私は古典的米国重視主義者と目されているだろう。43年間の外務省での勤務中、21年間は在外勤務であったが、そのうち15年半は在米勤務であった。本省でも殆どのポストで日米関係に携わった。しかし、私は「アメリカ通」ではなく、またアメリカは簡単に「アメリカ通」になれる国でもない。本日の市民フォーラムの趣旨は、これからの日米関係を背負われる方のものだが、私からは過去の代表としての話となる。
まず、私が外務省に入った動機に立派なものは無かった。外国に行きたい。そして、出来ればアメリカで大リーグの野球を見たいということだけだった。そして、昭和40年から42年まで米国の大学で在外研修を行い、昭和42年から44年までワシントンの在米大使館で勤務した。振り返ってみると、初めて見たアメリカでは当時すべてが光り輝いていた。まだ当時は1ドル=360円で米国における自分の生活は厳しかった。4年間で日本車は2台しか見なかったし、スシ、カラオケ、アニメ等はもちろんみかけなかった。大使館勤務時代の昭和43年はニクソンとハンフリーの大統領選の年でもあり、4月にはキング牧師、6月にはロバート・ケネディが暗殺され、夏にはワシントンD.C.で暴動が起こり、ヴェトナムの厭戦機運が昂る中で、大統領選では「法と秩序」を掲げるニクソンが勝つという激動の時代でもあった。日米関係面においては、沖縄返還交渉が進展しつつあった。
次の昭和62年から平成2年にかけてのアメリカ勤務時代は、打って変わって日本車が溢れ、同時に日米経済摩擦の時代でもあった。日米安保は順調だったが、FSX問題を契機に「安保・防衛」の問題に「経済」が絡んで来た。FSX交渉で日本が国産を貫けず、共同開発、共同生産で決着せざるを得なかった大きな原因の一つは、エンジン技術やシステムインテグレーションの技術を日本が持たなかったことであり、一度失くした技術は直ぐには戻らないとの教訓でもあった。冷戦終了前夜のワシントンには旧東欧の、たとえば後にポーランド、ハンガリー、チェコ等のリーダーとなる「エリート」が多数居た。昭和25年(1950年)代に、アメリカに亡命した某教授が中に入ってくれて、彼等の多くに会うことが出来た。アメリカは懐が広く、ワシントンは情報の宝庫でもあると思った。そして、湾岸戦争前夜に帰国した。
次の長期的なアメリカ勤務であった平成13年10月から平成20年は、9.11直後の駐米大使としての赴任でもあった。第一印象は、アメリカの政府・軍首脳は極めて多忙であるというものであった。大領領の執務も朝7:00の会議から始まり、ずっとNSCをはじめ幾つもの会議、外向けの行事で多忙な1日が365日続くにも関わらず、彼らは合間には軍人たちのいる病院と基地の訪問を欠かさなかった。そして、大統領の会議が朝7:00から始まるということは、審議官や局長クラスは朝3時、4時から仕事が始まるということでもあった。一方で、日本もイラク開戦前夜には、国連のお墨付き不要という米政府に対し、国連の「権威」を活用せよと忠告した。このような厳しい情勢の中、野球には仕事上もやはり助けられることがあった。米国高官にも野球好きが多く、対談前に肩をほぐすような効果があった。たとえば、ブッシュ大統領がおぼえている日本人選手は王、野茂、イチロー、松井であった。
現在、自分は古稀を越えたが、日本は大きくなったと感慨深い。昭和43年にアイゼンハワー大統領が亡くなった時の国葬で岸総理は中半分より後ろの席であったが、平成18年のレーガン大統領の国葬では中曽根総理は最前列であった。現在は、経済のボーダレス化と政治(ガヴァナンス)のグローバリゼーションの不均衡が見られてきている。経済のグローバル化は進んできているが、法の支配や民主主義は社会の安定と成長のために重要な基礎である。法の支配が確立する社会では、技術開発を目指す人たちの熱意が、少なくとも長い目で違ってくると思う。たしかに短期間には独裁国家のリーダーシップが発揮されることがある。しかし、何時、誰かにせっかく自分が産んだ技術を取られてしまうのか分からない状況よりも、民主主義下で法の支配が確立した中で、才能のある人が技術開発にいそしむシステムの方が強いシステムと思う。また、民主主義の良さは民意を反映したその政権交代にもある。独裁者がマルクス・レーニズムのようなイデオロギーでもって統治した時代もあったが、最終的には経済の右肩上がりの発展かもしれない。しかし、その経済成長も何時まで続くかその保証はない。政治的正当性、民意によって選ばれたリーダーは、国民の支持が離れれば辞めるだけだが、独裁国では民意で辞めさせられないので、殺害や革命が起こる。ここにも、民主主義の良さがあるのだろう。そして、日米の関係を強化しているものには、やはり民主主義という価値観の共有も大きい。
その一方で、日中関係は、敵対的なものである必要は全くなく、むしろ、それは円滑で妥当なものであるべきではある。同時に韓国との関係もその通りである。日本の外交にとって中国、韓国の関係が大事なのは、特にこれが隣国関係であるからだ。例えば、インドはパキスタンとの関係が悪いことになっていることよって、国際社会において負債を背負ってきた。このような日本と隣国との関係修復においても、やはり域外のプレイヤーといえるアメリカとの関係が、基本的に重要である。
アメリカと日本が戦略的な対話を行う時には、日本も創造性を働かせることが必要だろう。注文するだけでなく相手に役立つアイデアを日本も出す方向にアメリカの認識を誘導していくことは可能であろうし、やらなければいけないと思う。たとえば、中曽根総理時代のSS20交渉などもその成功例である。最近でいえば、オバマ政権の下でアメリカの軍事費が削減されたことは、米国と対話をする機会だとも捉えられる。アジア太平洋には重点配備をするシフトであり、アジアの安全の観点からは健全ではある。しかし、イランとの間に何かが起これば、どのようになるか分からない。日本の行動次第で、日本のアジア太平洋における外交、国際関係、経済面での発言力も増すだろう。昭和35年から有名だった「巨人の星」という漫画で、星飛雄馬という左投手の主人公が大リーグ養成ギブスをはめていたように、日本の外交も防衛も、相当、大リーグ養成ギブスをはめられてきた。世界自体が変わった時に自分はどう変わるか。一方で大リーグ養成ギブスを外さないまま、「変わった。対応しろ」「アメリカの関係はこうしろ」「国連安保理の常任理事国になれ」「中国とこうせよ」「北朝鮮どうする」などと言っても仕方ない。大リーグ養成ギブスも本当に大リーグ養成目的で使われているのであれば、そろそろ、一部取り外していかなければならない、そんな時代に日本は来ているのだろうと思う。もちろん、アメリカは超大国で、アメリカと本当に対等な国は地上に存在しないので、日米共にお互い認識、世界、地域のものの見方について、「ああそうか」と頷くような意見交換がなされることが、エッセンスである。TPPに関しては、日米がお互いを深くよく知る機会を提供しあう、重要な枠組みであろう。そのためには、激しい交渉をすべきだが、入り口のところで議論しすぎても、少々無益なところがあるかもしれない。
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