2007年10月9日10時36分、初めての核爆発が朝鮮半島を揺るがした。核実検は小規模のものであった。1キロトン以下の核爆発であり、約1,000トンのTNT爆弾(約200万ポンド)に相当する。北朝鮮としてはもっと大きな爆発を期待していたわけであるが、それでも、米ロスアラモス原子力研究所元所長によると、都市で使われた場合、数千人を殺すには十分な規模ということであった。私は、北朝鮮の核実検は「外交の終焉」を意味すると思っていた。しかし、それは誤りであった。それは、むしろ「外交の始まり」を意味したからである。「レッド・ライン」を超えたのではなく、「外交をスタートさせるライン」を超えたのである。
その後、様々な連鎖反応が起こった。6年半もの間、ブッシュ政権は北朝鮮との直接対話を避けていた。それが、核実験以降、非公式に2国間交渉を始めた。今年の初めからは公式に2国間交渉を始めている。これが核の問題に関しては、決定的な突破口になった。なぜ、米国は政策を転換することになったのであろうか。
核爆発は、米政府とその他各国政府にとってターニングポイントになり、その後の米政府と各国政府の行動に政策転換が見られるようになった。10月11日に中国国家主席の特使である唐家璇がブッシュ米大統領とホワイトハウスで面会し、北朝鮮との交渉を強く勧めた。交渉によって北朝鮮の核開発を止めようというのである。10月18日に唐家璇が平壌を訪れて金正日と会うと、20日に北京を訪れたライス米国務長官は、米国務次官補であるクリストファー・ヒルと北朝鮮外務次官である金桂寛による米朝間の対話を許すことを示唆した。これに対して、北朝鮮は六者会合に戻ることに合意し、その代わり、米国は、真剣に米朝国交正常化を目指して交渉することを約した。そして、10月31日に、北京で中国の仲介により、ヒルと金の直接協議が実現した。
こうしてヒルと金の交渉が始まり、12月には六者会合が開催されたが、何も成果はなかった。北朝鮮は、まだ本国から十分な指令を受けていないが、後に準備ができるであろうと語った。米国からより多くの譲歩を引き出すために、北朝鮮は強硬路線を守っていたと考えられる。
2007年1月にベルリンでヒルと金桂寛の交渉があり、大いなる成果を見た。ベルリンに立ち寄ったライスは、1月19日にヒルから報告を受けた。ライスは、ワシントンに電話し、米大統領国家安保補佐官であるスティーブン・ハドリーに説明した。次に、ブッシュに電話したライスが、ヒルと金の交渉結果を認めるかと聞くと、ブッシュはイエスと答えた。
ライスは、ヒルの前任者であるジェイムズ・ケリーやライスの前任者であるコーリン・パウエルとは異なり、米政府を代表する人々の意見を聞くことをせず、直接ブッシュに連絡したことで、ワシントン・コミュニティーを通すというプロセスを過去の遺物としてしまった。つまり、ヒルからすれば、ライスを説得できれば、国防総省やNSCなどの承諾を得ずに、すぐに大統領に届くということになったのである。今までと非常に異なる方法であった。
ヒルと金の合意は、2月13日に六者会合で結実し、非核化のプロセスが示された。その成果の一つが、北朝鮮による原子炉の稼働停止である。これらは、その他の約束と共に5万トンの重油と引き換えによるものであった。今日、非常に不確定な問題は、この合意がどれだけ進むかである。次のステップでは、北朝鮮が全ての核計画を申告することが必要だが、議論が残る濃縮ウランの問題もある。ただ、幾つかの作業部会は、過去数週間はうまくいっている。北朝鮮は非核化に向けてある程度の進展を作り、物質的な勝利を得ようとするであろう。また、既に存在する核装置や核爆弾などの放棄は新たに交渉することになるであろう。これらは、米国や中国、ロシア、日本などの大国の態度にかかっているのである。
米国の政策変更は世界を驚かした。それは、一つの要素によるものではなく、異なる要素による複合的な原因によるものであった。
最も重要な要素は、10月9日の核実験であった。これは、米政府が続けてきた北朝鮮を無視する強硬政策が失敗したことを示す重要なデモストレーションであった。米国が政策を変えない限り、核実験は続けられ、さらに多くの困難が起こり、北東アジアひいては世界が危険に巻き込まれると予想された。そのため、強硬政策は成功しないとブッシュ政権は気がついたのである。
二つ目の要素としては、2006年10月頃には、米国によるイラク政策の失敗が判明していたことが挙げられる。11月の中間選挙で負けることが明らかとなっていたため、以前と同じ政策を採ることが困難となっていたのである。
三つ目の要素としては、北朝鮮政策に関して強硬な考え方を持ち、6年間ブッシュ政権を支えてきたボルトンなどの多くの幹部が辞めていったことである。以前には影響力があったチェイニー副大統領も、北朝鮮に関しては重要な役割を果たさなくなっていた。
六者会合で中国が大きな役割を果たしたことは評価できる。中国は、1949年の建国以来、世界政治で初めて積極的で重要な役割を果たすことになった。もちろん、日本も重要な役割を果たしていた。日本の小泉首相は、ブッシュに北朝鮮と対話するように促していたからである。しかし、安倍政権になってから拉致問題のために後戻りしている。六者会合で日本は「別のトラックに乗っている」といえよう。日本の国益のために、他の国々がどう動いているか、全体的な問題をどう解決しようとしているかを勘案すべきである。
米国が、北朝鮮から第三国に核技術が漏れることだけを恐れているという指摘がある。もちろんそれを恐れていることは事実だが、米国は、最終的には朝鮮半島の非核化を目的とする姿勢を崩してはいない。ただし、それを実現させることは、現実としては困難であることも事実である。六者会合がどれだけ進むのかは様々な要素に依存していて不確定である。次の六者会合や12月に行われる韓国の大統領選挙、米国内の政治などを見ていくべきであろう。
|