JIIAフォーラム講演要旨

2006年 2月 3日
日本国際問題研究所で

クラウス・ヴォーヴェライト・ベルリン市長
「ベルリン 〜 統合欧州の中心に位置する将来性豊かな都市」

ベルリンは、断絶を経た街である。かつては学者や芸術家の集まる栄光の街だったが、ナチス時代、第2次世界大戦では多大な苦難を経験し、1961年にベルリンの壁ができて以降、ベルリンは東西に分断され、西ベルリンは陸の孤島となった。そして分断当時には予想もつかないことであったが、1989年11月9日にベルリンの壁は崩壊し、ドイツは血を流さずに統一を果たすことができた。これはソ連におけるグラスノスチやペレストロイカ、そしてポーランド、ハンガリー、チェコにおける体制の変革などの、時代の変化のうねりがあったからである。

ドイツ統一の際には西側の大きな支援があった。これは統一されたドイツが脅威とならずに欧州の一員になると見てくれたからであろう。ベルリンは中でも統一の恩恵を受けた。ドイツ統一以後、ベルリンは急速な統一を果たした。東西両市議会の統一、水道局や交通局などの統合など、具体的な統合を急速に進め、ベルリンはいわばドイツ統一の「実験場」であった。統一から16年が経ち、東西はだいぶ統合されたが、ルサンチマンはまだ残っており、転換を乗り切ることができなかった人々の社会主義への郷愁はまだ残っている。ドイツの中でも旧東独の各州は様々な構造問題を抱えており、依然旧西独各州からの支援(連帯税)に依存している

共和国宮殿(旧東独議会)の解体問題のように、旧東独の人々が過去を否定されているように感じてしまい、都市政策上の問題が政治的な問題になってしまうことがある。こうした問題を政治的な文脈からより普通の文脈で議論できるようにすることが重要である。過去を否定する必要はないのであり、ともに手を取り合って将来に向かうことが大事である。

ベルリンはかつてEUの最東端に位置し、地理的にも政治的にも東西欧州の接点である。東欧に目を向ける企業の活動にとってベルリンは東への窓となるし、東欧諸国にとってはベルリンを通じて西欧市場にアクセスすることができる。一方通行ではなく、東から西、西から東へと、双方向の発展が進むようにしたい。東欧諸国は、速やかに西欧の水準まで伸びるであろう。賃金格差もいずれ解消すると思われる。東欧諸国やロシアが競争力を付けていくなかで、ベルリンが果たしうる役割がある。ベルリンには社会主義から資本主義への以降を肌で体験した人がたくさんいるということである。

ベルリンは現在、大変魅力ある都市となっている。ロンドンやパリに引けを取らないほど、若いクリエイティブな人が集まっているし、旧東ベルリン地区を中心に市街地の中心部に未開発地、スペースが開いている。また、ベルリンは学術、研究機関、大学が充実しており、建築やファッションなどのクリエイティブ・インダストリーの分野でも競争力をつけてきている。それから、ベルリンは観光にも力を入れており、現在憲法裁判所の判決待ちではあるが新空港の建設を準備している。新空港ができれば新たな雇用にも繋がるであろう。

ベルリンはドイツの首都であるが、ドイツは一極集中ではない。ベルリンは政治の中心ではあっても経済の中心ではなかったが、ベルリンは今後経済の面でも中心としての役割を増していくであろう。それに伴い当然移民も増える。移民は増えているし必要な存在でもある。現在ベルリンの人口は350万人であるが、そこに約180カ国からの移民がいる。特に多いのはトルコ人であるが(次いで多い「外国人」はバーデン・ヴュルテンベルク州の人間である)、多様な文化的、宗教的背景を持つ人々が共に平和に暮らしていけるようにすることが重要な問題であり、ベルリンがこれから国際的な首都として発展していくためにも、移民問題への真剣な取り組みが必要である。

以 上