JIIAフォーラム講演要旨

2010年12月2日
於:日本国際問題研究所


本村真澄 (独)石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)
調査部主任研究員
フランク・ウンバッハ 欧州安全保障戦略センター(CESS)シニア・アソシエイト
宇山智彦 北海道大学スラブ研究センター教授
アクセル・ベルコフスキー イタリア・パヴィア大学教授

「中央アジアとエネルギー」

(コンラート・アデナウアー財団との共催)


※日本国際問題研究所(JIIA)とコンラート・アデナウアー財団(KAS)の共催で行われた本フォーラムにおいて、両機関は取り扱う「エネルギー」を石油および天然ガスに限定することにより、論点の明確化を図っている。

本村真澄  「中央アジアにおける石油・ガス、そして多国間パイプライン戦略」:

ソ連崩壊後の中央アジアで資源開発と各国からの投資が拡大の一途を辿っていること、また内陸地域という特性ゆえに彼の地においてパイプラインが重要な役割を果たしていることは、もはや一般常識に属する事柄であろう。ただし「パイプラインの政治性」、すなわち折々の国際情勢や当事国の政情がパイプライン敷設を全面的に左右するとの認識については、今日もなお一部に誤解が存在するようである。実際には、高額な建設費用と長期(数十年単位)操業という特徴、そしてなにより銀行融資(プロジェクト・ファイナンス)によって建設・運営がなされるという理由から、パイプラインは厳格な商業性の計算を伴って設置されるものであり、このような見解は一面的に過ぎるといわざるを得ない。本日はこの機会を利用して、政治的条件はあくまで前提の一つであり、最終的には経済性こそがパイプラインを「動かして」いるという点を、実例を引きつつ示してみたいと思う。

中央アジアの石油生産量の推移を概観すると、1991年のソ連崩壊を機にピーク時の約半分程度に落ち込んだ後、今世紀に入って増加傾向を示し、2010年にはソ連崩壊前の水準を回復したことが看取される(石油輸出量の推移もほぼ同様)。この過程に与っては特にカザフスタンとアゼルバイジャンの生産拡大が大きく影響しており、前者のテンギス油田(Tengiz:埋蔵量90億バレル、日産54万バレル)・カシャガン油田(Kashagan;埋蔵量160億バレル、日産150万バレル)、後者のアゼイ−チラグ−グネシリ(ACG)油田(Azei-Chirag-Guneshli:埋蔵量54億バレル、日産90万バレル)といった大規模油田が発見・開発されたことが作用している。そして、ソ連時代の技術をもってしては不可能だった技術的課題(油田の探索、原油中の硫化水素の除去、浅海部での油井掘削など)の解決を実現せしめたのが、外国企業と外資―INPEXや伊藤忠といった日本企業も含む―であった。

では、これらの石油を輸送するパイプラインはいかに建設されるのか。ここでは1997年に生産を開始したACG油田を一例として、その過程を概括してみたい。
ACG油田に接続されるパイプラインについては、一般にロシアが支援した「北ルート」(バクー〜黒海)が硫黄分を多く含むロシア産原油(ウラル・ブレンド)の混入もあって次第に敬遠され、またイランを通過する「西ルート」(タブリーズでイラン国内のラインに接続)が政治上のリスクから忌避された結果、トルコとアメリカの推す「BTCパイプライン」(バクー〜トビリシ〜ケイハン)が主要ラインとして採用されるに至ったと解されている。しかしながら、1998年にアゼルバイジャン・グルジア・カザフスタン・ウズベキスタン・トルコ間で建設の合意がなされた後も、英BP社を主体とするコンソーシアムは他のルートに比べ割高な建設費用や国際的な原油価格下落を理由に難色を示し続け、ACG油田付近でのトルコ市場向の有望なガス田の発見(Shah Deniz:1999年7月)や油価上昇を経て採算性が最終的に確認され、実際に着工がなされたのは実に2002年のことであった(2006年7月完成)。つまり、イランとロシアの介入を回避するアメリカの意図、またトランジット国としての関与に意欲を示すトルコの思惑といった政治的要因のみがBTCラインを浮上せしめたのではなく、その全過程には厳密な経済性の追求が通底しており、採算性が幾重にも確認されたことこそが、最終的に同ラインを実現させたのである。むろん、石油輸出ルートの多角化を図るカザフスタンとの間に建設が合意(1997年)されながら、シベリア経由の別ルートを重視する中国の思惑によって長期間手つかずの状態が続いたカザフスタン・中国パイプライン(2010年に完成)のような事例が存在することは事実であるが、これとても政治的要因のみによって成立したものではないことは明白といえる。

