NATOと日本が初めて体系的に接触を持ったのは1990年に遡る。当時は日・NATO関係がどうなるかは分からず、実験的な接触であったが、その「実験」は非常に成功であった。日本とNATOとの会議は定例化され、両者の外交的接触は着実に増えた。我々の距離は次第に近くなってきたと言えよう。
しかし我々は十分な成果を挙げてきたと言えるだろうか。我々は両者の接触が始まった1990年当時とは全く異なった世界にいる。我々が直面しているのはかつて経験したことのない急速で根本的な変化であり、数々の矛盾である。グローバリゼーションは経済を開放し新たな富を生み出したが、情報技術の急速な発展により、グローバリゼーションはその負の側面である過激主義や狂信主義、テロリズムなども一方でもたらしている。
EUのように、グローバリゼーションに伴う課題に協力して対処するための素晴らしい事例もあれば、一方ではアフガニスタンやソマリア、スーダンなどのように国家が解体して無政府状態に陥り、テロリストの安全な要請基地を呈するに至ってしまっている所もある。かつては地理的要素が安全保障の脅威に対する防壁となったが、今日の世界において、地理はもはや混沌と不安定から自らを守る緩衝要因にはならず、地理的に離れているからとって脅威から離れているということには全くならない。
我々の今日の課題は明快である。グローバリゼーションの利点を享受しながら、グローバリゼーションの影の部分を克服していく必要がある。そのためには新しい考えが必要である。地理的、文化的、あるいは宗教的な境界を越えた、安全保障協力における新しいアプローチが必要である。冷戦期に作られたNATOはもはや過去のものになった。新しい課題には新しい答えが必要である。
では新しいNATOと古いNATOはどう違うのか。第1の特徴は安全保障の捉え方である。グローバルな脅威に時代において、安全保障を領域的な理解で捉えるのは狭義に過ぎる。問題が身に迫るのを待つのではなく、たとえ地域的に遠く離れたところでも問題が生起する場所で対応できるように備えておく必要がある。アフガニスタンや地中海の対テロ政策、イラクにおけるトレーニングやパキスタンの地震支援、アフリカのダルフールなど、実際にNATOは現在ジブラルタルからヒンドゥークシまで約50,000人の軍隊を送っている。
今日のNATOの第2の特徴は、他の機構との緊密な関係である。バルカン半島でもアフガニスタンでも、軍事力だけで成功することはできない。安全保障と発展とは1枚のコインの両面である。そのためにはNATOが単独で行動するのではなく、国連やEU、世界銀行、そしてNGOなど、他の機関との連携が重要であり、軍事力だけでない包括的なアプローチのみが恒久的な成果を得ることができる。
第3の特徴は、他の国とのパートナーシップである。冷戦時代には加盟国間の連携があれば十分であったが、今日のNATOの作戦においては他の国々とのパートナーシップが不可欠である。その点では、日本とNATOとの関係もより重要かつより実質的なものになっている。1990年代のバルカン半島においても、日本の支援は現地の復興に重要な役割を果たし、バルカン半島の平和に大いに貢献した。アフガニスタンにおいても、日本の強い支援は国際社会全体から高い評価を得ている。日本が行った非合法武装集団の解散(DIAG)や武装集団の非武装化・動員解除・社会復帰(DDR)は、アフガニスタンで最も成功した取り組みである。このような事例は、日本とNATOの安全保障上の関心が次第に収斂しつつあり、日本とNATOは共通の目的のために効果的に一緒に行動しうるということを示している。同時にそのことは日本がNATOにとってアジアの国の中で最も永続的な関係を有する比類なき真のパートナーであるということを意味している。NATOは日本をより安定した国際システムを築くための自然なパートナーと見ている。我々は共通の関心を有し、今日の課題に共に対処していくことができると確信している。
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