JIIAフォーラム講演要旨

2008年11月28日
於:日航ホテル福岡



「日ASEAN関係の現状と展望」

日本国際問題研究所、福岡県共催


ロドルフォ・セベリーノ 元ASEAN事務総長
クワ・チョン・グァン 南洋工科大学ラジャラトナム国際学院
  防衛・戦略問題研究所(RSIS)渉外部長
山 影 進 東京大学 大学院総合文化研究科 教授
鷲 尾 友 春 日本貿易振興機構(JETRO)特別顧問
長 内 敬 日本国際問題研究所主幹 (コーディネータ)


ロドルフォ・セベリーノ
2003年に東京で日ASEANサミットが開催されたが、それは日ASEAN関係の30周年を祝うものであった。過去30年の間、日本とASEANは強固な関係を築いてきた。ASEANにとって日本は、最大の貿易相手国及び対外投資供給国である。1985年のプラザ合意による円高以降、日本企業の対ASEAN投資は急激に拡大した。また、日本は、ASEANにとって最大のODA供給国でもある。日本のODAの約30%は対東南アジア向けであり、それはメコン川流域の開発に重要な役割を果たしている。日本は、1997年のアジア通貨危機の際に「チェンマイ・イニシャティブ」の設立に重要な役割を果たすなど、日本とASEANの経済的結びつきはますます強固なものになっている。

しかしながら、経済的結びつきだけで、良好な日ASEAN関係が維持できるというわけでない。日本とASEANは、経済だけでなく政治的・文化的関係も発展させようと努力してきた。例えば、国際協力事業団(JICA)は、日本の学生とASEAN諸国の学生の交流を促進するため、ASEAN青年招聘事業などを行ってきた。また1977年に福田首相はマニラにおいて「福田ドクトリン」を発表したが、それはASEANとの「心と心のふれあい」「対等のパートナーシップ」など謳ったものであった。1977年の福田ドクトリンの発表以来、日本の閣僚たちは、毎年のように東南アジアを訪問し、首脳・外相会議などを開催している。福田ドクトリンから数年後には、貿易の振興を図るため日本ASEANセンターが設立された。冷戦終結後には、日本はカンボジアの和平と復興に積極的に協力するなど、政治面においても大きな役割を果たすようになってきた。近年においては、1997年にASEAN+3が設立され、その枠組みの中でも日ASEANの協力は様々な形で行われている。

このように日本とASEANは密接な関係を築いてきた。しかしながら、日本はASEANに対して必ずしも大きな政治的影響力を保持しているとはいえない。東南アジアに対する中国の影響力が急速に増大する中で、相対的に日本の影響力は低下しているようにみえる。日本が政治的影響力を発揮できない要因の一つとして、日本市場の閉鎖性を上げる識者もいる。これは必ずしもあたっているとはいえないが、確かに農産物や労働力の分野において日本の市場は非常に閉鎖的である。また、多くのASEANの人々には、日本はアジアの一員というより、西洋諸国の一員というイメージがある。例えば、アジア通貨危機の際に日本は「アジア通貨基金」構想を提案したが、米国の反対にされるとすぐにその提案を引っ込めてしまった。東南アジアの識者の中には、日本が政治的影響力を発揮できない理由として、日本の東南アジア外交に一貫性がないことをあげるものもいる。


クワ・チョン・グァン
過去40年にわたる日本とASEANの緊密な関係は、東南アジアに平和と繁栄をもたらしてきた。日本の東南アジア外交を小切手外交と揶揄する人々もいるが、日本は東南アジアの発展に多大なる貢献をしてきた。しかしながら、現在において、日本の東南アジアへの貢献は非常に見えにくいものになっている。その主な理由として、アジアの国際関係の複雑化が上げられる。例えば、日ASEAN関係は、最早2国間の関係だけで捉えることはできない。中国やオーストラリアといった国々が、日ASEAN関係の動向に大きな影響を与えるようになっている。過去40年の間、日本がASEANと築いてきた外交資産は、日ASEAN関係の将来を考える上で殆ど役に立たない。我々は、過去からではなく、将来的視点から日ASEAN関係の今後を考えなければならない。一つのアイデアとして、日本とASEAN諸国の間に都市のネットワークを構築することが上げられる。東南アジア諸国の都市と中国の地方都市の間には、ビジネスを中心としたネットワークが出来ており、このような都市間ネットワークは、中国とASEANの関係を急速に深化させている。しかしながら、日本の地方都市とASEAN諸国の都市の間にはそのようなネットワークができていない。都市間のネットワークの構築こそが、日ASEAN関係の将来の姿である。


