国際安全保障とはプロセスであり、動的な現象である。脅威の認識とはパワーの持つ無形のものが与える影響が大きく、脅威を評価するときには常に主観が含まれる。国家はいつも自国の安全保障を客観的な基準で見ているようで実はいつも主観的に見ており、そのような無形の要素が安全保障に不確実性をもたらしている。
このリスクに対応する有効な手段こそが 国際的な協力である。信頼を醸成し協力を深めるというやり方である。グローバルな脅威があるという認識は共有されているが、具体的にどのような協力を行うかについては国際社会の協力は必ずしもできていない。これまでは安全保障はある意味競合的なもののように捉えられてきた。つまり自国の安全保障を追求するには勢力圏や生存権の確保といった競争が必要で、一国の優位は必然的に他のどこかの国が劣位におかれることを意味するというような観念が支配的であった。しかし21世紀の今日、そのような旧態依然たる安全保障概念はいまや過去のものである。従来の伝統的な脅威に加え非伝統的な脅威が存在する今日、我々は旧来の観念を超えて国際的な協力を模索しなければならない。
国家というものはその国によって様々なモチベーションを持っているので、全ての国がグローバルな安全保障に協力的なわけではない。安全保障における国際的な協力は実際に容易なことではないかもしれない。国によっては国際的なステータスのために危険な緊張関係を作り出す国がある。また破綻国家のような問題は、国際システムの安定に大きな脅威を生じさせうる重要な課題である。
エネルギー安全保障の問題も安全保障の普遍化を示す重要な課題となっている。そこには中国の急速な経済発展などを背景にした需給関係の構造変化や輸出国による資源の政治的な利用、産出地域が政治的に不安定に偏っていることなどが影響を及ぼしており、透明性を持った国際的な規範が重要である。また大量破壊兵器の拡散も重要な課題である。これまではその地域の課題と捉えられてきたが、この問題に非国家主体が介在しうるようになったことにより、この問題はグローバルな問題となっている。
どの国も問題解決のために国際的な協力に関与することの必要性は認識しており、自国の安全に関わるとはわかりつつ、できれば自国に負担を少なくし他国にやってもらおうと考えがちである。その中で覇権主義との批判を受けつつも最も大きな役割を果たしているのはやはりアメリカである。イラク政策の失敗や同盟国に対する傲慢さなど、誤って導かれた政策はアメリカの威信を下げているが、アメリカの代わりをできる国は存在しない。ポーランドもそうであるが、イラクなどでアメリカとの関係を重視して派兵したという国も少なくなく、アメリカの役割は依然重要である。
また国際社会には、一方で十分な軍事力を持つとともに安定した経済や社会を持ち、国際システムの現状維持と安定を望む国々があり、他方で中国やロシアやインドのように最近急速に成長し国際社会でより大きな役割を果たそうとする新興諸国がある。中国は、急速な発展とそれに伴う不安定要因を抱えているが、北朝鮮問題のための六者協議など、様々なイニシアチブに関与している。ロシアは、ミサイル防衛問題などで米欧諸国との対抗路線が目立つが、ソ連時代のような冷戦の繰り返しに戻ってしまうというようなことはないであろう。
いずれにしても、グローバルな安全保障のための国際的な協力が重要であり、それはすぐに達成できるものではないが、国際的なコミュニケーションを強化すること、ケースバイケースの柔軟な協力から積み上げていくことが肝要である。
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