JIIAフォーラム講演要旨

2006年12月14日
於:都内霞が関ビル・プラザホール


パトリック・クローニン 国際戦略問題研究所(IISS)研究部長

「湾岸の安全保障」

 イラクへの先制的な軍事行動に対する国際社会の不支持やイラクにおける国家建設には大きな困難が伴うであろうという専門家からの警告があったにも拘わらず、アメリカ率いる有志連合は、イラクの人々を圧政から解放し中東に民主主義を広めるという野心的な試みを始めた。しかしながら、過去45ヶ月の間に明らかになったことは、そのような崇高な試みは、イラク全土に広がる混乱の悪循環をいかに止めるかという絶望的な試みに取って代わってしまったということである。

 予想された困難に対する有志連合の準備不足や互いに対立するいくつかの民兵組織に分裂したイラク社会、またそれら対立を調停できないイラク新政府の無能さは、これまで無秩序と暴力に苦しんできたイラク国民の希望を打ち砕いた。有志連合はイラクの状況を改善しようと努力してきたが、それら努力は予想を超える任務の多様性や社会状況の複雑性いった要因に阻まれた。

 有志連合は、サダム政権を打ち負かしたが、バアス党のネットワークは生き残った。占領軍とイラク新政府に対する暴力的抵抗の動機は様々であるが、それは主にバアス党とスンニ派勢力の権力喪失に対する不満から生じているものであった。2005年の12月に行われた国民議会選挙は、多くのイラク国民に希望を与えたが、新政府の統治能力は有志連合が立てた政治権力移行の予定表通りに育たなかった。トップダウン方式によるガバナンスの構築は、草の根レベルの人種・宗教を超えた政治運動の形成を妨げ、政治は最も強い民兵組織を持つ宗派政党に支配され続けた。また、地方政府は独自の財源を持たなかったため、市民の衣食住問題に十分に取り組むことができなかった。そのため、多くの人々は民兵組織などに衣食住を頼らなければならなかった。このような状況下において、シーア派民兵組織の影響力はますます増大してしまった。シーア派がその支配地域からスンニ派を追い出し、またその逆のことが起こるにつれ、スンニ派民兵組織とシーア派民兵組織との衝突が激増した。今やスンニとシーア派の過激主義者達は報復的暴力の連鎖にはまってしまっている。

 イラクに緩やかな地域自治区の連合体を作る構想は、権力の分割といった伝統を持たないイラクの政治文化に適さない。スンニ派勢力を始めとする各エスニック・宗教グループは、シーア支配地域やクルド支配地域へ権力が委譲されることに強い懸念を持っている。イラク分割案を採用することはイラクに破滅的な内戦を引き起こすであろう。このような問題を解決するには、アメリカを初めとする有志連合および隣国のイラクへの建設的関与が要求されるが、これは非常に難しいことである。イラクの政党の多くは民兵組織の利益を代弁しており、またアメリカのイラク残留への意志は減退していると信じているので、彼らはアメリカ撤退後の政府の中で有利な地位を獲得するために、他の政党との協調よりもむしろ相対的なパワーの増大を目指している。悲惨な戦争が始まって4年近くが経過し今明らかになった事は、イラクに安定をもたらすためには、戦略の転換と国際社会、特にイラク近隣諸国、からより大きなサポートを獲得する必要があるということである。

 アメリカとイギリスの対イラク戦略は駐留部隊の数にその焦点をあてる傾向があるが、イラクに安定をもたらすには政治、法律、経済といった幅広い分野の問題に取り組まなければならない。これら問題には、国民に基本的な衣食住を供給することができる州・地方レベルにおける政府機能の整備、公正な司法制度や効果的な警察力の設立、また経済の活性化や失業率の改善などが含まれる。

 これらイラクにおける問題は重要ではあるが、より大きな問題の一角に過ぎないともいえる。アメリカのイラクへの侵攻と失敗は、イランに過大な自信を持たせ地域覇権への野心を助長してしまった。一方、アル・カーイダは、その司令機能が打撃を受けたにも拘らず、そのネットワークはさらに拡散され、そのためその危険度はさらに高まった。また、エネルギー安全保障や核拡散問題はますます深刻となっている。しかしながら、これらの脅威は我々の対処能力を超える問題ではない。

 今後残り2年の任期の間、ブッシュ政権は、現実的で且つ協調的なアプローチをとっていくであろう。それにはいくつかの理由がある。まず第一に、ブッシュ大統領は、戦略的助言を少数の側近からだけではなく、より多くの部下から聞くようになったことが挙げられる。第二に、超党派的なイラク研究グループの報告書がブッシュ大統領に提出されてことによって、少なくともこれから半年の間、ブッシュ政権は、イラク全土において内戦が勃発することを防ぐため対イラク政策の調整に全力を尽くすであろう。第三に中東の安全保障に役割を果たすことができる国家がアメリカ以外に存在しないことである。最後に、アメリカは、現時点においてこれまでにないほど、自らの強大な力をもってしても単独では国際安全保障の重大な問題に十分に対処することができないということを理解しているといることである。

 軍事力は重要ではあるが、イラクやアフガニスタンまた他の安全保障問題を政治的に解決するための主要手段にはなりえない。確かに、アメリカの軍事力は、イラクのクウェートに対する野心を挫いたように、何十年もの間にわたり中東の政権を外部の侵略から守ってきた。しかし、ここ数年の間、アメリカのそのような力はテロリズムや暴力を誘発している。中東の国家は、果たしてアメリカが問題の解決者なのかそれとも問題の根源なのか分からなくなってきている。反対にアジアでは、多くの国家が後退するアメリカの指導力の行方を不安を抱いて見つめている。

 ある懸念は多くの国家を国際安全保障に対する貢献へと駆り立てる。しかし、これら国々を結集させる重責はワシントンにいる善意ある指導者達にのしかかる。ブッシュ大統領がこの挑戦を引き受けるであろうと信じるに足る理由はある。日本のような同盟国が一緒であれば、国際社会は中東の問題に対処していくことができるであろう。

以 上