本日は私が2011年に出版を企画している本の内容をもとに話を進めさせていただきたい。21世紀には二つの変化が生じる。第一にパワーの移行である。第二に非国家主体へのパワーの分散である。パワーの移行については、西欧からアジアにパワーの移行が見られるという意見をよく耳にする。これはアジアへのパワーの「移行」ではなくて、数百年ぶりに起こったアジアへのパワー「回帰」と見るべきではないか。非国家主体へのパワーの分散については情報技術の発展によるところが大きい。かつて政府主体に限定されていた能力や技術にいまやどのような主体であってもアクセス可能である。これは国家の終焉を意味するものではないが、国際政治におけるアクターが極めて多様化しており良いアクターもいれば悪いアクターもいるということはいえる。
非国家主体はいまや国家主体以上の破壊行為を行なうことも可能なのである。
しかし、このような新しい現実を前に、我々はパワーについていまだに旧来的な見方をとっている。パワーには威嚇、強制、そしてソフトパワーという三つの方法がある。21世紀のような情報化時代にあっては軍事力のようなハードパワーの重要性も以前残るであろうが、それはやがて時代遅れとなり、説話力・説得力を中心とするハードパワーソフトパワーの重要性が増すであろう。アルカイダがテロ行為を行い得るのも、このソフトパワーを利用しているからこそである。
現在、中国の台頭と米国の衰退というテーマがよく話題にされる。金融危機を契機として米国は衰退に入ったといわれるが、そのような短期的事件のみからそのような結論を導き出すのは早計である。国が衰退するということはいうは容易いが、それが具体的にどのような状態を意味するかは明確ではない。ローマ帝国衰亡の歴史などを例としてみても、現在の米国がどのような状態にあるのか把握することは難しいし、何が原因で国家が衰亡に向かうかも判断しにくい。現在、米国民の過半数が米国は衰退に向かっているとみなしているが、これは今に始まったことではなく過去数十年に繰り返し見られた思考パターンであり、現実を本当に反映しているかどうかはわからない。本当のところ何が起きているのか。現在の米国が経験しているのは相対的衰退であり、絶対的衰退ではない。人口という社会的要因、あるいは経済成長という経済要因を見ても、政治においても(むろん米国に何の問題も生じていないわけではない)米国の絶対的衰退に繋がるような要素は見出せない。しかし、相対的にみても中国が米国に本当の意味で経済的に追いつくのはずいぶん先であろうし、軍事力やソフトパワーの面で米国に中国がキャッチアップすることは容易ではない。また、アジアの多くの国は中国よりも米国のプレゼンスを好ましく思い続けている。しかし、ここで重要なことは中国に対して過度の恐怖心を抱き、これを脅威と見たり、孤立させるべきだと考えたりするべきではないということである。むしろ、いかに中国を国際システムに引き込んでいくかということを重視するべきである。
サイバーテロや国境を超えるテロ、気候変動、あるいは災害などのグローバルな課題に対して、各国は協力してソフトパワーを駆使し、国際的制度やネットワークの構築をつうじてこれらの課題に取り組まねばならない。そのためにも我々は21世紀においてはパワーに関するこれまでの考え方を刷新せねばならない。日本にはソフトパワーがあり、米国も、そして世界も日本を必要としている。ゆえに日本は内向きになってはならず、世界においてより大きな役割を果たすことを目指すべきではないだろうか。
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