JIIAフォーラム講演要旨

2012年1月12日
於:日本国際問題研究所

ティモシー・コルトン

ハーバード大学政治学部長

「プーチンの政治システムへの亀裂?」


2011年12月のロシア下院選挙は与党統一ロシアが大幅に議席を減らす結果となった。選挙結果の発表後、選挙の不正をただすデモがモスクワやサンクト・ペテルブルクなど大都市を中心に相次いだ。確実視されていたプーチンの大統領復帰へのシナリオは、にわかに雲行きが怪しくなっている。万全と思われたプーチンの政治体制に「亀裂」が生じているといえよう。「亀裂」はなぜ生じたのか?「亀裂」はどのくらい深刻なものなのか?今後「亀裂」が広がってゆく可能性があるのか?こうした問題に答えてゆきたい。

今回の与党の議席減やデモの直接の原因となったのは、昨年9月に開催された統一ロシア党大会で発表されたプーチンの大統領復帰プランであろう。メドベージェフ大統領は次の大統領選には出馬せずプーチン首相が出馬し、その代わりに下院選挙で統一ロシアが勝利しプーチンが大統領に当選すればメドベージェフは首相に就任するというものである。しかも、この大統領と首相のポストを交換するプランにはプーチンとメドベージェフの2人だけの「密室」で決定されたという説明が付け加えられ、メドベージェフを支持してきたエリート層だけでなく国民一般をも失望させてしまった。

もともとプーチン・メドベージェフのタンデム政権は、イメージ戦略に長けていたにもかかわらず、なぜこのような稚拙な形でプーチンの再登板が宣言されたのであろうか。メドベージェフによるプーチン復帰プランの説明は明らかに不十分で、タンデムに微妙な「亀裂」が生じていることを感じさせる。

「亀裂」はタンデム政権を支えてきたエリート層の間にも生じている。クドリン前蔵相の解任騒動などがその好例であろう。プーチンの大統領復帰自体は多くのロシア人にとっても予想されていたことだったが、たとえば党大会で与党党員にその是非を問うなどの手続きを踏んだ上での発表であれば、人々の反応は幾分違っていただろう。

今回のデモで明らかとなったのは、政権と大衆との間に見過ごせない「亀裂」が生じていることである。プーチン政権の発足以来、ロシアには一種の暗黙の社会契約が存在していた。政府は人々に経済的な自由を保障し、一方で人々は政府の抑圧的な政策を甘受するというものである。今回のデモは、こうした暗黙の約束に「亀裂」が生じていることを示唆する。

2000年代に入り、ロシア人の生活は大きく変化した。好調な経済の下で多くの人々の生活は飛躍的に改善していった。インターネットや携帯電話の爆発的な広がり、海外旅行者の大幅な増加などは好例である。その一方で、政治的な自由度は後退していった。プーチン政権は中央の権力を強化する政策を相次いで実施していった。プーチン自身の弁によれば、大統領に就任した直後のロシアの状況はソ連崩壊後から続く政治的混乱により国家の崩壊を招きかねず、社会の安定のためにも政治的な締め付けは必要であったという。

しかしながら、こうした政権側の説明は次第に人々に受け入れられなくなっていった。人々は一方で経済的な自由を享受し、他方で政治意識を高めていったからである。とくに2010年代に入り、都市部の高学歴の若者を中心にインターネットでの議論が活発化するなかで、政府への不満が率直に示されるようになっていった。政治的締め付けによって得られた「安定」後のロシアをどのようにしたいのかを語らないプーチンへの批判が高まっていった。今回のデモがインターネットを通じて拡大していったことは周知の通りである。こうした人々の政治意識の変化がプーチンによる長期支配体制にNOを突きつける原動力となっている。

今回のデモで明らかとなった人々の不満への対応に政権側は腐心している。下院選挙のやり直しや再集計は拒否しながらも、メドベージェフ大統領やプーチン首相は政党法の改革や知事公選制の復活、公共放送機関の設立を約束するなど、これまでの政策に修正を施す方針を打ち出している。また、デモ指導者や野党との対話、連立政権樹立の可能性を模索したりもしている。

だが、はたしてこうした対処が上手くいくかどうかには疑問が残る。デモの指導者との対話を模索するとはいっても、今回のデモでは誰が指揮しているのか代表者が明確ではない。また、野党との連立政権についても問題がある。なぜなら、これまでプーチンは反対者を徹底的に排除してきたため、国民の不満を拾い上げる野党が議会の中に存在しておらず、連立を組む相手がいないからだ。デモ参加者が暴徒化しないようにコントロールしつつも彼らの不満を上手くすくい上げなくてはならない。政権は難しい舵取りが求められている。

プーチンはこの10年間、万全の支配体制を築こうとし、自らに権力を集中させてきた。それと同時に、権力を集中させる過程で自らの周囲の汚職に目をつぶってきた。こうしたことが今、プーチン自らの首を絞めることとなっている。3月の大統領選挙ではおそらくプーチンが再選されるだろう。しかし、これまでのやり方はもはや通用しない。今後はプーチン自身が変わる必要がある。これまでのプーチン一人で全てを決めてきた政治スタイルを変え、権力を分担させることができるか否か、自らの周囲の汚職に毅然とした対応ができるか否かが問われている。

以 上