・ルクマン・フェーリ駐日イラク大使
この講演では、数字を用いて、アラブ諸国の現実と課題を紹介していこう。まず、社会、政治、経済について述べた上で、現在進行中の変化に共通の課題と、その変化に影響を与えている主要な要因について話をする。また、アラブ諸国が直面している課題を概観し、それらの課題の詳細については、この後にお話しをするヨルダン大使に解説してもらうこととしたい。
「ブラックスワン理論」というものがある。これは、アメリカでリスク解析を行っているレバノン出身のニコラス・ターレブ教授が提唱した理論である。この理論は、従来の経験や平均からは予測できない一つの特異な出来事が、全体にどのような影響を与えるかを論じたものである。チュニジアにおける1件の焼身自殺は、アラブ諸国全体、あるいは、日本を含んだ世界に大きな影響を与えるブラックスワンであったのであろうか、この点を考えなるためには、アラブ諸国の現実を理解しなければならない。
一口に「アラブ社会の現実」と言っても、そこには様々な要素が混在している。まずは、人口動態を概観しておこう。アラブ諸国の人口規模は、最大のエジプトから最小のカタルまで様々であるが、人口増加率が高く、若年人口の占める割合が非常に高いという点は共通している。2050年には、アラブ諸国の人口は倍増して6億人に上ると予測されるのである。次に識字率は50パーセントから80パーセントほどであり、西欧や日本と比べて劣っているものの、社会全体の円滑なコミュニケーションを阻害するほど低いわけではない。そして、政治や社会の透明性は、おしなべて高くはない。どのアラブ諸国においても、誰が、どのように政治や社会の運営に関わる意志決定を行っているかは、あまり公開されていないのである。また、アラブ諸国は、ここ100年から50年の間に独立した若い国々であり、イギリス、フランス、イタリアといった旧宗主国の影響を強く受けてきた。留学や移民を通した旧宗主国との関係も強い。
統治形態は、共和制と君主制に二分されるが、共和制においても権力が世襲で継承されることは見られる。社会的には、多様性に富んでおり、多くの国々に様々な少数派が存在する。また、人々が抱えている問題も民主主義に関わることだけではない。民主主義は一つの要素に過ぎないことを念頭に置かなければならない。GDPと人口が必ずしも比例せず、人口の少ない国が高いGDPを持ち、人口の多い国のGDPが低いといった経済格差の問題も大きいのである。経済成長率は、国際的に比較すると健全であるが、特に人口の多い国で、人口増加率に経済成長が追いつかないという問題を引き起こしている。さらに失業率も高い。投資や起業のインフラも十分に整備されておらず、経済の開放やグローバル化に法整備が追いついていないこともフラストレーションを生んでいる。外貨準備高は健全な水準にあるが、外貨の多くが、国内経済に貢献するのではなく、海外の銀行や市場に回っていることも問題であり、債務比率も高い。こうした経済問題が社会的な閉塞感をもたらしている側面も強い。一方で、アラブ諸国は、原油と天然ガスの埋蔵量で世界随一であり、他の地域の各国は、好むと好まざるとに関わらずこの地域に関心を持たなければならないのである。
こうした現状を踏まえた上で現在起こっているデモ等の状況を見ると、最初に指摘されることは、こうした行動がアラブによってアラブのために起こされたものであるということである。外的な要因を完全に排除することはできないが、主要な要因は、アラブ諸国内部の社会的な変化にある。今起きている運動は、大衆による運動であり、イスラーム主義者によって引き起こされたものではない。宗派的な区別なくあらゆる人々に社会参加を促し、平和的なものであって、無秩序ではない。そして、権威主義体制を否定し、現状を変革するという一貫した要求を掲げたものである。しかし、その一方で、権力の継承や具体的な変革プロセスは不明瞭である。また、アラブ民族主義といった、既存のイデオロギーで理解されるものでもない。その背景にあるのは、閉塞感、経済格差など、これまでに述べてきた多くの社会的要素であり、また、あまり指摘されていないが、水の問題も重要である。アラブ諸国は、ティグリス・ユーフラテスという大河を擁するイラクのような国であっても、水が潤沢とは言えず、旱魃傾向が続いている。水の不足が国内の農業生産を低下させ、食品価格を高騰させることも大きな問題となるのである。さらに、統治体制や治安や安全保障といった問題も、アラブ諸国における中心的な課題ともなる。各国の政権は、安全保障、治安、経済の三つの側面に総合的に取り組んでいかなければならないのである。