いま一つのエネルギー資源である天然ガスについてはどうだろうか。欧州における需要低下や技術革新に基づくアメリカのシェールガス生産の増加によって価格が下落し、全体的に買い手市場となっている点(これを受けて、主要生産国であるトルクメニスタンは2009年に前年比45%の生産減少を記録)でその様相は石油と大きく異なるが、ここではまずロシア・EU間の角逐の象徴的事例として広く知られるナブッコ・パイプライン(Nabucco:2015年完成予定)を見てみよう。トルコからブルガリア・ルーマニアを経てオーストリアに至る同ライン(全長約3300km)に関しては、当初(2004年6月)より当事国間にロシアを経由しない旨の合意がなされ、またこれに反発したロシアが対抗措置として「サウス・ストリーム」(黒海〜ブルガリア〜イタリア)の建設を発表するなど、その政治的色彩が常に強調されてきた。ただし、ここで注意すべきは2009年7月、関係国政府間で計画が調印された際にアメリカのユーラシア・エネルギー担当大使が同ラインの能力の50%を他国企業―ロシアも含む―の参入用に供する旨言明している事実であろう。すなわち、よしんば最初期において政治性(ロシア回避)が容喙するにせよ、最終的な判断はきわめて「脱政治的」に行われるという点が、この事例の真の含意なのである(なお、「サウス・ストリーム」に対しては、採算性の面から常にその実現可能性に疑問が呈されていることを付言しておく)。この他にも、ロシアから中国へのガス供給を念頭に置いたアルタイ・パイプライン計画(2006年3月に首脳間合意。ただしその実態はなお不透明)がEU諸国の危機感を高め、各国企業が相次いでロシア・ガスプロム社との長期供給契約を締結した2006年の事例、あるいはロシア内のラインを経由することによる中間損失を避けて新市場・中国とのパイプライン直結を図るトルクメニスタン、買い取り価格の引き上げでこれに対抗するロシア、そしてより有利な供給条件を求める中国の間に展開されている価格競争など、エネルギー政策が経済性に基づいて展開される例は枚挙にいとまがない。

先を急ごう。天然ガスを例にとれば、現今の中央アジアのパイプラインをめぐって展開されているのは、エネルギー供給源の多角化・安定化を図るEU諸国、経済成長を背景にエネルギーの確保を急ぐ中国、両者の競争関係を利用して長期契約締結を提示するロシア、そして中国市場をめぐってロシアと競合するに至ったトルクメニスタンといった各アクターが熾烈な市場競争を繰り広げる構図なのであり、巷間言われる政治的要因がそこに介入する余地は、実際にはきわめて限られているのである。上述したガス価格下落の影響についてはなお注視する必要があるが、「経済性」が―石油であれガスであれ―エネルギー政策・パイプライン政策の最重要ファクターとして機能し続けるであろうことは今後とも確実であり、政策の立案・推進はもとより、一般的な立場においても斯様な認識が遍く共有さるべきというのが、発表者の結論である。


フランク・ウンバッハ  「エネルギーと中央アジア―国内および対外政策の観点から―」:

