JIIAフォーラム講演要旨

2008年5月29日
於:日本国際問題研究所


ケント・カルダー

米ジョンズ・ホプキンス大学ライシャワー東アジア研究所所長


「米軍再編問題−駐留米軍の行方」


今回お話しするのは、私が特別補佐官を務めたフォーリー駐日米大使の時に始まり、昨年12月に出版された“Embattled Garrisons: Comparative Base Politics and American Globalism” (邦訳書タイトル「米軍再編の政治学:駐留米軍と海外基地のゆくえ」)という本にまとめられたプロジェクトである。旧ソ連諸国を含む90から100カ国に及び米軍受入国を調査して基地の政治学を検討したが、なかでも日米関係や在日米軍は重要な要素として取り上げた。時間的な枠組みとしては、第二次世界大戦から現在までを扱っている。

第二次世界大戦以前には、帝国外に基地を持つということは非常にまれであった。長期間にわたって他国に軍隊を駐留させることは、朝鮮戦争以降に見られるようになった比較的新しい現象である。朝鮮戦争停戦合意直後には500人であった駐留米軍は、現在では3万人になっている。日本でも第二次大戦直後の占領期に駐留が始まり、独立後も特に沖縄は戦略上、重要な基地と位置づけられてきた。

冷戦期にはソ連の地上軍に対抗するために、ドイツなど西ヨーロッパにおいて大規模な基地建設が進められた。1950年代後半になると大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発と宇宙時代の幕開けによって、その重要性は低下し始めたものの、1960年代初頭までには、サウジアラビアからソ連周辺国、フィリピン、北東アジアにいたるまで、米軍基地が整えられた。

2001年の9/11事件は、こうした米国の世界における基地展開に大きな影響を与えた。冷戦期には米国の関与はG7諸国に限られており、大半の米軍基地は日本、韓国、ドイツに置かれていた。米軍の資産価値は、土地の値段が高いということもあり、日本が最大であった。しかし、9/11以降、米軍基地は途上国、特にイスラム諸国に展開されるようになり、これまで基地がなかった中央アジアやアフリカにも米軍が駐留するようになった。

基地を一つのシステムとして捉えた場合、過去15年から20年の間に米軍基地の構造は大幅にグローバル化した。これは通信システムの発展や宇宙開発によるもので、全体の一部が複数の機能を持ち、距離的に離れながらも互いに結びつくといった性格を有している。例えば、グアムやディエゴガルシアが強襲上陸の拠点となっているのに対して、500人の軍人しかいないシンガポールは重要な後方支援の任は担っている。米軍の多くの小切手がシンガポールとバンコクで切られているが、これは日本と中東の中間地点に位置する両地が航空母艦の修理において大きな役割を果たしているためである。また、基地は重要な政治渉外の役割も果たしており、例えば横田基地では米国の議員や政府要人が他国への移動前に駐日米大使と面会して日米関係の重要性を再確認していた。

世界に展開された米軍基地は非常に洗練されたユニークなシステムで、アフガニスタンやイラクにおける軍事作戦以外にも、例えば2005年の津波被害の際には救援活動に従事するなど、様々な役割を担っている。この世界的なシステムの発展を考える上では、「森の中の木」、すなわち受入国が各々直面した政治課題を見る必要がある。国家レベルではなぜ米軍基地が誕生し、どういった政治的責任を負ったのかといった問題があり、さらに国内的には地方と中央政府の関係に注視する必要がある。日本における基地の政治学を理解する上では、国家レベルでは米軍基地誕生の歴史的起源が非常に重要である。この点、全く異なる背景を持つ国々−ここではイタリア、スペイン、ギリシャの3国−と比較することが有益だろう。

イタリアにおいて米国は核能力を保有し、百人以上の犠牲者を出す事故もあった。しかし、イタリアでは共産党政権ですら、ほとんど米軍駐留に対して反対しなかった。対照的にスペインにおいては、フランコ政権の終焉と民主主義体制への移行後も米軍への反発は根強く、フランコ政権後に誕生した社会主義政権は、米国がすべての核能力をスペインから撤廃することを要求した。ギリシャにおいても米軍は常に困難に直面し、事実上、同国からの撤退を余儀なくさせられている。これは、駐留米軍がイタリアにおいてはファシズムからの解放軍として、スペインにおいてはフランコ政権を支える軍隊として出発した違いによる。

こうした基地の起源が与える影響は、今日のイスラム諸国にも当てはまる。米国が独立を支持したコソボは米軍に好意的で、同国は今日の米国にとってバルカンで最も重要な海外基地となっている。イラクにおいては、米軍駐留が米国の権益保持のためだとの政治的バイアスを伴って見られたことが大きく影響している。アフガニスタンにおいては、政治的指導者の選出が米国の強制ではなく民主的に行われたことからも、今後の米軍駐留はイラクやコソボ、イランよりもずっと安定すると予測される。政変は、基地運営に多大な影響を与える。民主主義が安定した基地運営に繋がると考えたブッシュ政権の認識は、甘かったといえよう。地元との関係も重要な要素である。厚木など都市部にある基地は、地元との関係で軋轢を生みやすい。

最後に日本について触れたい。基地の起源については、イタリアやドイツに近い積極的な判断が下せるだろう。また、制度的には、日米安全保障協議委員会や防衛施設庁など非常に効果的で洗練されたシステムを築いてきた。財政的にも、年間40億ドルに及ぶ思いやり予算がある。このように日本の米軍基地は比較的安定しているが、普天間移設などの問題も抱えている。概して土地の所有と使用権に関わる基地の移転は困難で、移設よりは機能を移設するほうが容易であろう。長期的には、フィリピンからの米軍撤退や韓国での米軍の大幅削減にみられるように、海外の米軍基地を維持することは時代にそぐわなくなるかも知れない。適切な基地管理と地元への配慮がなければ、日本においても現在の形で米軍基地を維持することは難しくなるだろう。

以 上