カッツ博士による講演は二つの部分から構成されていた。第一に、2008年のアメリカ大統領選挙において各大統領候補が通商政策に関してどのように考えているのかについての分析である。第二に、二国間関係のレヴェル、すなわち日米通商関係は今後どのように変化していくのかということに関しての分析と展望である。
【2008年選挙における通商政策について】
1.ワシントンDCにおける通商政策を巡る政治、経済状況
一般論として、不況時には貿易自由化を政策として掲げにくい。現在のアメリカはまさにこのような状況である。2008年7月の失業率はここ四年間での最高記録となっており、サブプライム問題によって住宅資産価値が下がり続けている。物価は高騰しているが、賃金は上昇していない。このような経済環境の悪化は貿易問題にとって大きな逆風である。このような状況を利用して、アメリカの中には貿易のメリットを過小評価し、デメリットを過大に喧伝する政治勢力も存在する。かくして、現在のアメリカでは貿易自由化を積極的に推進する政策を掲げることが困難な状況となっている。
2.ブッシュ政権の政策の継続(マケイン)
マケインはブッシュの政策を継続すると思われる。マケインは通商政策のメリットを評価しており、貿易自由化を積極的に推進するだろうし、農業補助金の削減に関してもオバマより積極的であろう。またオバマは外国から輸入される農産品に関して高関税設定を主張しているが、マケインはこれに反対である。
3.通商協定における労働・環境条項(オバマ)
オバマのアドヴァイザーの一人であるシカゴ大学教授のグールズビーはオバマが自由貿易に反対しているというのはやや誇張されたイメージであると語っている。グールズビーがいうには、オバマの貿易に関する基本的な姿勢は「外国市場へのアクセスはアメリカ経済にとって不可欠であり、貿易は経済に物価を低く抑える影響をもたらすなど重要なものである。しかし、それは同時に失業の増大や所得停滞につながることも事実である」というものである。このように、オバマは自由貿易がもたらす利益には十分な理解を示しているが、同時にそれによって打撃を蒙る人々への保護もまた重要だと考えている。またオバマはアメリカ市場へのアクセスを梃子として、通商相手国に労働者保護や環境保護を認めさせるべきであるとも考えている。譬えていうなれば、オバマは「ミルトン・フリードマンの信奉者」であり市場経済の価値(自由)を積極的に評価すると同時に、「ジョン・メイナード・ケインズの信奉者」として政府は市場の失敗を是正するために介入すること(平等)が不可欠であるとも考えているのである。
4.NAFTA(北米自由貿易協定)再交渉
NAFTAに関していうと、ペンシルヴェニア州とオハイオ州での予備選挙の際にオバマは労働者からの支持を得る目的で、「カナダ・メキシコとNAFTAに関する再交渉を行い、労働者に関するより積極的な保護を目指す」と述べた。その際、「交渉の帰結いかんではNAFTAからの脱退もありえる」と仄めかした。これを受けて、マケインがオバマの姿勢を保護主義への後退にほかならないと強く批判したため、オバマは後に発言を取り消している。
実際のところ、オバマが大統領に選ばれたと仮定して、NAFFTA再交渉という選択肢が現実のものになるとは思えない。おそらく再交渉という形式ではなく、補足文書(サイド・レター)を用いて労働保護や環境問題への取り組みを当事者同士の合意として織り込んでいくのではないだろうか。
また、NAFTAは投資条項を設けているが、これは興味深い問題である。この条項に基づけば、アメリカの環境規制やゾーイングといった規制がカナダやメキシコの投資家の「権利」を侵害しているとみなされた場合、カナダやメキシコの投資家はアメリカの州政府を提訴することが可能である。このようにNAFTAの投資条項はアメリカ州政府と国外投資化との間の摩擦を増大する可能性がある。この問題について、今後州政府やNGOが選挙戦の中での争点にしようとするかもしれない。しかし、もしNAFTAが再交渉になれば、今度はメキシコやカナダがアメリカに新たな条件を突きつけてくることも十分考えられる。再交渉というシナリオはアメリカにとってリスクが大きいのではないか。
5.中国
