北東アジア限定的非核地帯構想(LNWFZ-NEA 以下NEA)の第10回総会が3月19−22日、上海で開催されたところである。NEAの誕生はソ連が崩壊した1991年に遡る。同年、「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」が韓国、北朝鮮によって草案され、翌1992年には両国政府の調印により発効した。この共同宣言は基本的に二国間の取り決めであり、地域的に機能するものではなかったため、この宣言を土台とし、さらに朝鮮半島を取り巻く北東アジア地域全体にわたる非核地帯を創設するという発想が生まれた。これがNEAの原点である。以後、NEAの実現化を目指し、トラック2対話努力を続けて現在に至っている。
NEA初期には、北朝鮮のNPT脱退や領土の多くが非核地帯に含まれる提案への中国の猛反発が起こったが、国際社会との共同作業を欲していた崩壊後のロシアは、対話に積極的に参加した。1995年には中国、日本、韓国、ロシア、米国によるシニア・パネル(専門家会議)が誕生し、各国から幹部将校レベルの参加があった。日本からは元自衛隊幹部の四方俊之氏が参加した。非核地帯はそれまで含まれていた韓国、北朝鮮、日本、台湾、及び中国・ロシアの一部に、新たに米国の一部(アラスカ)を加えたフットボール状の地帯と拡大された一方で、核兵器については非戦略的核に限定した。この意味において構想は「限定的」である。構想は米国のトラック2軍縮関係者から好意的な反応を得た。1996年にはアルゼンチン、フランスでも会議が開催され、主要パネル5カ国の他、アルゼンチン、フランス、カナダ、フィンランドがオブザーバー国として参加した。
1997年にはさらに限定的な非核兵器保有国連盟の構想が発案され、翌年のヘルシンキ会議では非核兵器保有国であるモンゴルが主要パネルに新たに参加した。2001年にはトラック1による包括的解決に向けた文書(ソウル・プロトコル)が草案されて、2003年迄、北朝鮮の協力とモンゴルの役割拡大について協議が続けられた。2004年に韓国のチェジュ島で開催された会議では、政府間交渉である6者協議の進展を視野に入れつつ協議し、2005年はフィンランドとスウェーデンにおいて会議が開催された他、日本、韓国の外務・防衛関係者との協議、フランスの核施設視察、英国国際戦略問題研究所との協議、モンゴル訪問等、精力的な活動を行った。同年にはNEAがノーベル平和賞にノミネートされるという栄誉ももたらされた。
今年3月に行われたばかりの上海会議では、主要パネル国の他、アルゼンチン、フィンランド、フランスのオブザーバー参加があった。NEAにおいて最も重要なCBM(信頼醸成措置)は、朝鮮半島の非核化と北朝鮮・韓国の友好的関係であり、6者協議を支持しつつ、トラック2対話を継続することが会議の総括となった。2007年は日本、ロシア、米国のいずれかの国で会議を開催する予定である。
以 上
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