同時に、アラブ諸国が経済的に他地域と競合していくためには、投資に対する透明性の確保や効率的なシステムの構築が不可欠となる。これは、アラブ諸国が世界経済にいかに参加していくかという課題にとって重要であるだけでなく、国内の雇用の創出や国民生活の安定のためにも重要である。現在、大規模な政治変動が起こっており、これは間違いなく政治改革に結びつくものであるが、政治改革は経済改革と一体でなければならない。経済改革を伴わない政治改革は、対処療法に過ぎず、根本的な問題に取り組むことにはならないのである。各国の問題は、それぞれに多様であり、「民主化」で一括りにできるものではない。こうした複雑な背景を持つアラブ諸国の変動は、石油供給を通して、日本を含む世界全体に影響を及ぼすものなのである。
・ディマイ・ズヘイル・ハダッド駐日ヨルダン大使
限られた時間で全てを語ることはできないが、アラブ諸国の展望にとって重要と思われる点に焦点を絞ってお話をしよう。フェーリ大使が述べたように、アラブ諸国の問題はそれぞれに多様であるが、昨今の変動には共通する背景がある。その一つは、人口の約50パーセントを占める大きな若年人口と高い失業率という問題である。アラブ諸国の全体の失業率は14パーセントに達し、若年層の失業率は30パーセントにまで達している。2009年10月にベイルートで開かれたアラブ雇用フォーラムでは、2020年までに5000万人分の雇用を創出しないと、毎年400万人ずつ新規に労働市場に参入してくる人々を吸収できないという点が強調された。この5000万人の雇用創出というのは、失業率を下げて失業問題を解決するために必要なのではなく、単に現状を維持し、失業問題が悪化するのを防ぐために達成しなければならい点なのである。このように考えると、雇用の創出が、最も重要な課題であることが判る。労働市場の構造を根本的に改革し、失業問題を解決することができないと、若年層の失業がさらに増加し、教育を受けながら職に就けない、したがって、大きなフラストレーションを抱えた若者が溢れ、社会が混乱することになるのである。
アラブ諸国の将来にとって重要な二つ目の課題は、貧困の撲滅である。生活必需品の価格の上昇、失業率の上昇、湾岸産油国を除いた資源の不足、所得の公正な再配分を持続的に行うために必要な投資が円滑に行えないといった要因によって、アラブ諸国における貧困問題は、当面の間、悪化していくと予想される。
アラブ社会は全体的には穏健な意見が支持を集めている。今後、よりリベラルな意見を持つ人が増え、伝統的な保守的な意見は徐々に支持を減らしていくと思われるが、新たな保守派とリベラル派の対立はより先鋭化していくとも考えられる。また、都市人口がさらに増大し、都市部でサービスが充実し就業機会が増える一方で、農村部との格差は広がっていくであろう。人権の確保、女性の解放、言論の自由については、現在、それらの達成に向けた取り組みが成されているところであり、より多くの人々が政治参加を求めるようになってきている。全てのアラブ諸国において短期的には社会的不均衡が拡大し、グローバル化の影響を受けて国際志向を持った人々が増えていくことであろう。
また、教育に関しては、識字率は上昇し、大学教育などの高等教育も普及しつつある。しかし、現在の若年層が受けている高等教育は、非常に画一的で硬直的なものである。例えば、大学進学に当たって、希望の学部を選ぶのではなく、全国統一試験の成績順に、最も高い成績を必要とする医学部、次に高い得点が必要な薬学部や工学部、最低の成績を取った者が社会科学系学部というように割り当てられていく。つまり、それぞれの個性を伸ばすような高等教育を受けることができないのである。もちろん社会の発展のためには職業訓練も必要であるが、それだけが重要なわけではない。そして、特に男性の場合、自己実現や自分の希望のために進路を決めるのではなく、周囲の期待に応え、社会的に威信のある職業に就くのに有利な進路を選択するように強制されることが多いという問題も看過できない。女性の場合は、そうした強制が全くないわけではないが、自己実現を目指して教育を受ける自由がより多く与えられている。こうした硬直的な高等教育がオーバーエデュケーションの問題を生み出している。大学を卒業しても、それに見合った、あるいは、希望の職種に就けず、タクシー運転手のような、高等教育を必要としない職業に就かざるを得ない人々を多く生み出しているのである。この問題を解消するためには、教育と産業構造の不一致を是正しなければならない。現在、学生の多くを理工系の学部に配分しているが、アラブ諸国には、それほど多くの理工系の専門家を必要とする産業がないのである。そのため、大卒者の多くが習得した知識に見合った専門職に就くことができず、グローバル化の影響もあって、外国に流出していくことにもなる。したがって、こうした教育の無駄を解消するために、若者個々人の様々な希望に対応でき、同時に、社会や経済・産業の現実的な需要に適応した教育に、時間を必要とするであろうが、変えていかなければならないのである。また、高い教育を受けた人々が充分に活躍できるように、経済構造を変革し、さらなる産業化も進めていかなければならない。
