研究趣旨説明/報告: 納家 政嗣 青山学院大学教授
「新興国の台頭とグローバル・ガバナンス」
1980年代以来のグローバル化の進展に伴い、環境(温暖化)、金融、貿易、人権、平和構築など一国レベルではもはや解決できない地球規模の問題が顕著となり、国際社会はいかにこうした問題に取り組むべきかが議論されてきた。1990年代以降、新興国が台頭するなか、上に挙げた諸問題はますます深刻化し、世界全体での公共政策(グローバル・パブリック・ポリシー)の必要性が認識されている。では、世界政府のないなかで、誰が、いかに、地球規模での公共政策を実施するのか。現状、結局は各国による協力、政策のすり合わせに頼らざるをえない。ここにグローバル・ガバナンス(以下GG)の議論が登場する所以がある。
しかしながら、新興国が台頭するなかでのグローバルな問題への対応(=GG)は容易ではない。それはとりもなおさず、新興国が先進国とは利害を同じくせず、グローバルな問題についても先進国とは著しく考え方(価値観)を異にするためだ。畢竟、GGの問題とは、先進国が築いてきた秩序・ルールをどのようにして政治的にも発言力を強めてきている新興国に受け入れさせるのかに行き着く。
既存の秩序・ルールに対して、新興国はおおよそ3種類の対応をしている。①みずからの発言権を確保し、地位を上げる(国連安保理、WTO、IMFなど)、②なるべくコストを払わず利益を得るために条件闘争する(たとえば、貿易や環境問題で途上国という立場を最大限に利用)、③既存の秩序を拒絶する(体制維持・内政干渉にかかわる問題、人権、民主化など)。ただし注意すべきは、新興国が一致団結してここに挙げた3種類の対応を選択実施しているわけではないことである。新興国内でも利害を異にする問題は多い。新興国対先進国という安易な構造は描けず、個別の問題ごとに先進国・新興国が連携してゆく体制を築く必要がある。
新興国の成長に伴い、先進国との間に、あるいは新興国どうしの間にも軋轢が生じ、世界規模の問題が深刻化していっている。こうしたなか、どのような価値観を掲げ、世界規模の問題に対応するのか、というGGの視座は日本にとって極めて重要である。新興国の台頭に伴うひずみ(たとえば新興国国内の社会不安、排外的ナショナリズムなど)が伝統的な安全保障問題(抑止や危機管理)に容易に転化しうるため、一見、GGの議論に限界があるように思えるかもしれない。だが、相互依存が深まるなか、相手国に影響を及ぼせる回路が増えており、GGの有用性は増している。
既存の秩序に対する新興国の対応が基本的には条件闘争であることを受け、これまで先進国は新興国や途上国に対して優遇措置を講じ、既存の秩序に取り込むことに力を注いできた。新興国の台頭が顕著となった今、優遇措置から「卒業」させ新興国にも国際的な責任を分担してもらうようにすることが新たな課題となっている。途上国自身の政策実行能力の改善を支援することが求められている。
研究報告1: 飯田 敬輔 東京大学教授
「通商における新興国のグローバル・ガバナンス戦略―WTOのDDA交渉を中心に」
新興国の経済成長が顕著となるなか、政治的発言力を強化していっている。本報告では、WTOドーハラウンドを例に、新興国が国際的なルール作りにどのように影響力を及ぼしているのかを検討する。
近年成長著しい新興国4か国(BRICs)は1990年代から貿易の自由化を本格化させていったが、その経済構造は大きく異なり、必ずしも利害を一致させているわけではない。こうしたなか、ドーハラウンドにおいて新興国4か国はどのような戦略をとっているのだろうか。
通常、通商交渉戦略は価値創造型と価値奪取型とに分けられ、新興国の戦略は明らかに価値奪取型(強硬路線)をとっている。新興国の強硬路線の背景には、①途上国には利益が少なかったと受け取られたウルグアイラウンドの雪辱戦、②交渉にかんする情報量の増大、交渉スキルの向上が新興国の自信につながっていること、③FTAの推進によって、交渉が決裂した際のバックアップを確保していること、などがあげられる。新興国の強硬路線は多くはネガティブな影響を及ぼし、交渉の進捗を遅らせている。
強硬路線をとることによって、新興国が具体的に何を得ようとしているかは必ずしも明らかではないが、「特別かつ差異のある待遇」の強化を求めているといえよう。少なくとも、新興国はドーハラウンドを破たんさせようとはしていない。なぜなら、新興国自身、自由貿易体制による利益を享受してきたからだ。だが、自分たちの主張を通したいという意思は強固であり、先進国との溝が埋まらない可能性はなくはない。DDAの実質的な破たん、WTOの形骸化、さらなるFTAの蔓延など新興国の意図せざる結果がもたらされる可能性は排除できない。
新興国の発言力が高まるなかで、今後の交渉にどのように取り組むべきか。リアリスト的な対応(力対力)をとるならば、途上国を団結させず分断すること(分断統治)が課題となる。制度論的対応については、WTOの意思決定の仕組み(「一括受諾」)を改変し、合意のできているところから実行してゆく仕組みに変える必要となろう。さらに途上国を「説得」することも重要である。かれらをいかに「責任あるステークホルダー」に成長させ、自主的に「途上国」の地位を放棄させるかが問われている。
研究報告2: 太田 宏 早稲田大学教授
「新興国の台頭とグローバル・コモンズのガバナンス―中国の『新エネルギー危機』への対応」
現在、世界は新たなエネルギー危機に直面している。新興国の経済成長がもたらすエネルギー需要の増大と温室効果ガスの大幅な削減という困難な課題(ヨハネスブルグ方程式)にいかに取り組むのかが問われている。安定した気候(気候変動の緩和)はグローバル・コモンズ(地球公共財)であり、今、その管理・維持が求められている。
