JIIAフォーラム講演要旨

2007年10月31日
於:日本国際問題研究所


アルメン・バイブルチャン・アルメニア外務次官

「小国の外交政策―アルメニアのケース」

最初に、アルメニアを簡単にご紹介したい。アルメニアは、数千年の歴史を持ち、いわば人類の「文明のゆりかご」である。特に指摘したいのは、アルメニアは世界で最初にキリスト教を国教として認めた国だということである。もっとも、アルメニアの長い歴史の中には、困難な時期もあった。アルメニアは、1918年に独立を果たしたが、そのわずか2年後にはソ連の支配を受けてしまった。やっと自らの外交政策を持つに至ったのは、1991年にソ連解体により独立を回復してからのことであった。

アルメニアの外交政策については、まず「単一の民族による国家」の問題について話さなければならない。ソ連とユーゴの解体などにより、人為的に「単一の民族によらない国家」をつくる時代は終わった。1992年にアルメニアその他の旧ソ連構成国それぞれが国連に議席を獲得し、世界は「単一の民族による国家」によって構成される状況となった。しかし、独立を獲得したにもかかわらず、アルメニアは、刻々と変化する国際情勢の中で、海外に離散したアルメニア人、いわゆるディアスポラの問題から、「単一の民族による国家」としての実態を持たないまま、国家制度を築かねばならなかった。アルメニアは、その長い歴史の中に、多くの困難を抱えている。

さて、ソ連解体から16年が経とうとしている今、世界政治の主要なプレーヤーとして大きな地域勢力が台頭し、小国の国家主権は相当に損なわれている。そうした中、複雑な弱さを伴うアルメニアは、グローバリゼーションとリージョナリゼーションの流れの中で発展すべき必然性から、ネオ・リベラルな経済を指向している。アルメニアは、国際的機関や米国と協力しつつ、他の旧ソ連構成国が行っているレベルを越えて、世界銀行が示す構造改革を進めた。そのおかげで、アルメニアは、隣国であるトルコとの国境の封鎖という困難があったにもかかわらず、経済を健全に成長させることができた。アルメニアがグローバリゼーションとリージョナリゼーションのバランスを採った外交政策を推進している結果、アルメニアの外交課題は、短期的な国益と中期的な地域発展の方向との間において選択されている。要するに、理解と現実が相互に作用しているのである。これは、東西と南北の十字路にある国としての歴史と経験に基づくものである。

再びアルメニアのディアスポラについてであるが、アルメニアにおいてディアスポラは、貿易などで大きな役割を果たしてきた。哲学者のカントも、その「恒久平和論」の中で、「アルメニア人は大陸のほとんどを網羅している」旨を述べている。こうしたアルメニア人の現実への対応力は、アルメニアの外交政策との関係で重要な意義を持つ。アルメニアは、CIS、OSCEなど、さまざまな地域協力機構のメンバーになっている。こうしたものに加盟することで、EUやロシア、米国などとの関係の構築に努めているのである。ここで注意しなければならないのは、こうした地域統合過程に単一のモデルは存在しないこと、換言すれば、地域統合過程は多層的で、それぞれが異なる速度と指向を持っていることである。その中で、アルメニアは、予測可能性と地域統合・発展の原則を重視しつつ、民主主義と自由の下に地域を発展させようという国々の信頼し得るパートナーたるべく努力している。

そうした中で、我々は、南コーカサス地域に(アルメニアとトルコの国境問題という)新たな境界線ができてきているということに、確信を抱いている。これは、ここ数年間に構築された地域発展、プラスの側面を損なうものである。再びアルメニア人ディアスポラについてであるが、これは、とりわけ政治的側面ではオスマントルコによるジェノサイドに起因する。まさにトルコによるジェノサイドを生き残った数十万ものアルメニア人が欧米や中東へと分散し、そこに居住したのである。このようにアルメニア人ディアスポラが単一の政治的事件によって形成されたのだということを、政治的にも道義的にも認知してほしい。

先にも述べたが、アルメニアは、東西と南北の十字路にあることから、それぞれの「帝国」にとって魅力的であり、結果、これら「帝国」にしばしば占領されることとなった。しかし、そうしたことを通じて、アルメニアは、それら国々と文化的な相互作用も持つこととなった。アジアの文明は、アルメニアに強い影響を与えてきた。アルメニアは、欧州の文化のみならず、アジアの文化にも影響されていることをむしろ誇りに思っている。アルメニアは、欧州に歩み寄ると同時に、アジア諸国との関係も維持発展させたいと考えている。アルメニアのアジア的な側面の強化は、アルメニアを強化する上において、政治的・経済的にもプラスに作用する。

最後に、日本との関係についてであるが、地理的な距離の長さにもかかわらず、アルメニアと日本との関係は、緊密で暖かいものになっている。アルメニアは、日本の対アルメニア政策を高く評価し、これに感謝している。1988年にアルメニアは大地震によって壊滅的な打撃を受けたが、この時最初にアルメニアに援助してくれた国の一つが、日本であった。日本は、アルメニアにとって最大の貿易相手国の一つでもある。アルメニアと日本との関係については、19世紀後半、日本で明治天皇の近代化が始まった後、初めてアルメニア人が訪日してそこに居を構えたことも、指摘しておきたい。この時代、アルメニアの商人が、香港やシンガポールなどを相手に日本で事業をしたという記録が残っている。アルメニアが短い独立を達成していた時期に当たる1920年には、アルメニアが日本に領事を置いていたことも記憶されてよい。アルメニアは、日本との関係において有する潜在力の全てを活用したい。アルメニアと日本には、自由、民主主義、人権といった、友好関係の土台たるべき共通の価値観がある。

以 上