JIIAフォーラム講演要旨

2006年9月6日
於:日本国際問題研究所
  

ロイド・アクスワージィ・ウィニペグ大学学長兼副総長、
元カナダ外務大臣

「アジアの平和と安全保障に関するカナダの展望」

目下、スリランカ、レバノン、スーダンのダルフール地方など世界の各地で、深刻な紛争が続いている。わたしたちはいま、紛争解決のメカニズムは有効に機能しているのかと真剣に問いかける必要がある。同時に、紛争地域の惨状を直視し、他人の苦痛を自分のものとして捉える姿勢も肝要なのではなかろうか。

カナダと日本は対人地雷廃絶に向けて協力してきた。また、カナダは紛争と暴力がもたらす安全保障上のリスクを重視し、日本は開発や環境問題などをより強調するという違いこそあったが、従来の国家安全保障に代わる概念として人間の安全保障を共に唱道してきた。

イスラエルがレバノンで直面している困難や、アメリカがイラク再建でかかえる矛盾、NATOがタリバン掃討作戦で払っている犠牲は、国際安全保障政策の再検討の必要性を示しているといえよう。日本においても、集団自衛や国際的介入主義へのより積極的なコミットメントなどを巡り新たな議論が高まっていると聞いている。

振り返れば、国家安全保障と人間の安全保障の矛盾、より具体的に言うと、国連憲章上の国家主権の原則と、国際社会による人道的介入の必要性の間のディレンマが顕在化したのは、コソボにおいてであった。NATOによる軍事行動は、国連の枠組みの外で決定がなされ、介入の基準が不明確だったとの批判を受けたが、そうした問題の検討を試みたのが、介入と国家主権に関する国際委員会であった。私も外務大臣として関わった同委員会は、報告書「保護する責任」を発表し、政府が自国民を保護する能力あるいは意思を持たない場合、または自国民を暴力により犠牲にする場合は、国際社会がそれらの人々を保護する責任を担わなければならないという認識に関する国際的コンセンサスの形成に寄与した。そうした考えは昨年のサミットでも確認され、最近、ダルフールへの国連の関与を律する基準として適用されるに至った。

先述の国際委員会は報告書の中でまず、武力行使を伴う人道的介入の是非と形態の決定は、NATOなどの地域機関や個別の有志国家連合ではなく、国連、とりわけ安保理により国連憲章7章の下でなされるべきだとした。さらに、軍事介入は全ての外交手段を尽くした後に用いられる最後の選択肢として位置づけられるべきだと主張した。また、問題の解決に対して必要最小限で均衡性のある軍事力が行使されるべきだと強調した。これらの原則を曖昧で複雑な現実の中で有効に適用するためには、賢明な分析と判断、蓄積された経験、変革への意欲が必要であるのは言うまでもない。そして、主権国家にとどまらず、NGO、企業、国際機関、軍閥、麻薬カルテルなど紛争に関与する国際的主体が多様化している事実が、国際社会の対応をより困難なものにしている。

最後に提言をさせていただきたい。国連において新たに設置された人権理事会や平和構築委員会、そして保護する責任などの具体的なテーマについて、日加間の対話がさらに深まることを希望している。2001年9月11日の米国同時多発テロ以降、テロ対策に国際的関心が集中し、それまで進展しつつあった新たな安全保障の枠組みの構築に向けた取り組みが停滞してしまった感は否めない。国際社会が直面する安全保障上の脅威に効果的に対処するために、こうした真剣な議論が世界中で再び活性化することを期待している。

以 上