JIIAフォーラム講演要旨

2009年2月5日
於:日本国際問題研究所


「アフガニスタン支援 − 教訓から学ぶ−」


宮原 信孝 久留米大学教授・当研究所客員研究員
山本 芳幸 国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)職員
福田 幸正 国際通貨研究所上級研究員


本フォーラムは、当研究所で昨年行ったアフガニスタンへの国際支援のあり方に関する研究会の報告書に基づくものである。同研究会の主なメンバーは、アフガニスタン支援の現場で働いていた人たちである。宮原氏はアフガニスタンを担当する中東二課長を経て2002年から2004年まで駐アフガニスタン公使を務め、山本氏は2000年から2001年までUNHCRカブール事務所長を務めた後、2004年から2007年まで国連アフガニスタン地雷除去センター(UNMACA)所長として勤務、福田氏は海外経済協力基金の職員として中東銀行設立に関わり、またJICA専門家としてアフガニスタン援助庁にて援助庁および財務省長官であったアシュラフ・ガーニ氏のアドバイザーを務めた経験を有する。この他、UNHCR職員であり(現)JICA理事長である緒方貞子氏の補佐官を勤めた篠原万希子氏、広島大学平和科学センター准教授の篠田英明氏がメンバーとして参加した。本日はアフガニスタン支援の構造について山本氏から、日本の経験について宮原氏から、アフガニスタン政府内部から見た国際支援について福田氏にお話しいただき、最後にどうすべきかを議論したい。


山本芳幸:

アフガニスタンをどう見るかは、それぞれの置かれた立場によって異なる。ここでは3つに分け、第一の層をグローバルコンテクスト、第二の層をアフガニスタンという国家に特有のコンテクスト、第三の層をコミュニティに焦点をあてたコンテクストとして概観する。第一のグローバルコンテクストにおいては、9・11事件以降、アフガニスタンは否応無しに対テロ世界戦争という文脈のなかで位置づけられるようになった。同盟国による軍事作戦と国連による国際治安支援部隊(ISAF)派遣という2種類の軍事行動がとられたが、現地の人々にとって、これらはしばしば混同され理解しにくいものと捉えられている。第二の国家特有のコンテクストは特に現場で働く人々に意識され、アフガニスタン政府と国連をはじめとした国際機関との関係や各国際機関の間での調整のあり方、また様々な機関を統括する国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の構成に表われている。アフガニスタンでの国際援助の仕事は非常に困難で、時間が経過しても多くの人々に援助が行き届かなかった。援助資金の8割が国際機関によって使われ、アフガニスタン政府がコントロールできるのは2割にすぎないという状況下で、アフガニスタン政府の正当性についても問題を生じた。これは第三のコミュニティ中心のコンテクストにも関連する。映像として流れたアフガニスタン現地の悲惨な状況は国際的に大きなインパクトを与えたが、同時に、アフガニスタン人は援助の受動的な受け手であるというイメージも作り出した。アフガニスタンでは現地の統治システムが存在するにもかかわらず、近代西洋国家をモデルにした国造りが志向され、国際社会とアフガニスタン政府の間で敵対的関係を作ってしまった。その結果、国際機関による援助が行き届かないなかで治安が悪化し、さらに貧困が深まるという悪循環が生じている。

宮原信孝:

私は約2年間のアフガニスタン滞在中に、山本氏が話した治安の悪化と現地の人々が反政府、反国際社会になっていく過程を体験した。その結果たどり着いた結論は、「Winning popular support is the key to stability and peace in Afghanistan」というものだ。アフガニスタンの人々は、安全は政府や国際社会からは得られないという結論を2004年の夏までには下し始めていた。米国は対テロ世界戦争を行う中でアフガニスタンに多くの精力を集中させたが、現地の人々にとっては米国が平和維持を行っているのか戦っているのか、よくわからない状況だった。米国を中心に和平交渉が進むなかで、日本は自らが得意とし、また和平の下支えとなる復興を支援することを決めた。アフガニスタンの人々は、彼らの生活がどれだけよくなるか、そのために誰が貢献するか、ということを冷静に見ている。復興を行う上では現地の人々の支持を得ることが重要であるが、そのためには生活の安全、命の安全を確保する戦略を提示していく必要がある。

福田幸正:

