3つの大望
発表者は、コソボを「貫く」ものとして3つの志向性があり、それらがコソボを、過去・現在そして未来において―時にモチベーションとして、また時には国家の目標として―動かしてきたと捉えている。それらを順に挙げることで、コソボを理解するための糸口として提示したいと思う。
まず第一に挙げるべきは、やはりコソボが抱き続けてきた自由と独立に対する渇望であろう。1991年に旧ユーゴスラビアの分裂・解体が始まって以降、その掉尾をなすコソボの独立宣言(2008年2月)までには長い時間を要したが、かくも長きに亘った独立のための闘争を裏打ちしたものこそ、この熱望に他ならない。また、独立から今日に至る約3年間にあっては、この志向性は、社会制度の確立・市場経済の定着・国際的地位の向上という国家建設の目標へ注がれ、種々の成果を導いている。例えば世界銀行・国際通貨基金などの国際機関への加盟と85カ国による国家承認―コソボ独立という「現実」が定着したことを如実に示すものであろう―あるいはユーロ危機の中での高いGDP成長率(6%:2011年予測値)などはその一例といえる。
むろん、その過程においては少なからぬ困難も表出している。行政機構の整備と法の支配の確立が単純な制度の「移植」にとどまらぬ水準で定着しつつあることは事実だが、それを機能させるにあたり直面する「いかに政治化を行うか」との課題、より端的に言えば「エスニシティに沿った組織化」と「市民たることに基づく組織化」のいずれを選択し、また整合させるかとの課題は、若いコソボ共和国が逢着する最大の難題である。ただしこの点についても、「市民による国家」と自らを規定し、かつ「コミュニティに特別な権利を付与する」と謳う憲法の下で、コソボではマイノリティ(コソボでは通常「コミュニティ」と表現する)の統合が中央・地方レベルで進展し、政治的安定への確固たる見通しが築かれており、同様の課題を抱えるバルカン諸国の中にあって、コソボは一頭地を抜く存在であると自負していることを付言しておきたい。
次なる大望―こちらは現在の主たる国家目標ということになろう―は、EU加盟である。コソボは地理的・歴史的・文化的にも自らをヨーロッパの一部と位置付けており、ヨーロッパ統合(なかんずく政治的統合)への積極的な関与は、コソボのみならずバルカン地域全体の安定と平和、安全保障を構築する上で最良のフレームワークとなる。またコソボ自身にとっても、EUへの統合は自国の近代化と競争力向上のための欠くべからざる手段であり、コソボのEU加盟はEU・コソボ・バルカン地域すべてに利益をもたらしうるのである。この点に関しても、今年発表された欧州委員会によるレポートでコソボの法制度・政治制度の状況改善について肯定的な評価がなされるなど、展望は概して良好であり、特に数年後の実現を目指して近く開始予定のEUとの査証自由化交渉は、統合プロセスの一里塚として期待される。
そしてコソボにとっての第三の大望が、EU加盟国にとどまらない主要国との関係構築ということになる。この点については、コソボは20年間に及ぶ独立・国家建設の全過程において各国から政治的・経済的に多大な支援を被っており、わけてもアメリカとの関係を自国と地域の安定のためにとりわけ重視している。加えて、今回の短いながらも初となる日本訪問の目的の一つも、わが国にとって決定的な時期を緊要な分野で支えてくれている―独立を最も早く承認してくれた国の一つでもある―日本との関係のさらなる深化を模索するところに存している。小国として、コソボは外交政策において政府間の協力にとどまらない、社会を構成する多様なアクターの間の、そして市民間の紐帯を築くことの重要性をなによりも強く認識しており、可能な限り多くの国々に赴いて、新生コソボという国家の存在への関心を喚起することが、外相としての発表者の責務の重要な一部と考えている。経済・貿易の関係がいかに強かろうと、斯様な紐帯が、最終的にはこれらを左右するのであり、ひいては国の独立を担保する礎石ともなるのである。
個別説明
(EU加盟国によるコソボ承認の現状と展望)
コソボは現在、EU加盟27カ国のうち22カ国より承認を受けている。残る5カ国がコソボ承認を留保する理由としてしばしば挙げられるのはコソボ独立の「合法性」に関する懸念であるが、2010年には国際司法裁判所がコソボ独立が国際法、そして国連安保理決議第1244号(1999年)に背馳しないとの裁定を下しており、「合法性」を理由としたコソボ未承認は、今やその存立基盤を喪失していることを指摘しておこう。もとよりEUは多様なアクターを内包した複雑な機構であり、承認国・未承認国がEU内に混在していること自体、それを如実に示しているともいえる。ただ、全体としてみるならば、最近のEUとの交渉―例えば貿易協定などに関する議論が年内の成果導出をめざして進行中である―においては未承認国の存在は大きな障害とはなっておらず、数年前の緊迫した雰囲気を思うに隔世の感がある。紆余曲折を経つつも、状況は着実に進展しているといえよう。