山影 進
ASEANという言葉を我々が使うときに、大きく分けて二つの使い方がある。一つは、ASEANを「組織」として見る場合である。 もう一つは、ASEANが包み込んでいる東南アジアという「広い空間」である。例えば、日本とASEANの経済関係を考える際には、組織としてのASEANではなく、東南アジア全体に広がる経済ネットワークとしてASEANを捉える。日本にとって東南アジアは企業の投資先、貿易相手国、また重要な貿易輸送路でもある。東南アジアが平和で安定した地域であるということは、日本にとって大きな意味を持つ。このような重要な地域にできた組織であるからこそ、日本はASEANを重視するのである。

日ASEAN関係の将来を考える上で、3つのポイントを挙げたい。一つは、長い期間をかけて築かれてきた日本とASEANの緊密な関係は、最早特別なものではないということである。ASEANは、中国、インド、オーストラリアとも経済を中心に関係を強化している。ASEANは地域の平和と安定を保つために、周辺国と良好な関係を築こうと努力しており、そういう大きな枠組みの中に日ASEAN関係は埋め込まれている。日本は、これまでASEANと築いてきた資産に頼るだけでは、ASEANと良好な関係を維持することはできない。

2つ目のポイントは、日本とASEANは今後どのような分野で協力を進めることができるのかということである。日本とASEANは安全保障分野で協力を推進すべきである。鳥インフルエンザ、テロ、麻薬、海賊など、この地域の全ての人々に脅威となっている問題、いわゆる非伝統的安全保障問題に対して日本はASEANと積極的に協力を推進すべきである。

最後に、数年前から東アジア共同体を構築しようという提案が方々から様々な形で出されているが、どの国と共同体を作るのか、共同体で何をするのか、といった問題については未だ曖昧なままである。しかし、東アジア共同体がどういったメンバーになろうとも、日本とASEANが共同体に入っているのは確実である。ASEANは2015年をめどに共同体を作ろうとしている。ASEAN共同体が東アジア共同体のモデルになりうることを考えると、日本がASEANの共同体作りをサポートすることは、ASEAN共同体をより高度なものにするということだけでなく、東アジア共同体の成否を考える上で非常に重要である。


鷲尾友春
経済的な観点から日ASEAN関係を考えてみたい。日本とASEANの関係は、冷戦の最中に始まったわけであるが、日本は「竹のカーテン」(共産主義陣営)の外側にあったASEAN加盟国を積極的に援助してきた。冷戦が崩壊し、中国が改革・開放に向かうなかで、アジアの発展途上国の間では外国企業の直接投資誘致を巡る競争が始まったわけであるが、そのような時代に日本は東南アジア諸国に多大な直接投資を行い、輸出型経済モデルというものを地域に広めることによって、地域経済の発展に大きな貢献した。また、中国が台頭する中で、ASEANは組織としてこれまで以上にまとまることを強いられてきたが、日本はASEANがカンボジアやベトナム、ラオスといった国々を取り込んで拡大する過程においても、経済的な貢献をしてきた。このように日本はASEANの発展に多大なる貢献をしてきた。

現在、東アジア諸国の間では、ASEANのスワップ協定やASEAN+3を中心としたチェンマイ・イニシャティブといった金融協力が発展している。また、未だ概念の段階ではあるがアジアの債権市場の育成や東アジアFTAといった構想も議論されている。こういう状況の中で、金融・経済危機がアジアを襲おうとしているわけであるが、アジア諸国は欧米諸国と比較してあまり被害を受けなかった。この主な要因としては、アジア諸国が1997年のアジア通貨危機を経験していることや、アジア域内の金融・債券市場が比較的未整備であったことが上げられる。しかし、今回の金融危機は、それが実体経済に波及することによって、アジア経済にもじわじわと被害をもたらすであろう。輸出主導型で経済発展してきたASEANにとって、欧米市場が悪くなることは大きな問題である。多くの日本企業は、ASEANの経済情勢の先行きに悲観的な考えを持っている。

こういう状況の中で、日本とASEANは何をするべきであろうか?日本とASEANは、アジアの経済が域内の中で自立的に回っていく仕組みを構築するため協力すべきであるが、これに関してすでにいくつかの構想が議論されている。例えば、既に述べたがASEAN+6を中心とした通貨スワップ制度、アジアの債権市場の育成や東アジアFTAといった構想が議論されている。日本とASEANは、これら構想を実現するために、中国と一緒になって協力を推し進めていくべきである。

以 上