次に、中国に関していえば、中国への経済的関与は米国に利益をもたらすため、より一層の中国への市場アクセスを求めているという点では両候補の主張に違いはない。また、知的財産権(海賊版)、あるいは中国から輸入される食品・玩具の安全性の強化という点においても両候補の主張内容に差異は見られない。ただし、オバマは中国に圧力をかけて人民元を切り下げる法案に賛成である一方、マケインは反対している。加えて、オバマは中国国内での産業補助金を打ち切る圧力をより強める可能性がある。
6.韓国およびコロンビアとの自由貿易協定
マケインは両FTAとも賛成である。彼の賛成はコロンビアが麻薬戦争で、また韓国がイラク戦争でアメリカを支持してくれたことへの見返りという側面が強い。両FTAに関してブッシュ大統領は議会の支持を得るために努力を続けているが、マケインもこれを支援している。一方、オバマは両FTAともに反対である。コロンビアとのFTAに関しては、オバマはコロンビアにおける労働者の殺害など労働環境の劣悪さを問題視しており、それが反対の理由である。韓国に関しては自動車産業(特にミシガン州)が韓国市場へのアクセスをもてないことを懸念し、これに反対している。オバマはコロンビアとのFTAには労働者の権利擁護をより盛り込んだ形で、韓国とのFTAには自動車産業へのアクセスをより多く確保できるように、2009年中に「修正」を検討するとみられる。
7.WTO(ドーハ)貿易交渉
WTO(ドーハ)貿易交渉に関しては、今秋のいかなる「合意」も次期政権により完成されるべきものである。オバマ政権になった場合、大統領1期目においては、国内問題に傾注し、合意を急がずどちらかというと先延ばしにするとみられる。また、議会としても多国間協定のほうが二国間協定に比べて、より抵抗が少ないであろう。オバマにせよマケインにせよWTOのほうがFTAよりも議会との交渉も円滑に進めやすいと思われる。
8.アメリカ国内での貿易、グローバリゼーションによる犠牲者救済
2004年、貿易調整支援(TAA:Trade Adjustment Assistance)の拡充が目指された。こ貿易調整支援は、①職業教育と職業再訓練のための資金、②TAAのサービス業従事者への拡大、③医療保険税額控除の拡大、④地域助成のための資金といった項目を含むものであり、グローバライゼーションや貿易で不利益を蒙る弱者救済を目指すものであった。オバマはこれに賛成であったが、マケインは上記全てに反対する法案(TAA
改正案)に賛成であった。
9.まとめ
通商政策が重要なトピックであることに疑いはないが、大統領選挙はより大きく身近な経済問題に左右されていく。正直にいって選挙の中で通商政策が占めるウエイトは今回の選挙に関していえば大きくはない。目下の選挙では失業率の上昇、インフレ(ガソリン価格の上昇)、包括的な経済の弱体化(景気後退)、住宅市場の混迷および住宅資産価値の下落といった経済問題であり、それらがより重要視されている。
【日米二国間貿易関係】
日米関係は経済的側面から見ても良好であるといえる。冒頭でも述べたように、現在のアメリカは経済的にも政治的にも決して好ましい環境にあるとはいえず、通商政策にとって逆風である。このことは今後の政策形成にも大きく影響するであろう。これは日米二国間貿易にとっても例外ではないであろう。
具体的な論点に関していえば、まず経団連(御手洗会長)による日米FTA及び日EUFTAへ向けたイニシアティブは大いに評価されるべきである。これは日米両国にとって有益であり、今後のいっそうの継続と進展が望まれる。
次にアジアにおける経済統合と日米関係であるが、FTAAP(アジア太平洋貿易圏)、2011年・2012年に開催されるAPECのような場でアメリカがどのような役割を果たすべきなのか、アメリカは注意深く様々な意見に耳を傾けるべきだ。
次に、日本は対外直接投資を2010年までに5%にまで高めることを目標としている。これは依然として低い数値にとどまっているとはいえ、アメリカとしては歓迎すべきことであろう。これは日本政府・民間企業が外国との競争や海外からの専門知識の吸収に前向きであり、日本経済が多様化しそれを通じて生産性を改善し、経済成長を目指す積極的なシグナルだと考えている。またアメリカはドーハラウンドでの日本の助力を大いに期待している。
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