私は、大学院の教員を務めている。かつてジュネーブ駐在国連大使を務め、その間は公的な立場にあったが、現在は、そうした立場にはなく、したがって、これから話すことは、私人としての話であることを最初に述べておきたい。
さて、私人としての話ということで、一つの冗談から始めよう。その冗談とは、軍人と外交官と学者の違いについてである。軍人は国のために死ぬこと、あるいは、国のために死ぬ準備をすることで給料をもらい、外交官は ―冗談ということでこうした言い方をすることを大目に見てもらいたいが― 国のために嘘をつくことで給料をもらう。そして、学者は、軍人が国のためにどのように死に、外交官がどのような嘘をつくのか、何故そのような嘘をつくのかといったことを説明することで稼ぎを得るという。私は、イランの安全保障政策と背景にある論理について、学者として話をしようと思う。外交官としてイランの政策を正当化しようというのではなく、イランがどのような安全保障政策を採り、そして、それはなぜかということを説明しようと思う。
私は、次の3つの問題を設定する。第1の設問は、なぜイランの安全保障政策を研究することが重要なのかということであり、第2の設問は、イランの安全保障政策を決定する要因は何かということである。そして、3番目の設問は、イランの安全保障政策において、アメリカとアフガニスタンがどのように考えられているかということである。
第1の設問、イランの安全保障政策を研究することの重要性は、イランの地政学的な重要性から自明とも言えよう。実際、イランは多くの関心を集め、イランの行動に関して様々な議論が成されてきた。そうした議論の中では、イランは危険な国家であるとの説も一定の力を持っている。例えば、アメリカの国際関係学の文献などでは、常にイランの危険性が指摘されてきた。イランは、中東地域の安定と国際秩序に対する重大な脅威であり、核不拡散体制に対する挑戦であるというわけである。
常軌を逸した危険な国家というイランに対する認識は、残念ながら、日本においても、また世界的にもある程度浸透してしまっている。誰かを一方的に悪者と決めつけ、問題の責任をなすりつけることは、どこでも行われることではあるが、それは何の解決にもつながらない。イランに関しても、一方的な脅威論にとらわれることなく、イランの危険性や行動を多角的に検討しなければならない。イランは本当に危険なのかということや、イランが周辺諸国に対してどのような安全保障政策を採り、周辺諸国の安全保障政策をどのように評価しているのかということを様々な角度から研究することが、中東地域と、中東地域にエネルギーを依存している国際社会の安定にとって重要なのである。その際、国際社会のイランに対する態度には、強硬的な態度と協調的な態度がない交ぜになっていることに注意しなければならない。イランの脅威に対して軍事的な攻撃を主張する声があると同時に、アフガニスタン問題などでイランとの協力を求める意見もある。以上の諸点から、イランの安全保障政策と、イランに対する周辺・関係諸国の安全保障政策、及び、周辺・関係諸国の安全保障政策に対するイランの反応を研究することの重要性は充分に理解されたであろう。
その重要性を踏まえて、第2の設問、イランの安全保障政策を決定する要因に話を進めよう。イランの安全保障政策を決定する要因は、以下の三つに要約される。第1の要因は、イランの国土の安全保障である。イランは、非常に大きな国であり、植民地分割と第1次・第2次世界大戦の戦後処理によって人為的に形成された国土ではない。長い歴史的背景を持った国土なのである。その国土は、15カ国と国境を接している。イランは、中央アジア、ロシア、インド亜大陸、トルコ、アラブ諸国に囲まれ、それらの地域をつなぐ十字路に位置しているのである。そのために、第1次・第2次世界大戦において、イランは中立を宣言したにもかかわらず、列強の侵略を受けた。また、現在、イランの隣国の中で、大きな紛争が起こり、国際的な注目を集めているのは、イラクとアフガニスタンの2国であるが、その他の国々も様々な火種を抱えている。イランの国土の安全を保つことは、地政学的に複雑な地域の中で難しい舵取りを要求されることであり、したがって、イランの安全保障政策も複雑なものとなる。そうした複雑なイランの安全保障政策を、「核兵器開発」とか「中東地域の安定に対する挑戦」といった、イスラエルがイランを単なる脅威におとしめる際に多用する常套句で分析・説明することはできないのである。学者も政策立案者も、イランの複雑性を忘れてはならない。