COP15、16では、地球の平均気温の上昇を産業革命以前の2℃以下に抑えること、温室効果ガスの主要排出国(約80か国)が削減目標を掲げ、削減活動を実施することが合意された。続くダーバン合意(COP17)では、京都議定書の下での温室効果ガス削減義務の延長が議論され、すべての加盟国が参加する拘束力のある新たな枠組みを2015年までに作成し、2020年の発行が目指された。日本は、普遍的で法的拘束力のある枠組み作成の交渉には加わるものの、ロシアとカナダとともに、京都議定書の第二約束期間の削減義務を負うことは拒否した。
この問題の難しさは、様々な面で確認できる。たとえば、国連環境計画のレポートでは、仮に現在の削減目標を達成しても気温上昇を2℃以下に抑えることは難しい排出量ギャップの問題があることが指摘されている。また、現在、世界最大のCO2排出国である中国とアメリカで世界の総排出量の41%を占めているが、一人あたりで見れば、中国は5トン、インドは1トンでアメリカの17トンよりも大幅に少ない。ある種の不公平感が新興国側に募っている(だが、1990年と2009年の排出量を比較すればアメリカは6.7%の増加に対して中国は206.5%も増加していることにも注意すべき)。
地球温暖化が切実になるなかで、世界最大の排出国である中国がどのような対応をとるのかが問題となっている。重厚長大型の産業、急速なモータリゼーション、膨大な石炭消費など中国の抱える問題は大きい。エネルギー多消費型の中国の高度成長は、エネルギー安全保障と気候変動の観点から持続不可能である。中国自身も近年、再生可能エネルギーの開発に力を入れており、問題の解決に一定の努力をしていることも指摘したい。
高度経済成長期に様々な公害問題に直面し、石油危機後省エネ技術を開発してきた日本は、中国のエネルギー多消費型の経済構造の転換に役立つノウハウを蓄積している。こうしたノウハウを多国間協力の一部として中国に移転し、中国の環境負荷の低減に役立てゆく必要がある。中国の巨大な環境・再生可能エネルギー市場と日本の技術やノウハウが上手く組み合わさることで、新たなエネルギー危機の緩和へとつながるだろう。
研究報告3: 東 大作 東京大学准教授
「グローバルな『平和執行・平和構築活動』と『新興国』の台頭」
平和執行と平和構築は果たしてGGといえるのだろうか。しばしばこうした疑問が投げかけられるが、平和執行・平和構築はともに国連安保理の決議による承認によって行われるケースが多く、GGによる安全保障体制の一つとしてみなせる。
新興国(BRICS)の台頭は、平和執行・平和構築活動を承認する国連安保理の意思決定にどのような影響を及ぼしているのだろうか。研究から明らかになったことは、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南ア)のうちIBSA(インド、ブラジル、南ア)3か国は事前協議を重視していることである。中ロは内政不干渉の原則を前面に出し、平和執行決議には原則反対する一方、IBSAはケース・バイ・ケースで決議に臨んでいる。リビアへの軍事行動容認決議では結果としてBRICsの足並みがそろった(南アは賛成)が、シリアへの経済制裁決議ではIBSAは中ロと一線を画した。この二つのケースから、BRICSは安易な軍事介入(平和執行)には原則反対、もしくは慎重であるが、IBSAは地域を代表する新たな民主主義国家としてのアイデンティティを共有し、「保護する責任」にも一定の理解のあることが確認できる。つまり、IBSAと中ロには価値観にズレのあることを認識することが肝要である。
国連による平和構築活動がますます盛んになるなかで、新興国はどのように参加しているのだろうか。ここでもIBSAと中国、ロシアの違いが浮き彫りとなる。IBSAは新たな民主主義国として、PKO活動だけでなく、憲法制定や選挙支援、警察制度、法制度や官僚組織の整備等に積極的に参加している。一方、ロシアはPKO活動に対して消極的であり、中国は資源獲得につながる国に対しては積極的にPKO要員を派遣する傾向がある。同時に、中国は政治的関与や民主化への支援は極めて限定的である。さらに、一党独裁モデルの輸出や中国主導の平和構築(国家再建)には、現在のところ、意思を示していないことに注目すべきだろう。中国の平和構築への姿勢は、平和構築におけるグローバルな規範(国連主導、民主化による平和の定着)からの利益最大化を目指しているが、その規範自体を変更する国家意思はまだみられない。
平和執行や平和構築が世界的に重要な課題として認識されるなか、日本はどのように貢献すべきであろうか。平和執行への参加についてはアジアでは需要がなく、非現実的である。むしろ、平和構築への貢献が求められている。日本の平和構築への貢献は大きく分けて、①自衛隊によるPKO参加、②民主主義を活かした貢献、③平和主義を活かした貢献の3つが挙げられるだろう。①については需要の高い、ヘリによる物資空輸、インフラ整備のための施設部隊派遣、高度な通信施設の整備への支援、などに力を注ぐべきである。②については、警察支援、憲法をはじめとする法制度の支援、官僚組織の整備が求められている。これらの分野についてはIBSAなどとの協力を図ることも重要となろう。③については、紛争各勢力間の和解(アフガニスタン)や元兵士の再統合(アフリカ諸国)の支援が挙げられる。こうした活動はグローバルな安全保障制度を支える日本の重要な貢献となろう。
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