JIIAフォーラム講演要旨

2011年4月11日
於:日本国際問題研究所

池内 恵

東京大学准教授

「エジプト最新情勢」


昨今、中東情勢が急速に変化しているため、私は、なるべく長くカイロにおり、情勢を直に見届けるように努めているところである。同時に、日本に帰った折りには、現地調査の成果をなるべくリアルタイムで伝えるようにも務めている。したがって、ここでお話しする主要なテーマは、もちろん、エジプトを中心としたアラブ世界の大きな政治変動であり、それが何なのかということである。ただ、その前後に、それと関連して、日本内部の問題についてもお話ししたい。

最初にお話ししたいのは、この1月以来のアラブ世界の政治変動によって、日本の情報収集や分析、それに基づいた判断というものに関する体制が、大きな不備を抱えていることが露わになったことである。具体的に言うと、外交や情報分析に関係する官庁の方々や国際報道関係の方々、あるいは、企業において海外情報を分析し意志決定に参与する方々が、今回のアラブ世界の動きに対して充分に対応できなかったということである。それはつまり、チェニジアで始まりエジプトに波及していった体制変動を全く予測できなかったことである。私自身も完全に予測できたわけではないが、所々でこれまでと決定的に異なるところは関知し、それをリアルタイムで示してきた。その際、そうした新しい変化に日本側で対応できないところがあることにも気づいた。中東で質的な変化が起こっているという情報が届いても、日本側でそれを受け付けられないという問題があったと感じるのである。それではなぜ、そうした重要な情報をはねてしまったのか。この点を考えなければならない。そしてまた、大きな質的な、不可逆的な変化が起こっているということを、なぜ専門家と呼ばれる人々がいち早く指摘することができなかったのか。この点も、専門家と呼ばれる方々は考えなければならないし、また、そうした専門家を育成してこられなかったことを、各組織の意志決定に関わる人々は考えなければならない。

特に速さの変化というのが、質的な変化をもたらしている。月単位の変化であれば毎月に一回のレポートでもすむが、1日単位、さらには2時間単位で情勢が変わり、実際に2時間のデモの規模によってアメリカの対エジプト政策が変わったという状況を前にしては、我々も情報を受け取り分析するシステムを変えていかなければならない。個人の努力に頼るのではなく、組織として意志決定をする人々が変えていかなければならない。例えば、日本最大の報道機関であるNHKであっても、今回の中東情勢の急変に対して、充分な経験を持った記者を充分に現地に派遣することはできていなかった。日本が現地にもつ情報収集拠点の不備という問題に対しても、注意を喚起していきたい。こうした現地での情報収集能力に関わる問題に加えて、グローバルメディアを通して加速する現地の状況と、グローバルメディアの中で変化する国際政治というものに、日本の報道機関が上手く対応できていないのではないかとの懸念も感じている。それは、日本の報道機関がグローバルメディアに上手に参加できていないということと、グローバルメディアの中で増幅され加速される情報の流れを適切に捉える組織体制が整備されていないという問題である。この問題は、単に中東をめぐる日本の情報収集などに関わるだけでなく、この震災と原発事故によって、やはりグローバルメディア上で日本に対する信頼が揺らいでいることに適切に対応できていないというような、日本全体の組織に関わるより大きな問題と同根ではないかという問題提起をしておきたい。これが、中東問題にとどまらない、私の秘められた問題意識である。

それでは、以上の問題意識を踏まえて、中東における政治変動がどういうものなのかを話していきたい。何が起きているかという問に対して、私は、大規模デモが新たな政治的要素として浮上し、中東の政治過程に否応なく定着したということから話を始める。この大規模デモという新たな要素が出現したことによって、中東諸国の政治秩序と、中東の域内、および、アメリカをはじめとする大国を含んだ域外の国際関係の秩序が揺らいだり、場合によっては崩壊するなど、大きく変わったのである。そのなかで、最初にお話ししておかなければならないのは、中東の秩序をめぐる理念が大きく、不可逆的に変わったということである。これまでの中東の国内秩序、および、中東をめぐる国際秩序には、安定を重視することで公正さが犠牲になるという前提があった。それが、大規模デモが定着したことにより、安定を達成するためには、ある程度の公正さを確保しなければならないという現実認識に域内・域外の諸勢力が達しつつある。そうした認識に抵抗する勢力もあるが、全体的な流れとしては、公正さが達成されなければ、安定も達成されないという方向に向かっていることは明らかである。こうした変化を認められない政権は崩壊したり、大きく動揺し、政権を維持するためには、中長期的には政体の変更を含む大幅な改革を余儀なくされているのである。

