JIIAフォーラム講演要旨

2010年11月8日
於:日本国際問題研究所

アンドリス・スプルーツ

ラトヴィア国際問題研究所所長 兼 リガ・ストラディン大学准教授

「EUとロシアの狭間のバルト諸国
−政治・経済・エネルギー―」


今回招待していただいた日本国際問題研究所、および来日の機会を与えてくれた国際交流基金と日本外務省に感謝申し上げる。ラトヴィア国際問題研究所は独立系の研究機関であり、ラトヴィア外務省および国防省と非常に近い関係にあるが、今日私が話すのはラトヴィア政府の公式見解ではないことをお断りしておく。

タイトルでは「狭間」となっているが、もちろんバルト三国はすでにEUの一部であり、EUとロシアの間にあるわけではない。しかし、より哲学的、地政学的な意味では、バルト諸国は文化、政治、経済的にブラッセルとモスクワの間に位置しているという見方もできる。バルト三国には様々な類似性がある。ラトヴィアが人口230万人、エストニアが130万人、リトアニアが400万人といずれも小国であること、またそれ故に歴史的に近隣の大国の犠牲になってきたこと、計画経済の遺産、冷戦時代にアメリカのソ連観察の拠点だったことなどである。NATO加盟への国民の支持、またグルジア、モルドヴァ、ウクライナといった東欧諸国への共感やこれらの国々のEUやNATO加盟の支持においてもバルト三国は共通している。同時に、我々には相違点もある。例えば、エストニアは来年ユーロ加盟の予定であるが、財政赤字に関してマーストリヒト基準を満たせないラトヴィアやリトアニアの加盟は2014年になると見込まれている。また、バルト三国の間には過去のEU加盟交渉や経済面において競争関係があった。戦略的な面でも違いがある。エストニアにとってはフィンランドとの同盟が最も重要で、経済面でもフィンランドやスウェーデンなどから透明性の高い資本が流入し、それに伴ってこれらの国からビジネス文化も輸入されている。これに対し、ラトヴィアはより分断された状態である。リトアニアは同盟相手として隣国ポーランドを選ぶしかなかった。全体としては、バルト三国がとくに経済面で競争することは良い影響を及ぼしている。

スカンジナビア諸国はバルト諸国の発展にとって重要なロール・モデルになったが、その反面、経済危機の原因をつくったとして批判もされた。例えばラトヴィアの銀行資本の50%はスウェーデン資本であるが、スウェーデンの与信が大きすぎてバブルにつながったとして(2006年のラトヴィアの不動産価格の高騰は世界一だった)、ラトヴィア外務省はスウェーデンを批判している。

EUに話を移そう。「欧州への回帰」は1990年代初頭のバルト諸国のアイデンティティー確立の面で非常に大きな役割を果たした。全ての政党は外交政策としてNATO加盟、EU加盟を目標としていた。今はEUやNATOの中でどういう役割を果たすのか、ロシアとどういう関係を築いていくのかという、より難しい問題に直面している。EUやNATOへの加盟によって我々は主権をある程度譲歩し、重要な決定がブラッセルで行われるようになったために、帝国の中心がモスクワからブラッセルへ移っただけではないのかという意見もある。私自身はヨーロッパ派であり、農業部門の衰退や金融部門における欧州資本の流入に見られるようなグローバル化に伴うネガティブな面やリスクはあるものの、EU加盟はキャッチアップの機会を与えるものと肯定的に考えている。経済危機においても、1930年代の危機の際に誰も我々を助けてくれず、ソ連に併合されてしまったのに対し、今回の危機ではEUやIMF、隣国からの支援があった。また、マーストリヒト基準のおかげでラトヴィアやエストニアの財政規律はスペインやイタリアなどの旧加盟国より良好である。バルト諸国の貿易や投資においては、EUはロシアをはるかに上回っている。

EU統合は政治的、精神的にNATO統合と密接に結びついている。とくにロシアとの関係において、我々がNATOの一員であり、背後に米国がいるというのは安全保障上非常に重要である。2006年にはNATOのサミットが旧ソ連圏で初めてとなるリガで開催された。我々は欧州における米国のトロイの木馬と呼ばれることがあるように、概して親米的である。もっとも、民主的で自由な欧州を主張していた前ブッシュ政権と比べ、オバマ政権は中欧よりアジアやアフリカ、南米、ロシア等を重視しているため、最近の中欧と米国の関係はやや複雑である。

ロシアとの関係は複雑で、世論調査によるとバルト三国はグルジアや米国と並んでロシアにとって最も非友好的な国の上位に位置している。バルト諸国のNATO加盟や国内のロシア語系住民への処遇の問題、パイプライン問題などが影響している。しかし、バルト諸国とロシアの対立は我々のアイデンティティー構築にとっては必要ですらある。90年代、第二次世界大戦前にラトヴィアに先祖が居住していなかったロシア語系住民は、ラトヴィアで生まれ育った者であっても市民権を与えられなかった。このような排除は非民主主義的とも言えるが、私の意見では90年代は選択の余地がなかった。現在は我々がNATO加盟を実現し、よりリラックスした状態にあるため、対露関係も改善している。我々はロシアと2007年に国境を画定した。現在ロシアと国境を画定していないのは日本とエストニアの二カ国だけである。バルト諸国の対露政策は状況、とくにEU・ロシア関係に依存しているが、現在2度目のリセットを行う環境にある。1度目は2000年代初頭にプーチン政権が米国との関係を改善した時である。その後、グルジアおよびウクライナの政変、ホドルコフスキー事件、グルジア危機によって関係は冷却化した。2009年には経済危機で再び状況が変わり、現在はロシアが経済の近代化のために欧州に投資を求めている。したがってリセット政策はオバマ政権の登場だけでなく、経済協力の必要性、ロシア側の事情など、多くの要因によって動機付けられている。バルト諸国はもちろんロシアとの関係改善を図る独自の政策を有しているが、同時に我々がより広い文脈の中にいることも忘れるべきではないだろう。

以 上