正式には国連プロセスの一部ではないが、多くの国を巻き込み、有効に機能している。大量破壊兵器の拡散についても、現行のNPT体制では不十分なところがある。それは、この体制の外にいることは自由であり、技術、物資の移動は自由であるからだ。これはあまりに危険すぎる。ブッシュ政権はこの危険性を認識し、「拡散安全保障イニシアチブ(PSI)」を思い立った。これはブッシュ政権の政策に典型的にみられる有志国連合である。これはいいアイディアではあるが、それは普遍的な原則を打ち立てようという考えによって支えられていない。これは米国の単独行動主義に同意する一部の有志国のみによって支えられた取り組みである。まず国連の場にもっていき、その後普遍的な原則を実効に移すために、有志国連合と共に行動するということもできたのではないか。これが我々がいま直面している大きな課題だ。イラク戦争後、このようなアプローチが必要であることがますます明らかになっている。単にこれまでの国連に戻るのではなく、21世紀に向けた新しい国際システムの構築が必要とされている。

(以上)