なぜかというと、これまでの中東諸国の権威主義体制を支えてきた統治システムが、大規模デモによって無力化されたからである。権威主義体制は、国民の政治参加を抑制するために、ばらまきを行い、治安機関によって恐怖を醸成し、メディアや知識人を統制することで体制批判を封じるイデオロギーを作り上げてきた。大規模デモは、権威主義体制を支えるこの三本の支柱のうち、体制に対する恐怖とメディアの統制を大幅に損なった。まず、恐怖という点に関しては、今年の1月にチェニジアのベン・アリ政権が大規模デモによって打倒されたことで、大規模デモによって恐怖を払いのけることができる、「我々は恐怖から自由になった」という言説がアラブ世界に拡散した。アラブ世界は、大規模デモによって治安機関の抑圧を乗り越えられるという現実を見てしまい、デモの過程で従来のメディアの統制は無力化されていった。統制された既存のメディアを避けて国際衛星メディアを使い、携帯電話、インターネット、SNSなどの新しい手段を用いていった。これによって、国家による情報統制は大きく損なわれ、大規模デモが起こり、大規模デモによって、恐怖の手段である治安機構の威力が削がれ、その結果、権威主義体制の統治手段が失われたと考えられるのである。つまり、現在起こっている中東の変化というものは、どこか一部の勢力が起こしたものではなく、ここまで述べてきた大きな社会変動の結果として起きているもので、非常に根深いものと考えて良いのである。

それでは、その社会的な背景とは何なのであろうか。単純化して2点あげるとすると、それは、人口と情報である。人口とは、すなわち、若年層の増大である。30歳以下が人口の約6割を占めるというのがアラブ諸国に共通する状況である。現在のアラブ諸国で「若者」と言われるのは、35歳くらいまでを含んでも良いだろう。私がエジプトに出入りを始めた15年くらい前は、10代の人々が「若者」と呼ばれていた。彼らは、外国人にとっては特につらい相手で、私を見ると集まってきて、つきまとい、からかってきた。彼らは、アラブ民族主義者でもイスラーム主義者でもないのだが、この「若者」たちが成長していく過程で、1996年にアル=ジャズィーラが開局し、2000年代初頭に携帯電話が普及し、そして2000年代後半にインターネットが爆発的に普及していった。「若者」たちは、それらの新たな情報ツールをどん欲に取り込んできた。かつて、15年、20年前に、外国人を追いかけていた大勢の「若者」たちは、30歳を超えようという今になっても職に就けず、ずっと「若者」のままなのである。これは、異常な状況である。そして「若者」たちもその異常さは関知しており、しかも、情報ツールで武装することによって社会や政府を批判しているのである。彼らの情報発信能力は、政府の統制を超え、政府が流す言説を覆すような発言を次々と発信していった。そうした発言が、国際メディアやインターネット、SNSなどを通して伝えられ、増幅されていったのである。

人口と情報という側面と平行して、「若者」の政府に対する失望というものも無視できない。その失望とは、2004年頃から各国の政府が表明した「民主化」が見せかけのものに過ぎず、2007年頃からは、逆に政府の統制が強化されていったことに対する失望である。この2004年頃という時期は、ブッシュ政権の民主化圧力が最も強かった時期であり、2007年頃という時期は同政権がレイムダックに入った時期である。ブッシュ政権に対する批判も強かったが、ブッシュ政権の民主化圧力が強かった時期に、中東、エジプトにおける民主化の動きは明らかに強まり、現在に続く民主化の動きは2004年を起点にしている。現在、タフリール広場のデモに参加している人々が読んでいる新聞は、2004年に創刊されたものであり、アメリカはセカンドトラック外交を通して、そうした新しい新聞に資金や情報を提供してきた。そういう意味では、アメリカのセカンドトラック外交が実を結んだと言えると思う。アメリカは、2004年あたりから、市民社会の構築に向けた運動を支援していくことで中東を民主化していくという理論に則って対中東政策を進めてきた。その結果が、現在2011年に出ていると言える。政権が掲げた「民主化」の動きがあまり進まなかった、あるいは、2007年頃から大きく巻き戻した一方で、長期的に続けられてきた市民社会運動が2011年あたりに表面化した。全てがつながったというのが、現在の中東の状況なのである。