次に社会と情報技術の関係について話そう。若者の教育水準が上がった結果、IT技術を身につけた若年層が増加している。その結果、社会における情報源や情報伝達手段が大きく変わった。かつては、アラブ諸国における情報源は国営メディアに限られていたが、アル=ジャヤズィーラのような非国営メディアの登場によって多極化し、さらに、フェイスブックやツイッターといった、インターネット上の双方向メディアの普及によって、情報発信と表現、議論・意見形成の場が急速に増殖しているのである。こうしたインターネットメディアは、エジプトのデモにおいて威力を発揮し、政府による情報統制力を弱めることが確認されている。逆に政府側も、ネットメディアを利用して統制する手段を模索している。また、英語能力を持つ人々が増えたことで、アラブ社会の変動がグローバルな文脈と密接に関連するようになったことも重要である。こうした要素がもたらした変動は、不可逆的なものであるが、責任を伴う権利や透明性を確保した秩序ある移行であらねばならない。
経済的な側面に話を移せば、大半のアラブ諸国は、この10年間急速な経済成長を成し遂げ、この成長は今後も持続すると思われる。その中で、大きな課題は、経済改革が進んでいるものの、公共セクターが巨大なまま残り、様々な規制が残っていることである。また、産業の多様化が遅いことももう一つの課題である。その原因は、技術導入が円滑に行われず、資本導入が充分でないことである。その結果、国内に競争力のある産業の発展が阻害されているのである。湾岸産油国は、石油から得た資本を人材育成に投下し、産業の高度化と知的財産を基礎とした社会・経済構造への変革を図っている。これらの変革が成功すれば、湾岸アラブ諸国は石油依存から脱却することもできるであろう。また、バブルや経済格差の拡大を伴わない、健全な経済成長をどのように実現するかも重要な課題である。この点については、日本の経験に学ぶことが多い。アラブ諸国に特有の問題としては、アラブ諸国間の経済格差がある。この経済格差は、低所得アラブ諸国にマイナスの影響を及ぼす。すなわち、貧しいアラブ諸国に暮らす熟練労働者の多くが、より高い賃金を求めて、経済的に急速に発展する豊かなアラブ諸国に移っていくという問題である。これによって、貧しいアラブ諸国は、有能な人材を失うことで、その開発がますます阻害されるのである。多くの人々は、この問題を解決するために、アラブ諸国相互の経済協力を促進し、地域全体の経済発展を図らなければならないと考えている。しかしながら、EUのようなアラブ経済統合のアイデアは、以前から提唱されていたものの、政治的な対立から遅々として進んでこなかった。また、地域全体を巻き込む巨大プロジェクトの推進がアラブ諸国間の経済格差を解消すると主張する人々もいるが、そのためには、エネルギーや水の輸送・配分、鉄道などの輸送ネットワークの整備のための投資が促進されなければならならない。この点において、先進諸国の関与が必要となるのである。そして、官民双方の参画が必要である。域内の巨大プロジェクトは、官民共同で発足させ、プロジェクトの推進を通して民間企業に力を付けさせた上で、完全に民営化していくのが望ましいと考えている。
発展の側面としてもう一つ興味深いのは、アラブの消費者の社会的意識の高まりである。これは商品の価格や品質に対する意識の高まりというより、むしろ、その商品を生産している国や企業に対する関心の高まりである。この関心の高まりが消費者の指向を決定する新たな変数となっていくと予想される。この変化によって、外資系の企業が、非商業的な活動においてアラブ諸国に大きな影響をもたらすことができると考えられる。例えば、貧困層に対する支援や技術協力センターの設置、社会正義実現のための支援活動などである。また、オーバーエデュケーションの問題を指摘したが、これは外資系企業にとってはチャンスとなる。充分に教育を受けた若者を、少なくとも先進諸国よりは低い給与で雇用することができる。これによって、アラブ諸国の現地経済や人材と雇用需要の間のギャップを埋めることができ、効率的な投資を求める外資企業と能力を発揮する場を求めるアラブ諸国の若者のどちらにとっても利益のあるシナリオとなると思われるのである。アラブ諸国に対するアジア諸国の投資額は、中国と韓国からの投資が増え、ヨーロッパ諸国などからの投資額と匹敵するようになってきている。また、対外債務が、非産油国アラブ諸国の持続的経済発展にとって大きな課題となっている。債権者は、債務を抱えるアラブ諸国が苦痛を伴う改革を断行することによって、何らかの見返りが得られるというメッセージを発信することで、改革と発展を強力に動機づけるような創造的な行動が求められていると言えるだろう。
