本報告は、(1)現代の武力紛争の傾向、(2)武力紛争やその他の暴力による各種の被害、(3)赤十字国際委員会(以下、ICRCと略記)の活動における様々な困難と2011年の活動のプライオリティ、(4)人道支援コミュニティの現状とその変化、の4つの論点を説明したい。
(1)現代の武力紛争の傾向
今日、ICRCは、世界の80カ国で約1万2,000人の職員が活動を行なっている。それらの国や地域の多くは、現在でもなお紛争状況に置かれている。しかるに、過去20年の間に、武力紛争の形態は大きな変化をみせてきた。冷戦時代の紛争は、多くの場合、イデオロギーに基づく東西両陣営の対立を反映したもので、代理戦争の性格を強く帯びた国家間の武力衝突であった。これに対して、冷戦後の状況をみれば、ICRCが活動対象とする地域では、イ)一国内で生じる非国際的武力紛争、ロ)武力集団の細分化・多様化、ハ)紛争状況の長期化、ニ)都市における犯罪的暴力の蔓延、などの傾向が顕著である。そうした変化の主因としては、紛争発生のメカニズムが、冷戦時代のイデオロギー対立ではなく、戦略的資源や経済利権をめぐる争いに端を発していることが挙げられる。
また、上記のイ)やロ)の現象は、国内の各政治・武力集団に対する非常にデリケートで複雑な政治感覚を要請するため、国連などの外部アクターによる紛争の政治的管理をいっそう困難なものにしている。例えば、コンゴ民主共和国の事例では、ICRCは、政府や軍、反政府勢力を含めておよそ40の紛争当事者に対応しなければならない。
(2)武力紛争やその他の暴力による被害
紛争形態の変容は、それによって個人やコミュニティが被るネガティブな影響も変化することを意味している。第一に、国家対国家、軍と軍との対決が減少し、民兵や武装集団による民間人を直接の対象とする攻撃が増加した。そうした攻撃の内容としては、武器を用いた戦闘行為はもとより、略奪・誘拐・性的暴力・強制労働・強制的な徴兵などの様々な非人道的行為が含まれる。
第二には、そうした直接的・物理的な被害のみならず、今日の武力紛争は、間接的・心理的側面に対しても多大な影響を及ぼす。紛争地域では、安全な水や耕地の確保が困難となり、医療サービスや人道支援活動へのアクセスも極度に制限され、さらには紛争が終結した後も、被害者の傷ついた心は容易に癒えることはない。このことは、私自身が関与したボスニア紛争の例に顕著に看て取れる。要するに、紛争中も紛争後も、人々の心身における健康・生活・安全は総体的な脅威に晒されている。
(3)ICRCの活動における主要な課題
まず、喫緊の課題として、人道支援活動のアクセスと内容の拡充、すなわち、紛争状況下での活動に際して、関係当事者がICRCの活動の意義や内容を正確に理解し、それを承認するよう努力することが挙げられる。これを約言すれば、中立性を維持しながら、影響力を有するすべてのアクターとの関係構築と対話メカニズムの形成である。具体的な例を述べよう。イラクでは現在、700人超のICRC職員が活動に従事しているが、彼らは武装を伴う護衛なし――国際的な人道支援団体としては唯一といってよいかもしれない――に行動している。これは非常にリスクを伴うが、われわれの政治的・軍事的中立性をイラクの人々に示すために必要なことなのである。また、ICRCは、全ての紛争当事者と対話すべく努めている。アフガニスタンにおいて、われわれは、中央・地方政府はもとより、米軍に拘束されている人々やタリバンとも話し合いの場を持っている。
次に、とくに9.11テロ事件以降、ICRCが直面している問題として、ジュネーヴ法の有効性に対する懐疑が指摘できる。一部の国の政府をはじめ、最近では、大学やシンクタンクなどの学界などからも、「同法の法的・政治的意義は、今日的環境の下ではすでに失われたのではないか」との疑問の声があがっている。この問題に対するICRCの立場は次のようなものである。ジュネーヴ法が成立した19世紀後半から20世紀半ばの時代と、21世紀の現代とでは、時代状況はたしかに劇的に変化した。しかし、武力紛争に関する最低限のルールを規定している同法は、今日でもなお十分な適用可能性を有しており、これを擁護・維持・遵守することが肝要である。
なお、2011年におけるICRCの活動の焦点は、イ)主要な紛争地域(アフガニスタン、イラク、スーダン、パキスタン、イエメン、ソマリアなど)、ロ)部分的な政治・社会的混乱状況のみられる地域(キルギスタン、チュニジア、エジプトなど)、ハ)ソロモン諸島やパプアニューギニアなどのアジア太平洋の島嶼国、などの国や地域に置かれている。
(4)人道支援コミュニティの現状とその変化
人道支援セクターにおける近年の注目点として、わたくしは、次の点を指摘したい。1つ目に、国際社会での人道問題への関心の変化がみられる。その具体的な表われとして、例えば、「人権法(human rights law)」から、武力行使をめぐる「人道法(humanitarian law)」への関心の焦点の移行が指摘できる。
また、2つ目に、そうした人道問題への関心の高まりと共に、人道支援活動とその関連団体に対して、活動の開放性・透明性・説明責任への応答性などの点で部分的な疑義も呈せられるようになっている。
最後に、国際政治の力学的な変化が、人道支援セクターにも影響を及ぼし始めている点を指摘したい。国際社会は、かつての単極から多極構造へと変化しており、この動きは、人道支援コミュニティにも着実に反映されている。実際、多くのアジアの国々からは、人道活動に関する従来とは異なる様々なアイデアや実践が生み出されつつある。今後十年の間に、こうした潮流はさらに顕著になると思われる。ICRCは、この分野における世界で最も古い組織の1つであるが、そうした自負にとどまらず、将来に向けて、多くの国々、国際機関、地方組織、社会団体などと、いっそうの対話と協力の深化に注力するであろう。
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