さらに、もう一つの要素としては、共和制における大統領職の世襲化や、君主制の国々でも権力継承の問題が持ち上がっていた。また、各国で国民意識が高揚してきたという点も重要である。これまでのアラブ民族主義は、外部を帝国主義として敵視する排外的な民族主義であり、それが政権のメディアを通して流されてきた。それに対して、独自の情報ツールを持った若者たちや、それに触発された各世代、各階層の人々は、国民という意識において合流していった。2007年頃から、各国で国旗を掲げる現象が急速に増えていった。これは、各国で国民統合が進んだことを意味する。しかし、団結した国民は、アメリカやイスラエルといった外部を攻撃するのではなく、自国の政権を批判したのである。各国で国民意識が再認識され、国民意識が高揚していく過程で、これまでの国民国家形成においてどこかで失敗したという意識が明確になっていった。失敗する前に戻そうという意識が明確になっているである。これは、エジプトの文学やドラマなどの分野で、最も早くは2002年頃から、1952年までの王政時代を懐古し美化するような作品が発表されるようになったことに見ることができる。リビアの場合でも、反政府運動の人々が掲げている旗は、カダフィー政権が成立する前の旗である。近代における国民国家形成をどこかで間違え、その間違えの前に戻ろうという意識が各国の反体制派に共有されるようになっていった。そうした下地が形成されたところで、チェニジアで絶対に倒れないと思っていた権威主義体制が倒れるところを見てしまった。これが、アラブ諸国における社会の変化に基づく政治変動の口火を切ったのである。それが、エジプトのデモに結びつき、そこであらゆるタイプのスローガンが発信され、その影響が各国に出ているのである。

政治過程に定着した大規模デモがもたらすものは、国によって異なってくる。デモを牽引する中間層の厚みや国民統合の度合いが国によって異なっているからである。部族や宗派、民族によって深く分断された国では、デモによって社会的な亀裂が深まる場合がある。ただし、大規模デモは、そうした社会的な分断を前提とし、それを乗り越える国民統合を目指すものである。興味深いのは、むしろ、政権の側が分裂を強調していることである。反政府勢力が既存の国家からの分離独立を唱えることが多いが、現在のアラブ諸国では、政権の側が分裂を強調し、反政府デモの側が国民統合をうたうという逆転現象が起きている。このことが、各国の政権が急速に支配の正統性を失っていく一つの原因と言えるのである。

このようにして、政権が揺らぐ、あるいは、崩壊していく中で、体制の移行に向けた受け皿が必要になる。ここで必ず必要になるのは、まず、治安を安定させることである。その際、各国の政軍関係によって、その受け皿が早期に用意されるか、用意できないか、あるいは、用意できるにしても時間がかかるかが変わってくる。エジプトは、軍が国民軍として機能しており、社会の各層とつながりを持っている。それに対して、例えばリビアなどは、軍は基本的に支配者の軍であって、外部の敵に向かうというより、自国の国民を抑えるのに使われてきた。こうした国では、移行期の受け皿として機能するのではなく、軍内部が割れたり、自国の国民と対峙し発砲してしまうという現象も見られる。大規模デモによって何が起こるかを決定するのに、政軍関係や軍と国民の関係が重要な要素となっているのである。

また、アメリカを中心とした対外関係も重要である。チェニジアとエジプトの政権が倒れたので、一部の反米的な方々は、これを親米政権の崩壊と評価した。シリアやリビアのような反米政権は、反米という点で国民と一致しており、それに対して、チェニジアやエジプトでは反米的な国民が親米政権を倒したという非常に空疎な議論をしている方々がいる。しかしそうではない。もちろん、アメリカとの関係は一つの要素ではある。アメリカは民主主義を掲げ、各国の民主化勢力をセカンドトラック外交で支援してきたため、政権側がそうした民主化勢力に銃を向けることを容認することはできない。これが反米政権であれば、もとよりアメリカの意向をうかがう必要はなく、心置きなく弾圧できる。このように、政権とアメリカの関係によって政権側のデモに対する初期の対応が変わってくる。ただし、反米政権であっても、あまりにも露骨に反米性を示してしまうと、今度は国際社会から孤立してしまう。リビアのカダフィー政権は、アラブ諸国からも孤立し、今回の軍事制裁は、形式的であるにせよ、アラブ諸国から安保理に提起され、それに応じて欧米諸国の軍事力が発動されるという形になっている。したがって、反米だから政権が守られるというわけでは全くない。

