本報告は、①中国の国防産業におけるイノベーション能力の現状、②改革開放政策以降の国防産業の発展、③イノベーション能力の源泉、および、④国防産業の動向と人民解放軍との関係、の4つを主な論点とする。
(1)中国の国防産業におけるイノベーション能力の現状
1990年代半ば以降、中国の党と軍の指導者は、科学技術とイノベーション能力の向上を重視するようになった。2004年の統計によれば、中国の科学技術の競争力は世界第24位で、上位から3番目のグループに分類されていた。2009年に至ると、それは、科学で6位、技術では21位にまで上昇した。中国の科学技術力は、この数年間に中堅レベルにまで向上したといえる。
2006年、中国は、中長期的な科学技術の開発計画を発表し、そこでは2020年までに世界の第1グループに参入する、という明確な目標が掲げられている。これ以降、党と軍の指導部が、この目標を支援するために注ぎ込んできた資本と政治的支持の度合いからみて、上記の目標を達成することは十分に可能なように思われる。
一国の科学技術力を発展させる方法は、大きくいって、「イミテーション(模倣)」と「イノベーション」の2つに分類することができる。中国は現在、この両者の境界に位置している。中国がイノベーションを行っているのは、「アーキテクチュアル・イノベーション」と呼ばれる分野である。これは、米国やヨーロッパ諸国のように、まったく新しい技術を開発できる段階には達していないが、既存の技術を利用しつつ、それを発展させるシステム向上の能力を意味している。国防科学の分野におけるその具体例としては、「接近拒否能力(anti-access)」の強化が挙げられよう。
(2)過去三十年間における国防産業の変革
毛沢東時代、国防産業はあらゆる意味で中国の経済・科学技術の頂点に位置していた。しかし、改革開放政策の開始以降、経済発展に重点が移行し、国防産業のプライオリティーは大幅に低下した。その結果、国防産業と軍事技術の研究開発・イノベーションは停滞した。
こうした状況に変化が訪れたのは、1990年代半ばに、中国と台湾との間で政治的・軍事的軋轢が生じて以降のことである。米国に対抗しうる軍事力を求めた軍の呼びかけに応えるべく、同時に、そうしたハイテク兵器をロシアなどからの輸入に頼ることなく、国内で安定的に確保していくことが目標とされた。1998年には、軍事産業の分野で大きな改革が実施され、人民解放軍の中に「総装備部」が新設された。同部が、国防産業・軍事技術の全体的管理を担うことで、「サプライヤー=国防産業」と「ユーザー=軍」との間の緊密化が図られた。また、翌99年には、市場原理の導入が進められ、企業間競争を主体とするイノベーション能力の強化が図られた。さらに、2000年代前半期には、国防産業とその他の産業との垣根を取り払い、軍民両部門を融合したイノベーション改革が実行された。これを受けて最近では、国からの資金だけでなく、株式の公開、債券の発行、銀行融資、企業からの私募など、資本市場からの大規模な資金調達が可能となっている。中国の国防産業は、これによって大量の資金を市場から調達できるようになり、改革のさらなる加速化が見込まれる。
(3)国防産業におけるイノベーション能力の諸源泉
他国のケースと同じく、中国のイノベーション能力は、ハードとソフトの両面から検討すべきである。ハードとは、研究機関・大学の数、関連人員の数、博士号取得者の数、資金源、収益力などを指す。これに対してソフトとは、プロセスに関わるものであり、その多くが無形のものである。具体的には、組織体系、研究リスクに対する保証、インセンティブ構造、政府からの支持の程度、イノベーションを喫緊の課題とする脅威の存在、などが挙げられる。
ハード面の改革のうち、最も重要な点は、企業主導型のイノベーションのシステムが構築されたことである。かつては、縦割り構造の弊害のため、研究開発と生産は、部門ごとに分断されていた。これでは双方のコミュニケーションが円滑に行われず、イノベーションが生まれにくかった。しかし改革の結果、現在では欧米と同様に、研究開発と生産体制が統合される仕組みが形成されている。
他方、ソフト面の改善も、国防産業のイノベーション能力の向上に大きく貢献している。その主な変化は、①指導層のイノベーションに対する重視と支持、②軍事産業における各種規格や基準の統一、③サプライ=ユーザー関係の改善、などが指摘できる。とくに③については、上述の総装備部が枢要なポジションを占めている。
(4)国防産業の動向と人民解放軍との関係
以上のように、多くの改善にもかかわらず、国防産業と軍事技術の改革には、依然として多くの障碍が横たわっている。第一に、産業内部での競争が依然として少なく、独占・寡占状態が続いている。第二に、調達システムの近代化のレベルが低い。第三に、とくに航空機のエンジン及びステルス性能の向上に必要な複合材料の分野で、研究開発が十分に進捗しておらず、この結果、関連技術の総合的な発展が遅れている。第四に、国防産業と人民解放軍との関係がなお希薄である。
だが、そうした困難にもかかわらず、軍事産業部門と軍との関係は、過去に比べれば大幅に改善された。わずか十年ほど前には、両者の間には明白な利害と認識のギャップが存在していたのである。しかるに、上述のごとく、1990年代後半に大きな分岐点があり、これ以降、そうした齟齬は確実に狭まっている。また、これにより軍内でも外国からの武器輸入に依存せず、自国で開発された技術と装備を用いようとする機運が高まりつつある。もとより、中国の国防産業と軍事技術は、先進国に比べればなおとして大きな隔たりが認められる。しかし、今後十年の改革のスピードは、過去の同じ期間に比べても、いっそう加速されるであろう。
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