報告書では、2007年4月にOECDの開発援助委員会(DAC)が採択した「脆弱国家取組原則」という決議をなぞる形で「Principles for good international engagement with Afghanistan」という章を担当した。そこでは当時のアシュラフ・ガーニ財務大臣を中心とするアフガニスタン人の政策企画担当者の視点を踏まえ、今後のアフガニスタンと国際社会、国際ドナーとの望ましい関係を検討する際の材料を提供することを試みた。アフガニスタン新政権は発足直後から国際社会に対して「Don’t Bypass Us」という叫びに近い言葉を発していた。この背景には、内線が深刻化した92年以降、歴代アフガニスタン政府の機能が衰え、国民に対する基礎的なサービス提供という国家としての基本的機能を果たせなくなっていたことがあげられる。こうした空白を国際機関やNGOが埋めていたため、新たに発足した新政府は援助資金を一元的に管理することによって国民に対して正統性を示す必要があったのである。しかし、この趣旨は国際ドナー側には理解されず、アフガニスタン政府と国際社会の間に軋轢を生じることとなった。アフガン政府内には援助の表裏を知り尽くした閣僚も多く、国際社会に牛耳られる前に牛耳らねばならないという強いオーナーシップの意識が存在したが、本来、このアフガニスタン政府のオーナーシップを支援すべき立場にある国際社会が出すぎてしまうきらいがあったのである。

「Don’t Bypass Us」から派生したカブールベースの援助調整メカニズム(Consultative Groups Mechanism)は、かなり早い段階でアフガニスタン側の要求で発足した。そこでは分野ごとに大臣クラスが議長を務める会議が設けられ、その下に関係する国際ドナーやNGOが集まった。このそれぞれの箱がConsultative Groupと呼ばれ、アフガニスタン側と国際ドナーの間を取り持つ役目をFocal pointと呼ばれる各セクターの主要ドナーが担った。セクターごとにCG会合が開催され、その結果が予算編成作業に収斂され、最終的には内閣の名の下に国家予算として成立する、というプロセスである。援助頼みの予算であっても、国の基本的な機能である予算編成に携わることを国造りの根幹として重視し、このことを国際社会にも理解してほしいと考えていた。また、対内的にも、内閣の名の下で統一予算を実施することは、統一国家を国民に対して印象づけるという重要な意味を持っていた。しかし、こうした理念は国際社会に理解されず、アフガニスタン国内においても必ずしも共有されたわけではなかった。アフガニスタン政府は多くの外国人を予算編成作業に導入することで、予算編成というキャパシティビルディングの良い機会を逸してしまったのである。手詰まり状態にみえるアフガニスタンに光があるとすれば、この8年間を見てきた若者たちだ。次世代の指導者を育てていくことを意識的に追求すべきではないだろうか。

今後の展望について

山本:

まず、アフガニスタン政府の正当性が失われていく中で、国際社会にはアフガニスタン政府に任せていくという姿勢が重要になるが、その際にはアカウンタビリティーをどう確保するかが問題となるだろう。第二は、圧倒的多数のアフガニスタン人が国際社会の介入による恩恵を実感していないなかで、どのように恩恵を感じさせるかである。アフガニスタン人にアフガニスタン人自身の援助をさせる構造を作らない限り、突破口はないだろう。第三に、nation-building、state-building の元になっているのは西洋の近代国家だが、近代化プロセスを外国人がすべてやるのはとても難しい。アフガニスタンには伝統的な統治システムがあり、村では機能している。国際社会の介入によるnation-buildingを考え直す必要があるのではないか。

福田:

DACの脆弱国家取組原則の第一草稿を書いたのは、アシュラフ・ガーニ氏であった。国際社会の目線が紛争国まで降りてきたことは評価される。同原則の7番目には「Align with local priorities in different ways in different contexts」とあるが、この最後には以下の日本案の文章が挿入されている:「it is important to identify functioning systems within existing local institutions, and work to strengthen these.」 各ドナーともアフガニスタンを含め実際に各地で困難な平和構築支援活動に取り組む中でハードレッスンを学び、このような発想を受け入れるまでに謙虚なものになったのではないかと推察する。

宮原:

コミュニティに暮らしている人々の安全を考えた戦略を考える必要がある。米国が新たな戦略を策定しようとしている今は、そのチャンスである。現地に生きているシステムを使い、現地のオーナーシップを大切にし、現地の人々に考えさせることが大切だ。治安の問題が指摘されるが、協力者がいれば安全なはずだ。自らの安全を考える部族のネットワークも生まれている。また、若い人たちの中からも自分たちの力で何とかしようという者がでてきている。今後は、こうした人々に支援体制の中心となってもらう必要があるだろう。

以 上