以上のような社会的背景や諸要素によってアラブ諸国の政権は崩壊していくのであるが、崩壊する政権には共通のパターンが見られる。それは、まず大規模デモが起こる。それは、ここまで述べてきたような、社会的な、国内的な背景が主要な要因となっている。そうした大規模デモによって反政府的な発言が公然と行われると、権威主義体制はこれを弾圧する。これまでは、弾圧されるという恐怖によって人々は声を上げなかった、あるいは、声を上げてもすぐに黙ってきた。ところが、チェニジア、エジプトの事例によって学習効果が高まり、弾圧され、それが国際メディアに流れることによって、むしろ反政府デモが大規模化していくようになった。つまり、弾圧によって政権の正統性が失われるので、弾圧を覚悟で大規模デモを繰り出すことで、政権の正統性を破壊する弾圧を引き起こすことを目指すようになり、弾圧によってデモが収まらないという状況が生じてきている。そうした大規模デモと弾圧を繰り返すことで、実際に政権の正統性が失われるという段階に達するのである。この段階に達すると、政権側は小刻みに譲歩案を出すようになる。しかし、譲歩案によってデモはむしろ勢いを増す。つまり、譲歩案を出すことで政権の基盤が弱体化したと認識され、デモは勢いを増すのである。そうすると、政権側は、今度は大弾圧をすると威嚇する、あるいは、実際に大弾圧に乗り出す。同時に、国内の分断を強調することで、政権が崩壊すると国内が大混乱に陥り、テロリストの温床となるなどと国内、国外を脅迫する。また、今回のデモは、アメリカやイスラエルなどの外部勢力に扇動されたものであると主張する。サウジアラビアや湾岸諸国は、イランの扇動を盛んに主張するようになっている。これまでの経験に照らすと、こうした外部勢力の陰謀や国内の分断を言い立てるようになると、そうした政権は末期的状況に近いと言えると思われる。今後の現実の推移から、こうしたパターンを修正する必要が出てくると思うが、今現在までのところを見ると、このようなパターンを描くことができるのである。

こうした共通のパターンを踏まえて、アラブ各国の動向を見てみると、各国の反政府勢力や民主化勢力は、政権側の統制力や国際世論の動向に応じて、いつデモを始めるかをうかがっていると言える。シリアはエジプトなどより遅れて反政府活動が始まり、サウジアラビアでは他のアラブ諸国の動向が落ち着く時期を待っている。逆にエジプトの反政府勢力は、各国に先駆けて行動を起こすことを選択した。エジプトの現在の状況は、社会全体の変化に根ざして生じてきたものであり、こうした、社会的な大きな変化が起こる際には、私はエジプトに注目すべきだと考える。エジプトは人口も多く、中間層も厚く、様々な議論が起こる活力を持っているからである。アラブ世界における議論は、その多くの部分が活発な中間層を持つエジプトで起こり、様々なアイデアを発信してきたのである。エジプトはアラブ世界の「中庸」であって、他の国々がエジプトと全く同じ展開を見せることはないものの、中長期的にはエジプトが動いた方向に収斂していく、そういった立場にあると言えるのである。また、エジプトは日本からの入国も容易であり、社会の厚みもあるので、エジプトを知っていれば、一部が危険になっても別の部分に移ることで安全を確保することができる。私自身もそうしてきたが、何とか中東に拠点を置いて現在の動きを見続ける上では、懐の深いエジプトに匿ってもらうというのが適切であろうと思われるのである。

