JIIAフォーラム講演要旨

2006年4月5日
都内ホテル・オークラ
  

緒方貞子JICA(国際協力機構)理事長

「紛争と難民――国連活動の一面」

日本国連加盟50年という節目の年を迎えている。国連成立の経緯を改めて見直すと、第二次世界大戦終了以前から、当時のルーズベルト大統領によって大国支配の下に世界の安定を生み出そうという動きがあった。これが国連の始まりである。加盟国は発足当初は51カ国であったが、非植民地化等の世界情勢の変化により現在は191カ国となり、こうした国連拡大の流れの中で、昨今、安全保障理事会の改革が問題となっているのも、国連が第二次世界大戦の戦勝国による支配を前提に誕生した組織であるという歴史に因を帰している。

よく、国連は話し合いばかりしていると言われるが、そもそも国連とは主権国家間の討議・方向付けをする場であり、安保理の決定を除き、討議の結果である合意事項を実行するのは主権国家である。しかし、現在ではグループ・ポリティクスが強まり、国連自体が活動の主体となり始め、討議をするという本来の主務を果たすだけでは不十分となってきている。又、主権国家では対応できない事態も多くなり、誰が合意を実施していくのかという「実施の主体」が問題となっている。国連の専門機関の主務は基準の設置であり、設置された基準を実施していくのは加盟国である。国際組織としては、やはり、合意や方向付けが必要である。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、難民の保護の提供と難民問題の解決を担う国際機関である。1950年12月に設立、翌年には難民の地位が定義され、難民条約が採択された。UNHCRは難民保護に関しては他のどこかから許可を得る必要はなく、独自の任務として保護を行える権限を持つ。ヨーロッパにおける社会主義国からの避難民の保護がUNHCRの出発点だったが、私が高等弁務官に就任した当初は、冷戦終結後の内戦勃発によって発生した難民問題への取り組みが大きな仕事であった。1991年に就任したが、同年のソ連解体とCIS成立による大規模な住民の移動に対処する必要性から、同9月に国連機関として初めてモスクワにオフィスを開設した。冷戦時代のソ連は、ソ連に難民支援の国際機関が必要になるとは夢にも思わなかったことだろう。

同年は湾岸戦争勃発の年でもあり、大量に発生したクルド難民の保護という大きな仕事にも直面した。クルド難民問題で一番難しかったことは、イラクの山岳地帯に非難したクルド難民を、北イラクに帰還させるという決断であった。逃げてきた所へ難民を再び戻すのは、難民の受け入れ・保護というUNHCRの使命からすると苦難の選択であったが、難民保護が急務であるのに周辺国が受け入れに消極的であるという状況もあって、帰還した難民の安全を保障してくれるなら、という条件の下に緊急実施に踏み切った。難民保護のプリンシパルには沿っているが、保護の手段としては大きく転換を見たと考えている。

もうひとつの大きな仕事はバルカン紛争による難民問題で、高等弁務官を務めた10年のうち、8年は同地域の難民問題の解決にあたった。人道支援活動は長期に渡ったが、なぜそうなったかといえば、政治的解決ができなかったからである。半端な政治的介入しかできないでいたが、人道的観点からは民族浄化の犠牲者を放置してはおけない状態にあったのだ。この旧ユーゴにおける人道支援により、UNHCRは紛争地域内で活動することとなった。紛争後の難民保護だけでなく、紛争中における難民への物資支援も極めて重要な任務だ。しかし、いつまでもこうした人道支援をし続けるわけにはいかないし、人道支援を続けているだけでは問題は解決しないので、国連に出向いて政治的解決を強く働きかけるということも行った。バルカン紛争における難民の保護に関しては、人道支援における軍との協力関係について是非が問われることにもなった。UNHCR職員の間では、攻撃力を持つ軍との協力には戸惑いもあり、中立性の観点からも軍とは一線を画したいという意見もあった。しかし、紛争地域内での物資輸送には、やはり軍の力が必要であったし、紛争が激化し、最後にどうしても軍事行動が必要とされる状況となったときには、攻撃を行うことに反対はしなかった。軍事力なしには解決しないこともあるのだという思いが残ったものである。

1990年代に起こった大きな難民問題としては、さらに、アフリカ大湖地域の難民問題がある。この難民支援では本当に孤軍奮闘した。ルワンダ、ブルンジで起こったジェノサイドにより100万人以上の難民流出が起こったが、欧米諸国も国連もなかなか軍事的支援を行ってくれなかった。米国は、ルワンダでコレラが発生して事態がさらに悪化した際、ようやく、緊急人道支援のための軍を送ってくれた。続いて日本の自衛隊も派遣された。これは国際平和協力法による自衛隊海外派遣の初めてのケースであったと認識している。

日本によるUNHCRへの支援についていえば、まず、資金的には米国に次ぐ支援を行ってくれた。又、アフガニスタン支援やインドシナ難民問題に例をみるように、近隣のアジアにおける問題についてはとてもよく動いてくれる反面、アフリカのような地理的に遠いところで起こった問題への反応は遅いという印象がある。紛争が一応の解決を見て平和構築に向かうときには積極的に支援参加してくれるが、平和構築に重要なのは休戦状態に入った際の早期介入であることを考えると、より早い段階での迅速な支援参加が望まれる。

以 上