アメリカのイラン政策はどのようにして変わったのか。なぜこのような奇異な形になったのか。アメリカにおける外交政策の決定過程がブッシュ政権において多少変わってしまった。アメリカの外交政策を方向付ける原則があったが、そこからの逸脱が生じた。その背景を6つの命題から論じたい。
第1は、アメリカの基本的な政策からの逸脱と回帰に関する問題である。アメリカの外交政策は、西欧との同盟、日本との同盟、中国とのロシアとの関係、また自由貿易、民主主義、人権などへのコミットメントなどの基本原則があった。しかし9.11の同時多発テロは、アメリカの政策の根本を揺るがし、ブッシュ政権の1期目には、こうした従来の政策から逸脱してしまった。2期目に入り、ブッシュ政権はNATO諸国との関係を是正した。イラン問題に対しても欧州のコミットを尊重し、欧州がイランと交渉することを支持したが、それはアメリカにとっての米欧関係の再確立のためであり、イラン問題への対処を一義的に考えたためではない。そのことはイランにも分かっており、米国の役割に対して不信感を強めている。
第2は、外交政策決定の構造の変化である。第2次世界大戦後、国家安全保障担当補佐官が外交政策の主たるアドバイザーとなり、最も影響力を持ってきた。しかし、ブッシュ政権になって副大統領の力が増大し、外交政策においても中心的な役割を果たすようになった。副大統領は国防長官とも強い関係を持っており、NSCの伝統的なストラクチャーが迂回されてしまうという状況が起こっている。対イラン政策についても、NSCや国務省はイランの対テロ支援や対イスラエル政策などを重要視しているのに対し、副大統領と国防長官はイランの潜在的な核保有による中東地域の脅威に対イラン政策の主眼を置いている。
第3に、アメリカの政治システムでは、多少の例外を除いては、世界についてあまり知識を持たず、経験が少ないまま大統領がなる場合が多かった。ブッシュ大統領も然りである。そして彼は外交政策の顧問を過去の共和党政権に関与していた人物の中から選んだが、彼らの中には中東の専門家がおらず、イランについて知っている人が政権に誰もいないという状況が生じた。
第4は、連邦議会の役割である。アメリカ連邦議会は外交政策において大統領の権限を抑制するのに重要な役割を果たすようになってきたが、しかし、実際に軍事力を行使する際には、この連邦議会による抑制は十分に機能していないようである。また議会は大統領よりも世界に対して知識が少ないという状況があり、個々の議員はそれぞれの地域のことには強いが、世界のことはよく知らない。アメリカが世界なのではなく、アメリカを取り巻く世界が重要なのである、ということを強調する必要がある。
第5に、20世紀を通じてアメリカの政権は、理想主義と現実主義の混合で構成されており、基本的には現状維持を重視し、過激な政策を取ることはなかった。しかしブッシュ大統領は、世界に民主主義を広げることがアメリカの役割であるという政策を掲げ、特に中東においてその政策を実行した。アメリカの政策は世界を変えるという革命的な性格を帯びるようになり、対イラン政策もこの枠組みの中に入ってしまっている。
第6は、国連に対する見方である。我々は国連のことを罰を与える場として考えてきた傾向があり、問題を解決する場としては考えて来なかった。第2次世界大戦後の国連創設以来、アメリカは国連を尊敬してきた。しかし、国連は効率が悪いとの見方もあり、国連は物事を効果的にできないから無視すべきとの意見が出る一方で、国連が効果的でありすぎてアメリカが自分たちの力を思うままに使うことをできなくしているという見方がある。イラク戦争開戦の際には、国連はやるべきことをやったと世界の人々が思っており、アメリカもこの見解に耳を傾ける必要がある。
9.11同時多発テロはワシントンの心理に多大な影響を与えており、一連の外交政策の逸脱が生じてしまった。アメリカの政策は友好国と団結し、敵を分断することでなければならないが、現政権はその逆をやってしまったのではないだろうか。イラン問題を超えて、ブッシュ政権によるアメリカの外交政策の変化は、今後も継続的な変化なのか、過渡的な性格のものなのか問う必要がある。あるいは次の政権はまた伝統的な政策に戻るのかもしれないが、ブッシュ政権の影響のようなものは残るであろう。
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