そのエジプトでは、4月8日にかなり重要な転換点があった。つまり、1月15日からデモが始まって2月11日に政権が倒れたのだが、その後、革命が深化していく時期にある。その深化が次の段階を迎え、もう一度、大規模デモが活発になっているのである。この背後には、大規模デモの側が、要求の早期実行を、暫定的に統治を行っている国軍最高評議会に突きつけるという事態があり、ここに、これまで表面的には相互に尊重してきたデモと国軍の関係が悪化する危険性が潜んでいる。また、デモというものが、どれほどの持続性を持つのかという問題もある。私が現地で見ていたところ、4月1日のデモは、確かに活気はあったが、ある種のお祭り騒ぎのようで、要求を突きつける相手が象徴的なムバーラク政権から国軍最高評議会という曖昧なものに変わった今、再び統一された政治的要求を掲げて結束することができるのかと疑問に思っていた。しかし、4月8日のデモを見ると、政治的な大規模デモを継続することができ、大規模デモというものが完全に制度化され永続化されたものであると見て良いことが明らかになった。ということは、今後さらにデモと軍の対立が深まる危険性があるということであり、デモという勢力が現実にあることを認めなければならないということである。軍の側でも、簡単にデモを弾圧することはできないであろう。このように、エジプトの状況は日々進化しており、これを見ていかなければならない。なぜなら、エジプトの変化は、各国のモデルとなるからである。

とはえい、リビア、シリア、イエメンといったその他のアラブ諸国が、エジプトのモデルをそのまま取り入れるということではない。これらの国々は、かつて、共和制に転換する際にエジプトをモデルにした国々であり、長期政権や世襲化も追随してきた国々である。しかし、中間層の厚みや成熟度、国民統合の度合い、政軍関係、対外関係などが相当に異なることから、今のところ、エジプトと同じように推移しているわけではない。しかし、これらの国々が全て部族対立や宗派対立に陥るかというと、これらの国々の大規模デモは、エジプトを模倣していることもあって、国旗を掲げて国民統合を目指していると言える。それに対して、政権側が部族単位の忠誠を確保しようとしている。例えば、イエメンでは、アメリカのオバマ政権も、アメリカと協調して仲介しようとしているGCC諸国も、サーレフ大統領の退陣を前提とした仲介を進めているところである。サーレフ政権の正統性は決定的に失われ、退陣は時間の問題ということになっている。シリアについてはまだ時間がかかり、リビアは、ある種イエメンと同様の状況にあるが、軍事的な状況がかなり異なっている。

これらの国々に対して、また別の範疇に属するのが、バーレーン、オマーン、GCC諸国とサウジアラビアである。これらの国々においては、大規模デモが発生し、政権を揺るがせるには時間がかかると思われる。中でも、サウジアラビアが一番時間がかかるであろう。ただし、一番弱いバーレーンは、ほぼ倒れたと言っていいだろう。サウジアラビアとGCC諸国の軍事介入でデモを封じ込めているのが現状であるが、バーレーンの金融センターとしての機能は決定的に失われたと、私は考えている。優秀な外国人が自由に動けないからである。サウジアラビアを中心としたアラビア半島の国々は、バーレーンのような局所的な問題は押さえ込みつつ、エジプトのような政権崩壊モデルを避けるために、ばらまきの強化と一定の改革によって現行の政権の下で安定化することを模索している。つまり、エジプトとは別の、いわばサウジモデルを出そうとしているのである。この試みが直面するのは、以下の二つの問題である。

第1の問題は、これらの国々が王朝君主制という体制にあることである。この体制は、王族の部族が征服王朝として軍を保持し、石油収入を中心とした経済を支配する一方で、省庁などの国家機構もあり、国家予算もあるという二元的な体制である。この二元体制の中で、王族は、王族としての予算と私兵を確保しつつ、国家の機構・予算・軍を整備してきたのであるが、そうした省庁などの主要ポストに王族を配置することで、征服王朝の一族として機能すると同時に、近代国家の閣僚としても働いている。このように閣僚ポストを配分することで王族内部の抗争を抑え、国家の機構を利用することで王族の結束を維持していく仕組みが王朝君主制と呼ばれるものである。この仕組みは、かつて、イランやエジプトの王制において、王族が閣僚ポストに就かなかったことで王族が政治的な実権を失い、新たな勢力の台頭を許して崩壊したのに対して、王族が結束して統治に当たることで、湾岸産油国の安定をもたらしてきた制度と考えられている。ところが、現在、大規模デモの脅威にさらされて改革を迫られている。そしてこの改革とは、端的に言うと、政治的な権限を平民に渡していくことである。このような状況になると、安定をもたらすと考えられてきた王朝君主制が不安定化の要因になる可能性が生じる。王族への権限の集中が緩むことで王族による支配が緩み、同時に、減少したポストをめぐって王族内部の対立が表面化する恐れがあるからである。