予め論旨を明確にしておくならば、発表者の基本的な認識は「エネルギー政策決定の過程はビジネス・政治双方の文脈から解釈されるべき」という点に集約される。特に石油メジャー(俗称セブン・シスターズ)によって市場の8割が独占されていた1970年代とは対照的に産出国の国有企業が存在感を強めていること、そこに関与するアクターの多様化、エネルギー政策がいまや国家間交渉の様相をも呈していること―ロシア黒海艦隊の基地使用権とガス供給価格引き下げが「バーター」されたロシア・ウクライナ首脳合意(2010年4月)に見られるごとく―を考慮すれば、今日両ファクターの「一体化」はさらに深まり、この点はより顕著になったと見るべきであろう。本発表ではこのような現状を浮き彫りにするため、「カスピ海および中央アジア地域」(the Caspian and Central Asia Region:CACR、以下「中央アジア(地域)」と表記)のエネルギー資源が持つ意義を確認し、その上でロシア・中国・EUそして中央アジア各国のエネルギー政策に対するスタンスを示したいと思う。

まず、世界のエネルギー安全保障の観点から見た中央アジアの重要性に関して。2035年までに世界のエネルギー需要は、中国・インドの経済発展を背景として現在より約36%増加すると予測される。その一方中央アジアでの石油と天然ガスの生産量・輸出量はいずれも堅調に推移し、また中央アジア各国が国内消費の伸び幅以上の輸出拡大に努めることも見込まれている。これらの点は単純な需給予測という意味においてのみならず、地政学的な側面からひときわ重要といえる。すなわち、ペルシャ湾からカスピ海沿岸に至る一大エネルギー産出地帯(一名「エネルギーの楕円(エナジー・エリプス)」)の「中心部」に不安定なイラン・イラクが位置し、ペルシャ湾岸諸国もそのリスクを大きく蒙っている中、政情・そして生産が相対的に安定した中央アジア地域の位相は、世界のエネルギー安全保障戦略において今後ますます高まると考えられるのである。なお、中央アジア各国におけるエネルギー生産の大部分が現地の国有企業によって行われている点―カザフスタン・アゼルバイジャンでは外国企業のシェアが比較的高いものの―も、政治的ファクターの比重の高まりを示す事例の一つとして、あわせて指摘しておきたい。
 では、その中央アジア地域に対し、各国はいかなる関心のもと、いかなる姿勢をもって臨んでいるのか。

まず中央アジアを「特別な影響圏」に位置付ける(メドヴェージェフ大統領)ロシアについて述べるならば、その顕著な特徴として、エネルギー輸出と市場における影響力を「活用」して自国の利益を誘導する明確な政策的意図の存在を挙げることができよう。エネルギー供給源の多角化を進めるEUに対し、各国向け天然ガスの供給価格を恣意的に個別設定して分断を図った事例(2007年〜2008年)はその典型例といえるが、各価格間に三倍近い差が存在するなど、斯様な政策は時に経済合理性をも超越して実行されるのである。

ただし、実際にはロシアもまた様々な困難―上述のEUによる多角化戦略とガス消費量自体の減少、アメリカでの増産に伴う国際的な価格下落―に直面している。特に中央アジア諸国が中国・EU市場における競合者の地位に上りつつあり、ロシアの独占的供給者の地位が大きく揺らいでいることは、留意される必要があろう。

次に、2035年には中国のエネルギー需要が現在の2倍に達するとされる中国について。中国ではエネルギー需要の増加それ自体のみならず、ペルシャ湾・マラッカ海峡を経由するシーレーンへの過度の依存が問題視されており、その解決方途として中央アジアのエネルギー資源に対する関心を高めている。中国が斯様な認識のもとで進める経済協力プロジェクトについては、相手国への内政不干渉を貫く姿勢の問題点がしばしば注目されるが、意思決定の迅速さと工期の短さに加え、パイプライン・鉄道・道路・港湾施設を複合した総合的なインフラ整備を志向している点がその最大の特徴であり、ユーラシア大陸各地で進行中のプロジェクトを通覧するとき、中国が一種「地域大回廊(リージョナル・コリドー)」とでも表現すべきものの構築を意図していることが明確に看取される。中央アジア地域からのエネルギー輸送ルートが今後さらに拡充されることで、供給者としてのロシア・中央アジア地域間の中国市場をめぐる競争、さらには中国と他の消費国とのエネルギー獲得競争はいっそう激化しよう。

