JIIAフォーラム講演要旨

2011年6月16日
於:日本国際問題研究所

パトリック・クローニン

新アメリカ安全保障センター上級顧問兼上級ディレクター

「東日本大震災から日本が学んだこと」


はじめに
まず、東日本大震災に際して被害に遭われた方々に対しお悔やみとお見舞いを申し上げたい。多くのアメリカ人と同様、発表者も地震・津波・原子力災害の惨禍に衝撃を受け、また人命救助と復興のため日々傾けられている努力に深い感銘を受けている。かくも甚大な災害が発生してから約100日にすぎないこの段階で、しかも「外部からの視点」に立って日本の国内的事象を語ることに若干の躊躇を感じるところであるが、本日は震災後の日本の姿から浮上する教訓について私見を述べたいと思う。なお発表者は「大規模災害と日米同盟」といった特定のトピックについては別の機会に触れており(1) 、今回取り上げるのは、さしずめ「広義の教訓」とでもいうべき概念的なものとなる。具体的には、「危機管理」「エネルギー安全保障」「動的防衛」「災害復興」「国際的関与」の5つのイシューを取り上げるとともに、それらが指し示すものを抽出し、全体の結論としたい。

5つの教訓
 まず危機管理に関して。
震災をめぐる政府の対応には様々な批判が寄せられることとなったが、自然災害に産業災害が重なった今回のような事態に対して、日本政府に―付言すればアメリカ政府にも―十分な備えがなされていたとは言い難く、一面においては、まさにこのこと自体が危機管理に関する教訓であろう。ただし発表者がここで指摘したいのは、政府が大規模災害に対し十分な対処能力を有しているとの信頼と自信が国民の間に構築されることが、実際の政府の対処能力をさらに十全なものとするという構造であり、それを政府がふまえること、そしてその認識の上に制度・官僚組織の改革が試みられることが重要という点である。すなわち、主としてメディア上で展開される政府批判とはまた異なった次元から、政府の信頼構築の努力が求められているのである。

 第二にエネルギー安全保障について。
大震災が原発のあり方に深刻な疑義を投げかけた以上、エネルギー政策をめぐる新たな議論は必定であろう。しかしそれは「安全性が経済性を担保する」との前提に立って行われるべきであり、原子力に対する紋切り型(kneejerk)な対応は厳に戒むべきと考える。どの国であれ単一のエネルギーをもって先進国としての産業を賄える状況にはなく、多様なエネルギー源を確保することが必須である以上、原子力は好むと好まざるとにかかわらず重要な位置にあり続けるであろう。むろん、それは震災を経た日本においては特に困難な道程となることが予想されるが、単に経済規模の縮小と安全性を二律背反(トレードオフ)と捉える姿勢よりは、新技術と省エネルギーへの投資、代替エネルギーの開発と並行させつつ原子力の安全性を高め、率先して科学技術分野における「安全性の文化」を形作り、標準化することが、長期的にはさらに大きな成果を齎すものと信じる。いずれにせよ、これは長期的で一貫した取り組みを求めるものであろう。

それでは、短期的(当面の)取り組みとしては何をなすべきだろうか。ここで発表者が特に懸念するのは、原子力災害のイメージが実態をはるかに超えて拡散している状況である。日本国内の文脈ではいわゆる「風評被害」が想起されようが、国外においては―残念ながら―日本の全体的印象が放射能汚染と結合する傾向がなお根強く、過小・過大評価を排した「実態」の把握と周知が急務と考える。ここで参考になるのは、スリーマイル島原発事故(1979年)に際して実態調査のために独立の専門家・有識者グループ「ケメニー委員会」が設置され、同委員会が科学的検証を通じて過度に誇張されたイメージの払拭に努めたという事例であろうか。これは時のカーター政権のみの力では到底なしえなかったことであり、結果的に、上に述べた政府の危機管理能力を補完することとなった。例えばアメリカ原子力運転研究所(the Institute of Nuclear Power Operations)が試みているような産業界自体の危機管理と安全性・信頼確保の取り組み、そして各機関間(例えば政府の関係各部署、政府と電力会社等々)の意思疎通の円滑化という課題も急務であるが、それと合わせて、このような先例も十分に顧みられる価値があろう。