そして、第2の問題は、現在、バーレーンの状況を封じ込めるために、サウジアラビアとGCC諸国が、シーア派の宗派主義とイランの扇動を喧伝していることである。アメリカの一部の高官がこうしたイラン扇動論を支持する発言をしているが、それは、イランの介入に警告するためであって、私自身は、このイラン扇動論は湾岸諸国やサウジアラビアの国内問題を外部に転嫁するプロパガンダであると考えている。このプロパガンダは危険である。人口の少ないGCC諸国は、石油と経済力のみで、膨大な人口を持つイランとイラクのシーア派に対抗できないからである。イランの議会は、イランらしく意地悪く、しかし的確に、イラン扇動論を「危険な火遊び」と批判した。ただし、イランも、アラブ諸国の大規模デモに脅威を感じている。これに触発されて、イランの反政府運動が盛り返すことを警戒しているのである。したがって、イランとしても、サウジアラビアなどの国内が乱れることは有り難い状況であるが、湾岸諸国などのアラブ系シーア派信徒がデモを起こすことも望んではいない。それは、デモがイラン国内に飛び火することも望まないし、仮に、湾岸のアラブ諸国がシーア派主体の体制になったとしても、それがイランを支持するとは限らないからである。イランは、バーレーンなどでのデモの動きをどのように評価するか、決めかねているのである。何れにしても、サウジアラビアの側は、イランカードを切ることで、バーレーンのデモを軍事力で押さえ込むことをアメリカに黙認させようとしているのであろうが、これは極めて危険な手だと思われる。

一方で、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンは、イランとはまた別の中東和平ファクターとして見ていくべきである。大規模デモが中東和平に影響を与えることは間違いないのだが、これらの中東和平に関わる国々は、大規模デモがなくても、脆弱化しつつあったことに注意しなければならない。1月26日から28日にかけて、アル=ジャズィーラは、機密情報のリークを募り、和平交渉において、パレスチナ側が大きく譲歩し、アメリカなどの仲介者もイスラエル側の応答を期待していたものの、オルメルト政権がその譲歩を蹴っていたことを暴露した。これによると、イスラエルは、パレスチナがいかに譲歩しようとも和平に合意する意志はなく、2国家解決は達成不可能ということになる。このことは、パレスチナの西岸政権の正統性を覆すものであり、ヨルダンを不安定化させる。2国家解決が当分達成されなとなると、ヨルダン国内でのパレスチナ人とヨルダン人の対立が先鋭化する恐れがあるからである。イスラエル側から見ると、エジプトとヨルダンという二つの和平条約締結国のうち、まずエジプトが大規模デモによって政権が変わり、今後の見通しが立たないのに加えて、ヨルダンも中東和平の停滞によって不安定化していく危険があるということである。つまり、デモと和平の停滞によって、これまでの中東和平プロセスを進めていくことができない可能性が出てきているのである。この中東和平ファクターに関しては、不安定な状態が常態化するという「安定化した不安定」は、いつかは揺らがざるを得ない状況であり、デモの影響を見る際も、そうした過去からの流れの中で見るべきなのである。

ここまで、昨今の中東に関する私自身の見方を大まかに話してきた。中東におけるこの3ヶ月間の動きを見ている中で、私は、冒頭に述べたように、従来の見方が通用しない時期にきていると認識するようになった。こうした状況に対応できる、個人や組織が日本にはあるのだろうか。これまでの日本の機関は、情報や知見を組織に蓄積してきた。それが強みでもあったのだが、今回のアラブ諸国の状況などは、組織では対応しきれない。2時間で状況が変化するような事態に対応するためには、個人に力を付けなければならない。個人として収集する情報や情勢判断を組織が受け付ける体制にあり、同時に、適切な能力を持つ個人を複数そろえておいて、常に事態の推移に対応できるようにしておかなければならない。組織にノウハウを蓄積するのではなく、高い能力を持った個人の育成に力を注ぎ、個人に能力を蓄積するように変えていかなければならないのである。

以 上