アメリカは価値の外交をしてきた。そしてそれらの価値はアメリカの価値であるだけでなく普遍的価値である。その価値は7つある。まず自由(liberty)、民主主義(democracy)、平等(equality)、正義(justice)、この4つはアメリカ人なら誰でも即座に答えられるものである。あとの3つは、寛容(tolerance)、謙虚さ(humility)、信仰(faith)である。
国益を没価値的に力で追求するレアルポリティークのような考え方はアメリカでは人々から否定されてきた。これらの価値はアメリカのアイデンティティの一部である。価値の外交をしなければならない。大事なことは、我々がそれらの価値をどのように体現するかである。今日のテロのような脅威を前にこれらの価値を掲げることは勇気の要ることであるが、もし逆境を前に萎縮してこれらの価値を放棄してしまうようであれば、それらの理想はそもそも我々のものではなかったということになる。
アメリカでもこれらの価値が最初から実現されてきたわけではない。アメリカの歴史は様々な社会的不平等を少しずつ克服してきた歴史でもある。ここで挙げた7つの価値すべてについて話す時間はないが、今日は具体的にいくつかの価値を取り上げて話したい。
まず自由についてだが、アメリカの建国の父たちが自由について語るときはいつも「秩序ある自由(ordered liberty)」という言葉を用いてきた。自由のない秩序は圧制であり、秩序のない自由はカオスである。秩序と自由の均衡が必要であり、秩序には一定の強制が伴う。そのために法の支配が必要であり、国内社会においてはもとより国際社会においても、一定のルールの下で各国が自由に行動できるよう、国際的なルールを確立する必要がある。そのために国連は有効な場となりうる。
民主主義については、アメリカの大統領は党派を問わず民主主義を世界に広げるということを打ち出してきた。しかしアメリカの一般市民の多くはそのようなことからは手を引きたいと考えており、政府と民意の間に乖離がある。今日の民主主義は18世紀の民主主義とは異なるが、そもそも民主主義を他国で打ち立てるのは難しい。選挙があれば民主主義というわけではない。選挙によって創出された政府が、人々の権利をきちんと保護するということが重要である。
平等についてだが、アメリカ人にとって平等とは機会の平等である。しかしこれは平等という概念に対する見方のひとつに過ぎず、結果の平等を重視する国もある。建国以来アメリカはすべての人は平等とうたっているが、これを外交に繁栄するのは難しい。世界のすべての人が生きていくのに必要な基礎的なニーズを満たしうるような、圧制や恐怖や欠乏からの自由を得られるような外交が望まれる。
謙虚さについては、これはとは宗教とも密接に関わってくるが、自分の考えを絶対とせずに他者の考え方を認める思想の自由が前提となる。また、現状を最善と思わず進歩を信じ改善のために努力することも謙虚さの現れである。アメリカは多様な社会だがこれも他者に対する謙虚さがなければ存立しえないことである。アメリカはともすると独善との批判を受けるが、アメリカは謙虚に他の国に学び、他国と協力しなければならない。また自然の力のように我々よりも大きな力があることを認め、気候変動のように一国だけでは決して解決できない問題に対し、他の国々と協力しながら外交を行わなければならない。
このような価値が外交の根底にあるべきで、アメリカ外交は、幅広い人間の安全保障に目を向け、過ちは謙虚に認めて、他の国々と協力して国際社会の難問に対処していかなければならない。
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