JIIAフォーラム講演要旨

2007年3月23日
於:日本国際問題研究所


バーネット・ルービン ニューヨーク大学教授

「アフガニスタンで成功は可能か?」

私がブラヒミ国連事務総長特別代表の特別アドバイザーとして、その取りまとめに関与したボン合意は、国連による短期間の調停によりアフガニスタン諸勢力の間で結ばれたが、94年以来約7年間にわたって積み重ねられた外交努力があったからこそ実現したという事実を再認識しなければならない。妥結に至る過程で最も困難を極めたのは、米国と国連のパートナーシップを基軸とする国際社会と一部地域を除き実効支配を確立しつつあった北部同盟との交渉であった。その結果生まれたボン合意は、北部同盟優勢の現状を追認すると同時に、北部同盟と他のアフガニスタン勢力のパワーシェアリングを取り決めた政治的合意であり、交渉時必ずしもアフガニスタン国民を代表する正統性をもたなかった諸勢力が、正統な政府を有する民主的な国家への段階的な移行を取り決めたものであった。

端的に言えば、ボン合意に基づくアフガニスタンの国づくりには三つの課題があったといえよう。第一に、各地に群雄割拠した諸軍閥に政治権力が分散していたため、中央政府の選出と行政機構の整備、地方の政治・行政改革などを進めることで政治的正統性を作り出す必要があった。第二に、米国主導の国際治安支援部隊(ISAF)を展開することにより、軍閥や民兵集団間の軍事的バランスを確保するとともに、こうした諸勢力の武装解除と新国軍創設を推進しなければならなかった。第三は破綻した経済の再建である。2002年1月東京で開催された復興支援国際会議で道筋がつけられたが、麻薬栽培への依存からの脱却、インフラ整備、中央銀行・通貨の再興など課題は多岐にわたった。また、国づくりとは国際的なプロセスであることを付言しておきたい。タリバーン政権崩壊後の新生アフガニスタンの建設には地域的なコンセンサスが肝要であり、タリバーンを支援していたパキスタンとアメリカとの集中的な交渉を要したのはそのためである。

ブラヒミ氏は2004年、アフガニスタン担当特別代表の職を離任するにあたって、ボン・プロセスにおける主要な段階の一つであった新憲法制定は実現したが、ボン合意の目標は未だ達成していないと語った。同氏がいみじくも指摘したように、タリバーン政権崩壊後も法の支配は確立されておらず治安状況は不安定なままであり、加えて経済・社会面の再建プロセスは遅れ、アフガニスタン国民が期待したほど生活の向上とインフラ整備は進んでいなかった。ブラヒミ氏はそもそも、ボン合意を真の和平合意にするにはタリバーンをその枠組みに含めるべきだと考えていたという経緯もある。その後のアフガニスタン情勢の帰趨に鑑み、こうした評価は極めて先見の明に富んだものであったと言わざるを得ない。

ボン・プロセスの欠点を補う目的で2006年1月のロンドン国際会議で合意されたのが、アフガニスタン・コンパクトである。治安、法の支配と人権、経済・社会開発などの各分野で、アフガニスタン政府と国際社会が協力して達成すべき目標が設定された。たが同文書が合意される以前に、その履行を困難にする状況が既に生じていた。タリバーンがパキスタンで体制建て直しに成功し、また米国によるイラクへの武力行使はイスラム世界からの反発を誘発するとともに、アフガニスタン復興への資源投入を鈍らせる結果を招いていたのである。

米国が資金面および軍事面でアフガニスタンへのコミットを再度強めようとしているが、それが同国の安定化につながるかは未知数であるし、また国際社会全体のアフガニスタンへの関与が最終的に成功するか否かについては、現時点ではまだ判断しがたい。そもそも、国づくりへの国際的な関与はいかなる状況を以って成功したと言えるのだろうか?内戦に逆行したり、テロリスト集団の支配下に陥ったりすることなく、国際的プレゼンスを減らすことを成功と定義するとしても、成功するかどうかは依然予断を許さない状況である。

以 上