イランの安全保障政策を決定する第2の要因は、革命の防衛である。革命は、単純な社会の変化ではなく、非常に困難なものであった。イラン国民は、革命の遂行と維持に大きな犠牲を払い、それ故に、革命の成果を守ることに大きな関心を抱いている。革命を防衛するためには、まず、国土の安全が保たれなければならない。イラン・イスラーム革命のモットーは、「独立、自由、イスラーム共和国」であった。このうち、安全保障政策に関係するのは、「独立」という点である。イランの知識人や政治家たちは、この200年間、様々な問題を議論してきた。それは、イスラームという宗教と国家・社会・個人の関係であり、自由であり、公正な統治であり、経済的な発展などであった。こうした議論を通して、独立の重要性については、イラン国民が一致して認めるところとなった。現行のイスラーム共和体制に批判的な人々でも、イランの独立を守らなければならないということには異論がないのである。したがって、いかにイランの独立を守り、革命を防衛するかということが、イランの安全保障政策を決定する上で大きな要因となるのである。
安全保障政策の決定に関わる3番目の要因は、官僚機構である。イラン・イスラーム共和国の官僚機構は、複雑かつ動態的であり、充分に研究されているとは言えない。官僚機構の中で、安全保障政策にとって重要な機関は、安全保障評議会である。この評議会は、イスラーム共和国の成立当初に組織されたものではない。イラン・イラク戦争の経験から、安全保障政策を総合的に企画・立案・決定する機関として、新たに組織されたものである。ここには、様々な省庁から安全保障政策担当のエリート官僚が集められる。彼ら、安全保障政策の実務を担うエリート官僚の中にも、様々要素が存在する。世代という点から見ると、革命に参加し、安全保障評議会を創設した第1世代がおり、次に、革命以前に生まれ、革命体制の下で教育を受けた第2世代がいる。さらに、革命後に生まれた第3世代もいる。革命から30年以上が経って、第3世代の官僚が、重要な地位を占めるようになってきている。このような官僚機構を動態的に理解することも、イランの安全保障を理解する上で重要なのである。
上記の3つの要因に加えて、イランの安全保障政策に大きな影響を与えているのが、イラン・イラク戦争の記憶である。イランは、当初からサッダーム・フサインの危険性を指摘していたにもかかわらず、アメリカを始め、国際社会は全く耳を傾けてくれなかった。サッダーム・フサインのイラクが我々イランの国土に侵略し、一部を占領したときも、誰も助けてはくれなかった。それどころか、アメリカのレーガン政権は、サッダーム・フサインの侵略を援助したのである。こうしたイラン・イラク戦争の記憶、冷戦構造の崩壊と新たな国際秩序の構築に向けた模索の経験など、様々な記憶や感情が、イランの安全保障政策を決定する三つの主要要因に影響を与え、複雑に絡み合う中で、安全保障政策が生み出されてくるのである。諸外国がイランに対して何かを提案をしたり、行動を起こすことは、こうした複雑な安全保障政策の決定過程を刺激することであり、イランの安全保障政策を理解するためには、その複雑で動態的な構造を理解しなければならないのである。
それでは、複雑で動態的なイランの安全保障政策において、アメリカとアフガニスタンはどのように認識されているのであろうか。この講演の3番目の設問に入っていこう。まず、アメリカは、この30年間、常にイランを脅威とみなしてきた。アメリカの政治家や安全保障政策担当者の間には、イランの脅威に対処するために、軍事攻撃を主張する人々もいれば体制転覆を望む人々もおり、制裁を科すべきだという人々もいる。あるいは、協議を求める人々もいる。何れの立場に立つにせよ、イランを脅威とみなす点では共通しており、私は、この点こそ問題の根源であると考えている。イランは、革命後の30年間のみならず、この2世紀間、他国を侵略したことはない。むしろ、侵略を受けてきたのである。つまり、アメリカは、侵略する抑圧者と、侵略を受けている被抑圧者を取り違えているのである。アメリカは、この誤った認識に基づいて、革命イランの占領を企み、制裁などでイランを抑圧してきたのである。しかし、そのことは、アメリカのもくろみとは裏腹に、イランを強化することとなった。アメリカの不公正な対イラン政策と誤ったイラク脅威論の背景には、イスラエル・ロビーなどによって、イラン脅威論がアメリカの国内政治に利用されていることがある。イランを脅威とみなす誤った認識によって、アメリカとイランが、ペルシア湾や中央アジアなどにおいて、共通の利害を多く持っていることが隠蔽されてきたのである。