では同じくエネルギーを輸入に依存するEUはどうか。当地において中央アジアのエネルギーが注目を集めるようになったのは2005年以降のことであり、そこにはロシア・ウクライナ間のガス危機が大きく影響していた。主に環境対策の文脈で注目を集めた「3つの20%」の達成−すなわちエネルギー消費削減率・温暖化ガス削減率・再生可能エネルギー比率を2020年までに20%(1990年比)とすること−を掲げた戦略目標の採択(2007年3月、欧州理事会)にも、エネルギー安全保障への関心が色濃く反映されていたのである。特に問題となったのは天然ガスであり、ノルウェー・アルジェリア・ロシアに90%以上を依存し、新規EU加盟国のバルト三国に至っては100%をロシア(なかんずくガスプロム社)に頼る状況の改善が強く意識された。ロシアを経由しないパイプラインの建設が相次いだのは斯様な背景があってのことであり、特にナブッコ・パイプラインはその象徴的存在とされている。対抗措置としてロシアが打ち出したサウス・ストリーム・パイプライン計画がコスト(維持費はナブッコの3倍とされ、金融機関の支援も発表されず)・供給国(トルクメニスタンがサウス・ストリームを忌避し、中国向け供給を優先)の点で難航するなど、ナブッコ、そしてEUの多角化構想が奏功しつつあるのが、今日の状況といえる。EUのガス需要量が―効率化の進展もあって―頭打ちとなり、全体的なガス価格の低下傾向を受けてEU各国が長期購入契約を躊躇する状況下でロシアもまた別の輸出先を模索するなど、各国のエネルギー政策はいまや次のステップに進んだかの感もあるが、供給ルートの多角化―取りも直さずロシアから中央アジアへのシフト―という基本路線は今後も維持されよう。

最後に、中央アジア地域そのものについても触れておこう。ここまでに一部触れたごとく、ロシア側の輸出多角化の試みとアジア市場―中国―の浮上という流れの中で、今や中央アジア地域は自らのエネルギー資源を糧に諸外国から便益を獲得し、また時にはEU・中国市場をめぐってロシアとの間に角逐を繰り広げる独自のアクターとしての地歩を築きつつある。それが主としてパイプライン政策の形をとって表面化するのがこの地域の特徴であるが、斯様な傾向は、短・中期的にはエネルギー輸出国としての地位に直結するパイプラインの建設と維持・管理を通じた域内協力の促進を招来し、また長期的には中央アジア地域をして、ユーラシア大陸におけるエネルギー・物資輸送インフラの「ハブ」としての役割を担わしめることとなろう。

以上に概観したように、現在の中央アジアをめぐっては、その位相の向上を背景としつつ、エネルギー安全保障と市場競争、外交と内政上の利害―EU・ロシア・中国・中央アジア各国それぞれの―が混淆された「中央アジア・エネルギー政策」が展開されているのであり、斯様な傾向が中長期的にわたって様相を変化させつつも継続するというのが、発表者の結論である。その「流れ」が総体として中央アジア地域の安定と発展(上述した「ハブ」化)に寄与するようなコンセンサスが形成されることが、国際社会にとっての次なる課題となろう。


【コメント】

アクセル・ベルコフスキー(イタリア・パヴィア大学教授):

本村氏・ウンバッハ氏の発表を聞きつつ感じた質問を提示することで、コメントに代えたい。

まず本村氏に対して。パイプライン建設において経済的合理性・採算性がより強く作用することを強調されていたが、生産国が意図的に供給を停止するような事態を想起―2005年のロシア・ウクライナ間のガス危機の印象はEU内においてなお鮮烈である―するとき、エネルギー政策はやはり往々にして政治問題化すると見るべきなのではないかと考える。これと関連して、例えば輸送距離を短縮できるイランルートは、本来ならば石油輸入国にとって最も魅力的な選択肢となるはずだが、それが実現していないこと自体、政治的ファクターの介在を示唆してはいまいか。