(日本―コソボ関係進展への期待)
20年に及ぶ紛争の後で国家建設を進めねばならないコソボにとって、経済の安定的成長が焦眉の課題であり、日本からの投資には大きな期待を寄せている。豊富な天然資源を有する鉱工業セクターのほかにも、エネルギー、通信、観光、環境、教育などの分野で有益な協力が可能であろう。また、コソボはバルカン半島の中央部に位置する戦略地政学的要衝であり、近い将来にはヨーロッパ市場の一部となることが確実視される地域でもある。すなわち、日本からすれば、世界有数の市場であるヨーロッパ市場への一種の「足がかり」となるポテンシャルを有しているのであり、日本企業が短期的観点からの投資が中長期的により大きな利益をもたらしうる、という長期的眼目をもってコソボに向き合うことを望む。来年にはコソボの政界・経済界の主要関係者が出席するビジネスフォーラムを計画しているが、それらの場を通じて、コソボのこのような立場をより積極的に広報していきたい。
(コソボ経済・対セルビア関係の現況)
上述の通りコソボは高いGDP成長率を記録しているが、独立後間もない国家で、しかも相対的に低い段階から経済建設を開始したため、数値としてのパフォーマンスと実態としての開発の進展の間には齟齬も存在している。特に30年来の主要セクターであった鉱工業(なかんずく有数の埋蔵量を誇る採炭部門)において大幅な構造調整が行われていること、また環境問題がネックとなって石炭産業自体が全ヨーロッパ的・世界的に厳しい状況に直面していることに鑑み、それを代替しうる産業基盤の構築に目下着手しており、加えてコソボとアルバニアを結ぶ高速道路建設などのインフラ整備も進行中である。また、小国にとっての「力」は畢竟人材の質に依存することから、教育を重視し、人的資本への投資も進めている。ただ、現今のコソボがすべてにおいて「普請中」であることは繰り返しておきたい。
またセルビアとの間では、本年3月より、EUの助力を受けつつ技術的な対話を開始している。かつて両国が同一の国家を形成していたことに起因する諸問題、例えば学位の相互認定、移動の自由、エネルギー、通信などが議題に上せられているが、それら技術的な対話が全般的な信頼構築にも、歩みは遅々たるものであるにせよ、肯定的な作用を及ぼしつつある。国境管理についての協議においてEU方式の国境管理方式を採用する旨合意が成立したことなどは、国境の存在とともに国家としてのコソボを実質的に認めたことにもつながるものであり、その好例といえよう。
(多民族国家コソボにおける民主的国家建設プロセス)
市民参加、すなわち国民統合はいずれの国家にとっても民主化のための枢要な課題であるが、コソボの場合、民主化はマイノリティの和解への取り組みとほぼ同義であった。コソボではこの課題のために過去3年間に約1億5千万ユーロの投資が行われており、セルビア系その他のコミュニティの地方自治組織が作られたほか、定数120の議会の26議席は各コミュニティ代表のポストとなっている。コソボの地位確定プロセスを率いたアーティサーリ・フィンランド元大統領のミッションが2015年までの完遂を目標に設定した各種課題はすでに90%が達成されており、その監督にあたっている国際文民事務所が来年度には全事業が終了するとの見通しを示していることからも、この分野の進捗は垣間見えよう。もとより「統合」とはすべての人々に、最善の社会的公正と教育・医療などの制度的施策(instrument)を提供することであり、一朝一夕に実現されるものではありえない。ただし、詳細な比較研究を行うならば、マイノリティの権利、あるいは市民的権利を示す各種指標において、コソボが着実な進展を記録していることは直ちに明らかとなろう。
(コソボにとってのEU)
ユーロ危機のみならず、人口統計学的問題―すなわち高齢化―など、EUが多くの課題に直面していることは事実であろう。ただし、小国たるコソボ、あるいはバルカン諸国にとってはEUは現実に存在する最良の機構であり、EUを目指す前述の志向性は揺らぐことはない。ただし、このようなコソボ側の意図と同時に、はたしてEUが拡大と縮小のいずれを目指すのか、あるいはそこにおける政治的統合があるいは加盟国の主権(統治権)に対する容喙にまで至る可能性など、EU側のスタンスもまた、この過程においては大きな影響を及ぼすことも、ここに付言しておきたい。
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