イランを脅威とみなすアメリカに対して、イランもアメリカを脅威とみなしてきた。アメリカは、イランを侵略したイラクを支援したことから国土に対する脅威であり、イスラーム革命を承認していないことから革命に対する脅威であり、イスラーム共和体制を問題視していることから国家に対する脅威とみなされているのである。その一方で、イランは、国際社会の一員であり、国際社会におけるイランの重要性は、昨今、ますます高まっていると言えよう。
こうした現状の中で、イランはアフガニスタンをどのように見ているのであろうか。アフガニスタンの現在の問題は、もちろん、アメリカの軍事攻撃に起因するところが大きいのであるが、軍事力の行使は終了した。ターリバーンに対して軍事力の行使とは異なるアプローチを採り、これを管理していくことが求められている。日本も含めて、インド、パキスタン、中国など、多くの国々がアフガニスタンの安定化に努めている。もちろん、イランもその一員である。アフガニスタンはイランの隣国であり、アフガニスタンの安定は、イランの安全保障にとって特に重要である。しかし同時に、アフガニスタンにおけるアメリカの支配を認めることはできない。アメリカは、イスラーム革命を承認せず、イランに攻撃をかける可能性があるからである。したがって、イランは、アフガニスタンにおいて、アメリカの主導権を牽制しつつ安定を確保するという、いわば細い綱を、微妙なバランスを取って渡っていかなければならないのである。しかも、イランにとってのアフガニスタンの安定とは、国境地帯が平穏であれば良いというわけではない。イラン国内に、少なくとも100万人のアフガン難民がおり、対アフガニスタン政策を誤ると、イラン国内の安定を脅かすことになるのである。
以上の認識から、イランはアフガニスタンの安定強化に大きな努力を払ってきた。道路などのインフラの整備を行い、学校建設などの教育支援も行ってきた。しかし、アメリカは、アフガニスタンにおけるイランの行動に反対している。イランは、単独でアフガニスタン支援を行ってきたわけではなく、常に多国間の協調の下にこれを行ってきた。日本との間にも、様々な共同プロジェクトがある。しかし、イランは、その能力に比して、アフガニスタンに対して充分な支援を行えてきたであろうか。否。行えてはこなかった。その原因も、アメリカである。アメリカは、そのアフガニスタン政策において、イランの存在を無視することはできないが、アフガニスタンに対するイランの影響力を封じ込めたいのである。カーブルのアフガニスタン政府高官が内々に語ったところによると、国境の安定に向けてイランと協議しようとすると、アメリカがそれを止めようとするという。アメリカは、アフガニスタン復興に取り組む国々に圧力をかけて、アフガニスタンの安定化を阻害している。例えば、麻薬対策のために、日本がイランと協力してアフガニスタンの警察・軍の訓練に当たろうとすると、アメリカがイランの関与を嫌い、日本はインドネシアと協力をすることになった。ずいぶんと高くつく話である。アフガニスタンで問題を引き起こしているのが誰なのか。明らかであろう。イランがアフガニスタンと姉妹のような関係にあるために、アメリカは、アフガニスタンの不安定化を望んでいるのではないだろうか。
私は、反米スローガンを叫んでいるのではない。分析をしているのである。イラン脅威論を述べる文献を見ると、そこにあるのは、「冷戦的精神構造」そのままである。かつて、全ての脅威感・危機感をロシア(ソ連)に押しつけたように、こうした精神構造は安全保障政策に無視できない影響を及ぼすのである。イランの脅威という、アメリカの不合理な洗脳を打破するために、是非、イランの安全保障政策を研究し、それを理解してもらいたい。魚が水を求めるように、外交官は希望を求めるものだからである。
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