加えて、発表中では詳しく触れられなかった点について補足をお願いしたい。まず日本企業の中央アジアの各油田におけるシェアが(発表による限り)低いように見えることは、日本がエネルギーのほぼ全量を輸入に負っていることを考慮すればいかにも奇異に映るが、その実態はいかなるものか。また、EU各国の電力会社は長期輸入契約を避けているとのことだが、ガス価格が全般的に下落傾向にある中で、そもそも長期契約は容易に成立しうるのか。そして今後の「市場競争」の展開についての見通しはどうか。
 次に、ウンバッハ氏に対してはいくつかの点について手短に確認したい。まず、EUが進めるエネルギー供給源多角化路線は、全的に「ロシア対策」の文脈からのみ捉えるべきものといいうるのか。次に、エネルギー産出国の国有企業の浮上が現在の趨勢とのことだが、中央アジア内でもこの点で各国に偏差が生じている理由は何か。そして、中国のエネルギー効率改善―輸入拡大といわば「車の両輪」の関係にあるもの―への取り組みの現状はいかなるものか。
以上の諸点につき、両氏よりご説明をいただければと思う。


宇山智彦(北海道大学スラブ研究センター教授):

本村氏の論旨は「パイプラインの政治性」そのものの否定ではなく、その運用において(・・・・・・・・)経済性が最優先される、というものであったと理解する。ここでは主としてその前段階の諸相(いうなれば「パイプラインが建設されるまで(・・・・・・・・・・・・・・)」)に触れ、氏の発表を補足したいと思う。

日本で広く人口に膾炙した「経済が政治に従属すべきではない」との通念と、実態としての国際関係との間に齟齬が存していることは、日本企業の原発・高速鉄道輸出の試みが競合国の首脳外交を前に苦境に陥るといった事例からも明白になりつつある。特に中央アジアの場合は国営企業のシェアが高い上、契約過程に国家が介在することも多く、この点はさらに顕著といえる。日本企業が参入を計画していたカザフスタンのウラン鉱山開発事業において、国営カザトムプロム社の社長が「ウラン権益の不当売却」を理由に突然逮捕されるといった事例が示すように(2009年5月)、事業決定過程における政治的ファクターの影響力はもはや無視しえない。またパイプラインについても、採算性が同程度見込まれるルートが複数存在すれば、政治的利益を期待できるものが第一に選好されるであろうし、経済的インフラを政治的に「活用」する思考方法も当然表出しよう。仮に経済的理由が掲げられる場合にも、当事国間の政治的対立が経済的問題の装いをもって可視化した可能性は常に考慮されるべきであると考える。

加えて、当事者の状況認識が実態以上に影響を及ぼす事例も、国際政治においてはたびたび見出される。EUとロシアのエネルギー政策を例に挙げれば、ロシアが天然ガスの供給を独占するという懸念をEU各国が抱いたこと、そしてロシアの意図をそのように解釈させる「下地」がEU各国に存在していたことが―仮にロシア自身はそのような意図を有していなかったとしても―現実の政策決定に影響を及ぼしたという側面を忘れるべきではない。

ゆえに、直近のエネルギー政策を見る際にも、より広範な背景をふまえる必要があると考える。例えば、2010年4月のキルギスタンの政変の直前にロシアが同国に対する石油関税の引き上げを通知したことは、キルギス国内の反体制派を勢いづけ―ロシアが反バキエフ大統領の姿勢を表明したものと捉えられたため―結果的にバキエフ政権の崩壊を「後押し」することになった。これは明白にロシアの中央アジア諸国に対する統制強化の試みの一環に位置づけられるべきものであり、その背景にはグルジア紛争後にロシアが抱くようになった危機感(最終的にサーカシビリ政権を打倒できず)が存在していたと解釈されるのである。また、さらに長い時間軸に立って歴史を顧みるときには、伝統的にロシアは領土問題においては中国よりも柔軟で、なおかつ中央アジアにおいては、経済的影響力を重視した大英帝国に比して政治・経済的影響力の行使を志向する傾向が強い、といった知見を得ることができる。このような「歴史的特徴」をふまえることは、例えば彼の地での事業展開を考える日本企業に対し、ロシアが影響力行使を図る可能性に備えるべし、といったインプリケーションを示すことにもつながろう。厳密な採算性とコスト計算が企業活動に必須のものであることには全面的に同意するが、ビジネスとしての成立を可能たらしめるために「さらに踏み込んだ」アプローチを用いる、といった発想が、日本のプレゼンス拡大を図る上では必要と考える。