アラブ諸国が直面している政治的課題としては、パレスチナ問題を中心としたアラブ−イスラエル紛争を解決することである。これはアラブ諸国の政治、経済、社会に影響を及ぼす非常に困難な問題である。アラブ諸国において、アラブ−イスラエル紛争は、非常に根深く感情的な問題となっており、国家も非国家主体も、アラブ諸国民の感情に訴え、自己の目的実現するために、この紛争を利用してきた。そのため、アラブ−イスラエル和平に対する悲観論とフラストレーションが蔓延し、解決がどんどん難しくなっているのである。中東地域の一員として、私は、国際社会がこの問題により大きな関心を向け、その解決に向けて断固として取り組んでくれることを期待したい。
また、現在高まっている「イスラーム嫌悪」も、我々のような、非イスラーム社会との共通項を見いだし、交流を深めていこうという人々にとっては、大きな課題である。これは政治的な課題であり、社会的な問題でもある。多くのムスリム(イスラーム教徒)が、いわゆる「原理主義者」や「テロリスト」というレッテルを貼られ、一部のアラブ諸国は「テロ支援国家」のレッテルを貼られている。国内において、イスラーム主義者のテロが治安保全上の大きな懸念となっており、我々はこの脅威に対処してきた。加えて、最近では、これまで沈黙してきた一般国民が政治参加を求めるようになっている。この国民の政治参加要求は、諸刃の剣である。社会改革の最終目標は、全ての国民に政治参加を保証することであるべきだが、秩序のない変革を無理矢理先に進めてしまうことは、これまで数十年をかけてアラブ諸国が達成してきた成果を失うことにもなりかねない。そして、国内の緊張が非常に高まった地域においては、大きな不安定を生み出すことにもなる。アラブ諸国がこれまで達成してきた政治・社会・経済改革が、この混乱によって危機に瀕しているのである。
水、食糧の安全保障も、アラブ諸国にとって深刻な問題である。人口の急増によって、水と食糧が不足し、食品価格が高騰していることで、アラブ諸国は危機に向かっている。多くの人は、水と食糧の問題を国内の安全保障問題と見なしている。政府の政策も食糧生産者の圧力にさらされ、アラブのシンクタンクは耕作地の効率的な活用を提言している。特に農業生産に問題が多いのは、エジプト、スーダン、イラクである。アラブ全域の基金や企業を活用して水・食糧問題に対処しようという機運はあるものの、それを実行する政治的指導力に欠けている。1950年代60年代に唱道されたアラブ民族の政治的統一が現実的でないことは、もはや明らかである。そして、古典的なアラブ民族主義は、若年層にはほとんど支持されていない。その一方で、アラブ諸国の経済統合に向けた呼びかけは強まっている。経済統合によって、アラブ諸国が直面している経済的・社会的問題を解決することができるのではないかという期待が高まっているのである。経済的・社会的問題は、正しく対処しなければ、中東地域全体の不安定化につながるからである。
アラブ諸国の指導者たちは、2011年1月19日に、エジプトのシャルム・アッ=シャイフでアラブ経済サミットを開催し、約30の課題を緊急に取り組まなければならないものとして掲げた。これらの課題は、ほとんど全ての社会的・経済的側面におよび、解決に長い時間を要するものも多いのだが、今起きている状況を見るとあまり余裕はないと思われる。より優先度の高い課題は何かという点について、民間部門の指導者たちがそれを提示している。すなわち、アラブ諸国の潜在力をより有効に活用するために何をすべきかについて、昨年ドーハで行われたアラブ・ビジネス・カウンシルは5つの課題をあげた。健全で持続的な経済成長のためには、(1)青年教育改革、(2)公正な統治、(3)メディア改革、(4)規制緩和、そして、(5)自由貿易が必要であると指摘したのである。
最後に述べることは、アラブ諸国が岐路に立っているということである。最善の方向は、慎重で責任を伴った周到に計画された改革である。今あるものも損なうような、急激な変動は望まれないのである。我々は感情的にではなく、合理的に行動しなければならないのである。計画的で安定的な改革を実行すること、つまり、最も痛みの少ない着実な改革を実現するためには、先進諸国の支援が必要であり、また、アラブ諸国のそうした改革を成功させることは先進国を含んだ世界全体の利益となる。日本は、経済力と技術力を持っており、アラブ諸国と何の係争も抱えていない。これは、アラブ諸国の変革に積極的な関与を成す上で、非常に有利な条件である。日本は、新たな経済市場やパートナーを必要としている。私は8年間日本に滞在し、その間様々な会議に出席してきたが、そこで最も目についた問題は、アラブ諸国の安定や治安に関する懸念が過大に取り上げられていたことである。しかし、日本が安定や治安に関するリスクよりも、アラブ諸国から得られる利益に注目して積極的に関与することは、結局、アラブ諸国の安定につながり、それは日本にとっても大きな利益となるのである。
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