 第三に動的防衛に関して。
この用語自体は昨年12月に決定された「防衛計画の大綱」のキーワードというべきものだが、発表者なりにこれを敷衍すれば、それは最終的には動員・展開の能力という要素に収斂すると考えられる。大規模な人員投入の能力のみならず、津波で被害を受けた航空自衛隊松島基地の迅速な機能回復、あるいは使用不能に陥った仙台空港を「トモダチ作戦」の兵站拠点として復旧させた事例が示すような自衛隊・米軍の任務遂行能力はこの点を端的に示すものであるが、今後はそれをさらに効率化する必要がある。具体的には、情報集約プロセスの改善(米軍の無人機への依存の解消や情報伝達の円滑(シームレス)化など、ハード・ソフト両面の取り組み)、日米の連携能力の強化(災害救援、人道支援、あるいは周辺地域における有事など、想定される事態への対応計画の樹立と共通の指揮系統の形成)、さらには動的防衛を可能にする設備の維持(災害時の拠点として利用しうる各地の小規模基地の整備)について、自衛隊内部、自衛隊と米軍、そして周辺国間という3つの局面での検討が求められよう。

 第四の災害復興について。
先に一部触れたとおり、各種媒体を通じて反復された震災・津波・原子力災害のイメージは、いまや日本国外において一種固着してしまった感がある。そのようなイメージと実態の著しい乖離はむろん是正されるべきであるが、ここではそれをいわば「逆用」する発想を提示したい。すなわち、発表者が指摘したいのは政府にとっての義務である被災地域の再建に対して、それを字義通りの「原状回復」「事後処理」からさらに歩を進め、新たな復興モデルを創造する過程として捉える視点であり、そこにはグリーン経済のモデル、安全性のモデル、地域づくりのモデルなど、様々な可能性が内包されていよう。たとい天災自体は人智の及ばぬものであるにせよ、それへの対処(レスポンス)においては多彩な可能性が存在すべきであり、災害の果てに一つの契機を見出すような志向性が日本国民の間に共有されることを、発表者は切に望んでいる。

 最後に国際的関与について。
上に述べた志向性とも関連するが、日本は今回の震災と原子力事故の経験を対外的に還元する形で、国際社会に貢献すべきと考える。特に、国連傘下の専門機関であるIAEAが原子力の利用に関する規範を各国に遵守させる上でその機能を必ずしも十分に果たせず、また―やや極端に表現すれば―国ごとに核施設の安全基準が異なる現在の状況を考慮するならば、日本が今回の経験に依拠した新たな安全基準を積極的に提唱し、加えて新世代の原子炉の普及に努めることは「スマートで効果的な」貢献となろう。アジアの地域的災害救助ネットワークの構築といった貢献も包含すれば、日本が「内向き」志向を離れて行うべきこと、また行いうることはかくも多様なのである。

おわりに―教訓から浮かび上がるもの―
以上に挙げた5つの教訓がそれぞれ個々の政策的課題と結びついたものとするならば、これらを抽象化した際に導出されるのは、信頼構築、コンセンサス形成、動員能力、長期的視座の形成、人道といった、個別の政策レベルにとどまらない問題である。そして、さらに広い視野から俯瞰するとき、それらがリーダーシップの表現形態という共通点を有していることは直ちに看取される。すなわち、発表者が見出した東日本大震災の教訓とは、結局は日本が自らのリーダーシップ―国内的・対外的側面を問わず、最終的に日本を「動かす」もの―に対していかなる認識を持ち、それをいかなるものとするかとの問いかけなのである。震災後の日本が、何より国内的に多くの問題を内包していることは承知しているが、畢竟日本にとっての最大のチャレンジは、個々の利害を超越してリーダーシップの最効率化を実現すること、換言すれば災害対応という一点において「小異を捨て大同に就く」こと、ということになろう。これが発表者の結論である。

ただし、この点に対する発表者の見通しは楽観的であり、世界的な環境モデル都市となった東北地方、エネルギーの多角化と高効率化を実現した経済、自然災害・産業災害・あるいは人災に適切に対処しうる能力、他者との協働の下で効率的に機能する自衛隊、地域的・国際的次元で平和構築に貢献する若い世代等々、発表者が個人的に思い描く「震災から10年後の日本」のイメージも、実のところ明るい。それはここまで述べてきた教訓を日本が巧みに内面化するであろうことを発表者が確信しているためであり、また「あらまほしい未来」という視角こそが事態の教訓をより明確に意識せしめ、その実現へと人々を向かわせる動力となることを信じているためである。雑駁な私見―ともすれば「アメリカ人的楽観」と受け止められるやも知れぬ―ではあるが、かくのごとき一外国人の視点が何らかの示唆を与ええたならば、望外の喜びである。



(1) パトリック・M・クローニン/ダニエル・M・クリマン「『危機の同盟』からさらなる深化へ」『外交』第7号、2011年5月。
以 上