【討論】

(パイプライン政策における政治的ファクター)
本村:発表者は基本的に政府間合意が締結されるまでが「政治の領域」、それ以降を「経済性の領域」と認識している。発表時間の関係上省略せざるを得なかったが、政治的ファクターを全く捨象しているのではない点は、あらためて付言しておきたい。

(ロシア・ウクライナ間のガス危機について)
本村:両国の対立には、当時の世界的なエネルギー価格高騰を背景に供給価格引き上げを求めた―さらには安価な輸出を支えていた補助金制度の見直しを図った―ロシアにウクライナが反発したという側面が存在していたこともまた、想起されるべきと考える。なお、日本でも大きな話題になったサハリン2へのガスプロムの「強引な」参画についても、シェアの購入条件などから判断する限り、巷間言われるほどに強硬なものではなかった点を指摘しておきたい。

(イランルートについて)
本村:カザフスタン・トルクメニスタンの石油をカスピ海沿岸のネッカ(イラン・マザンダラン州)にタンカー輸送し、それをイランが購入する一方で同量の石油をペルシャ湾のカーグ島から輸出する同ルートの経済的合理性については疑念の余地がないが、その停頓の主たる要因はイラン側の提示する条件があまりに高額であったことにある。

(中央アジア各国における日本のシェア)
本村:紹介した各油田で日本企業のシェアに偏差が見られるのは、主として各企業の経営戦略の違いによるところが大きい。撤退やシェア売却、また他国企業の撤退を受けてのシェア増大はしばしば見られる現象である。

(長期契約をめぐって)
本村:発表でも触れたように、現在の長期契約は市場における中国・EU間の競争の産物といえる。今後同様の競争関係が生じた場合には、類似の長期契約の締結も生じえよう。

ウンバッハ:ガス価格の下落傾向は当分継続すると思われるので、新たな長期契約は当分成立しないものと考えられる。

(今後の市場と「価格競争」の動向)
本村:中国は消費国として、ロシアはいわば卸売りの立場から中央アジアのエネルギーに対する価格競争を展開しているが、現在のところはロシア側がより高額な価格を提示しており、中国側を引き離している。ただし中国は大規模借款の提供といった間接的な便宜供与もあわせて行っており、単純な価格比較による判断は妥当とは言いがたい。

(EUのエネルギー政策の背景)
ウンバッハ:EU共通エネルギー政策の策定(2006年3月、EU首脳会議)に際して、ロシア・ウクライナ間のガスをめぐる対立が主要因として作用したこと自体は明白といえる。ただし、より重要なことは、これを機にEU各国のエネルギー政策に一体性がもたらされた点であり、大胆な「3つの20%」目標も斯様な素地の存在ゆえに妥結されたといえる。

(2020年のエネルギー需給予測について)
ウンバッハ:EUについては輸入需要と生産能力(北海油田)がともに減少すると考えられるため、全体としてEUの需要量は大きく変化しないものと予測される。ただ、中国をはじめとする新興国の効率化の取り組みがいかほど進展するかによって世界的な見通しが大きく変動する可能性は否定しがたい。また再生可能エネルギーやシェールガス開発の動向、そしてなによりエネルギーそのものに対する認識―例えば新たな原発の建設が国民投票によって拒否される例など―もエネルギー需給に大きく影響しよう。

(バルト三国とEU)
ウンバッハ:ナブッコ・パイプラインは、天然ガスの全量をロシアに依存するバルト三国の状況改善には直接影響しないが、国内の原発計画の進展、スウェーデンからの海底電力ケーブルを通じた電力輸入、ポーランドなどとの送電線の接続、そして代替エネルギーの利用などによって、長期的にはEU全体と同様に多角化が進むと予想される。

以 上